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8 歌劇

 ルドルフさんからのお手紙が来る日は、私がお返事を出した二、三日後の昼下がり。

 私たちの文通は、数日の時差がある会話みたいで、ちょっとおかしくて不思議な感じです。



『こんにちは、フルーさん。会いに来てくれてありがとうございました!

 肉、うますぎてヤバいです。晩飯時に食堂で食べてて上司が欲しそうな顔してたんで一切れ与えたら、大絶賛の嵐でした。同僚も、学校出身なんで食にはうるさいんですけど、褒め称えてました。フルーさんすごいですね!

 あと、ハンカチもありがとうございました。俺はハンカチ持ち歩かない人間なので、これはパーティー用に上司がくれたやつなんですけど、あの日は持っててよかったなって思ってます。フルーさんはハンカチ持ち歩きます? 持ち歩く人間のほうが好きですか?

 そうだったら、俺今から持ち歩く人間になります。ルドルフ』



 ルドルフさんは封筒にも凝っていて、真っ白だったり、しましま模様だったり、お花のワンポイント付きだったり、様々な種類に富んだものをくれます。

 切手も夏限定の絵柄に、美味しそうな果物、偉人の肖像画なんてときも。


 きっといっぱい考えて選んでくれてるんだなぁと伝わってきます。



『こんにちは、フルーさん。想像の斜め上でした。

 フルーさん、ハンカチ持ってもらう人間派なんですね。そこはかとないお嬢様感すごいです。そういえば、フルーさんってお嬢様っぽいですもんね。これ良い意味ですからね、もちろん。

 ところでフルーさんってお酒飲めます? 俺はこの前の満月の日が誕生日でやっと合法的に飲めるようになったんですけど、おいしいお酒知ってますか? 燻製肉が最高だったのでお酒もフルーさんのチョイス知りたいです。

 もっと仲良くなったら、フルーさんと実際に飲み行きたいです。ルドルフ』



 ですから私も、ルドルフさんはどういうのが好みかな、ああいうのは好きかな、と封筒や便箋を並べて選ぶのです。香りをつけて風情を演出したりもします。

 一通一通、ワクワクしてもらってほしくて。



『こんにちは、フルーさん。フルーさん、お酒は嗜まない人間なんですか。

 あー、シルーさんがまだ飲めない年齢なんですね。意外でした。てっきりシルーさんは俺と同じくらいだと思ってました。じゃあ、シルーさんも飲めるようになってから、また聞いてもいいですか。

 お酒の代わり、ではないですけど、俺が最近ハマってるコーヒーの豆送りますね。同僚が気に入ってるカフェがあって、よく連れて行かされるんですよ。旬の果物のお菓子が人気らしいんですけど、俺はコーヒーの虜になっちゃいました。

 猫、飼い始めたの良いですね。フルーさん、猫好きなんですか? 実は海沿いにも猫いっぱい生きてますよ。俺らとか漁師の人が餌あげるんでふてぶてしいデブ猫だらけですが、そんなところも可愛いです。

 急なんですけど、直近で暇な日ってあります? ルドルフ』


 

 お手紙を出すまでの、相手の様子を想像して高揚する時間。お返事が来るまでの、ドキドキとわずかな不安を抱く時間。

 私は両方とも楽しくて好きです。


 ルドルフさんもそうだといいなぁと思います。



『こんにちは、フルーさん。お返しとか気にしないでくださいね。

 俺、好きなものは広めたいタチなんですよ、多分。特にフルーさんは何を送ってもめちゃくちゃ喜んでくれるので、何でも貢ぎたくなっちゃいます。

 フルーさん、歌劇って興味あります? なんと今ここに、フルーさんが暇な日の歌劇のチケットが二枚あるんですよ。ちょうどいいですね。一緒に行きませんか? 今人気の歌劇団らしいですよ。そのあと、カフェでも行って、コーヒーデビューしちゃいましょう。

 良い返事を待ってます。ルドルフ』



 文通を重ね、月日を重ね。

 そうして私はいつの間にか、誘われてすんなりと劇場前の広場に行くくらいには、我ながらちょろい人間になってしまっていました。




 観劇の日は、夏にしては珍しく雲が多い空で、低地でも涼しい日でした。

 車から降りて周囲を見回すと、時計台の下に立っているルドルフさんを見つけたと同時に、ルドルフさんも私に気付いて走ってきてくれます。


「フルーさん!」


 ルドルフさんは軍服ではなく、落ち着いた色味のシックなジャケットを着ていました。私も少し大人っぽいシンプルなワンピースです。ドレスコード通り。


「こんにちは、フルーさん。来てくれてありがとうございます」

「いえ、私のほうこそ、ありがとうございます」


 お互いにぺこり。

 お手紙の往来は小冊子になるほどあるのに、実際に会うのは三回目。まだ緊張してしまいます。シルーから適当な世間話ネタを仕入れましたが、ええと、どのようなものがあったでしょうか。

 脳内を家探ししていると、ルドルフさんが劇場のほうを指差しました。


「あの、少し早いですが、もう入っときます?」

「ええ、はい」


 ルドルフさんの隣を歩いていきます。無言は気まずいですから、何かお話を……。定番の天気の話はどうでしょう。服装についてはいかがですか。この劇場のことや、劇の内容のことは?

 決めきれずにうろうろ彷徨う目線と足が、エントランスホールへと続く階段に差し掛かりました。ルドルフさんが「あっ、そうだった」と足を止めます。

 振り返って、私に手を差し伸べて、


「階段あるので、お手をどうぞ、フルーさん」


 なんと紳士なこと。ルドルフさん、やはり、クールで素敵な方なのです。

 私は、ありがたく手を借りることにしました。


「ありがとうございますね」

「いえ。俺、さり気に同僚にアドバイスもらってたんですけど、緊張してて。最初からエスコートするつもりだったのに」


 失敗しちゃいました、と落ち込んだご様子。しゅんとイマジナリー耳がへたれています。

 なぜか、私は安心してしまいました。ルドルフさんも、私と同じだったのですね。


「ルドルフさん、ルドルフさん。実は私も緊張しているんです。同じですね」


 笑いかけたら、ルドルフさんも照れくさそうな笑みを返してくれました。あぁ、やはり、愛らしい方でもあるようです。




 座席は舞台全体を見下ろせる二階席。人気の劇団ということで満員です。引っ越して以来基本的におうちにいたので、これほど周囲を人が埋め尽くしているのは久しぶりのことでした。

 これほど大勢の人が一様に幕が上がるのを心待ちにしている光景は、圧巻されるものがあります。


「フルーさん、もうすぐ始まる時間ですよ」

「そうですね。ワクワクしてきました」


 胸元で手を組んで待っていると、横からの視線を感じました。どうかしましたか? ルドルフさんのほうを見ると、すいっと視線をそらされてしまいました。私の思い違いだったようです。

 またまた前を見ると、またまた視線を浴びている感覚になりましたので、またまたルドルフさんに問いかけてみます。


「あの、ルドルフさん、何かありましたか?」

「……や、失礼なこと、かも、なんですけど」

「はい」


 ちょうど会場内が暗転して、舞台の幕が上がっていくとき。


「めちゃくちゃお綺麗なので、つい見ちゃうんですよね」


 劇中の歌姫が歌い踊り始めるのと同時に、耳に吐息と小さな小さな囁き声がかかりました。くすぐったくて、熱くて、とても劇どころではなくて。


 思わずルドルフさんを見たら、両手で顔を覆っていました。ルドルフさんも劇どころではないようです。これでは何も言い返せません。言い逃げされました、言い逃げ。

 あぁ、でも、こういうやり取りも楽しいものです。精一杯オシャレしてきたことを褒めてもらえて、嬉しくないわけがないですから。




 帰宅途中の車内で、ぼんやり感じてきたことがありました。今日は夢だったのではないか、と。

 歌劇のあとでカフェに行ってコーヒーに初挑戦してみたことも、その近くの漁港にふくよかなもちまる猫さんが大量発生していたことも、どれも思い出し笑いしてしまうほどで、夢のようでした。

 別れたばかりなのに、次に会える機会を望んでしまうくらいです。


 おうちが見えてきて、徐々に現実の世界に戻ってきました。シルーと猫さんは元気にしているでしょうか。お土産にビスケットを買ってきましたよ。

 上機嫌でドアを開けてもらうと、シルーが飛び付いてきました。


「わっ」

「お姉様っ、お父様たちへきちんと連絡していましたの?」

「え? 急にどうしたのですか、シルー」

「あのね、お姉様からお返事が来ないから、お父様とお母様が、きゃっ、あはっ」


 突如シルーが宙に浮きました。お可愛くはしゃぐ妹を、くるりと一回転して腕で抱きかかえたのは、――私の父。


「フルー、久しぶりだね。顔を見に来てしまったよ」


 父の肩に乗っていた猫さんがまるで挨拶するかのように、にゃっと鳴いたのでした。

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