6 自白
私は悩んでいました。
「どうしましょう、これ」
持って帰ってきてしまった白いハンカチ。ルドルフさんの大切な私物です。どうするのが最も適切なのでしょうか。
地面に敷いていたものを命の恩人に使わせるのは失礼ですよね。全く同じものを買ってお返ししましょうか。いやしかし、これはルドルフさんにとって大事なものかもしれません。新品だとしても別物を返すのはいかがなものでしょうか。
考えた末、私は、丁寧に洗濯してシワ一つない状態にし、謝礼と合わせてお返しに行くことにしました。
ということで、丁寧に丁寧に洗い干されたハンカチを、二階の自分のお部屋で箱詰めしているときのこと。
不意に「すみませーん」と声がしました。ハッと顔を上げます。気だるそうなこの声は、間違いなく配達少年くんの声でしょう。きっとルドルフさんからのお手紙です。
ただ、今日はシルーがお庭で絵を描くと言っていたのです。
これは危ない。私は急いで階段を駆け下り、外に飛び出しました。
「郵便でーす。あのー、誰もいねえんですかー? ……ったく、この家、郵便受け置けよ」
「どうして誰も行きませんの? 仕方ないですわね、わたくしが」
「はいっ、はいはーい、私、受け取りますよ!」
きょろきょろしている少年くんと、なぜか黒猫さんを抱えているシルーの間に滑り込みます。二人は少々面食らったように絶句したけれど、そのようなことはお構いなしなのです。
私は素早い手付きでサインし、しっかりと少年くんの手を握りました。そのうち郵便受けも設置しますので、今後ともどうぞよしなに。
ルドルフさんからのお手紙を入手し、そそくさとお部屋に戻ろうとすると、ぽむ、と肩に猫の手が乗りました。なんと、シルーが猫を使役しているのです。
「何かありましたの? わざわざお姉様が受け取りに行くだなんて。さっきまでおうちの中にいたでしょう?」
「た、たまには、運動しようと思いまして」
「あらそう。それで、何が届きましたの?」
「えっ。さ、さあ……?」
私はお手紙をサッと体の後ろに隠しました。
すると、シルーは目ざとく察知し、「ふうん」と言いながら背後を覗き込もうとしてきたのです。なんてこと!
郵便物が気になるシルーと、お手紙を見せたくない私の、姉妹バトル勃発、するわけもなく。私は先程から気になっていたことを質問することにしました。
「ところでシルー、その猫さんはどうしたのですか?」
「この子は最近この辺りによくいる野良猫ちゃんですのよ」
「とてもお可愛らしいですね」
「そうでしょう? わたくしも、そう思いますわ」
二人でなでなですると、猫さんがにゃあと一鳴きしました。愛嬌のある良い子です。
「お姉様、猫ちゃんを手懐けるには餌付けが基本だと聞きましたわ」
「そうなのですか? では私が厨房に行ってお話を通して来ますね」
私とシルーは目を合わせ、頷き合いました。我が家で飼うことが決定した瞬間でした。猫さんの前では姉妹協調もお手の物なのです。
私はコックに猫さんのご飯をお願いしたあと、自室に戻って、ふう、と一息つきました。
お手紙、どのような内容なのでしょうか。お手紙の封を切って中身を見ると日付は昨日でした。つまり、パーティーのあとということです。
『こんにちは、フルーさん。お怪我してなかったですか? 無事に帰れましたか? 先日は短い時間でしたが、俺は会えて嬉しかったです。
よくやく手紙が届いて読んだんですけど、フルーさん、対面拒否してたんですね。だからパーティー欠席してたし、なんか急に気絶して……。なので先日は、その、俺が悪かったです。
いくつか質問いいですか。フルーさんが会いたくないのって俺だけな感じですか? 他の人間もダメなんですか? 俺が何か改善したら、望み生まれる可能性ってあります?
答えるの嫌なら、返事しなくていいですよ。ルドルフ』
力が抜けて、私はドアを背に当て体を丸めてしゃがみ込みました。
あの方は本当にルドルフさんだとしたら、ルドルフさんははちっとも悪いところなどなくて。
むしろ断ってばかりな私にも優しくしてくれる良い方で、お返事もまめにくれて、よく気にかけてくれて、思っていることをはっきりと伝えられる素直な方なのです。
私も素直になりましょう。お手紙が来ないと寂しくて、来ると嬉しかったと。断ったのはこちらの都合で、ルドルフさんは悪くないと。
箱詰めされたハンカチにリボンを通します。ありがとうのメッセージカードも添えて。
よし、私、ルドルフさんに会いに行きます。
振り回したことを謝って、ハンカチの感謝を伝えて、これからのもよろしくと挨拶しに。
会いに行く日を作るために、予定を色々整理しておきました。近いうちに時間ができそうです。
さて、ルドルフさんに会う前に、もう一つすることがあるのです。晩ご飯のあとでシルーのお部屋に突撃コンコン。シルーは例の猫さんのための、首につけるリボンを選んでいました。
「お姉様、ちょうど良かったですわ。夏の空色のリボンと冬の夕焼けのリボン、どちらがお可愛い……深刻なお話?」
水色と橙色のリボンを手にしたシルーが、こてんと首をかしげました。
「深刻といえば深刻かもしれません」
「長くなりそうですわね。とりあえず座ってちょうだい」
「ありがとうございます」
私はソファーに腰掛け、両手の指先を合わせました。シルー、実は私、今まであなたに隠し事をしていたのです。
私は真剣な面持ちでシルーを見つめました。
「私、海軍のお友だちがいるのです」
「それは不思議なことですわね。お姉様はほとんどおうちにこもっていましたのに。そのお友だちは妄想ではなくて?」
も、妄想?
シルー、言っていい言葉といけない言葉があると思います。お姉ちゃん、ルドルフさんがイマジナリーフレンドかも、と不安になりました。
私はしばし考えてから答えました。
「おそらく、妄想ではなくて本物のはず、だと思います」
「では、夢の中の物語でもなくて?」
「夢でないことは確かです。初夏の折にお手紙が届いて文通を始めたのですが、きちんと紙は残っていますから」
「ならば、使用人の誰かが、お友だちのいないお姉様を哀れんで架空の海軍の友人像を作り上げたということ?」
「もう、本物だと言っているでしょう!」
じとっと目を細めると、シルーがくすくす笑いました。手のひらでころころ転がされている気分です。お可愛い妹だからと簡単に許してしまう私はダメな姉選手権堂々の一位でしょう。
シルーは座り直して、キリッとした顔付きになってくれました。冗談モードは終わったようです。
「それでお話というのは、お姉様のご友人のことですの?」
「ええ。彼は、組織の下のほうに位置する方のようですが、上司の方々とも良好関係そうで、さらにお強いらしくて」
「上司と仲が良くてお強い……? もしかしてシアン様のこと!?」
「し、しあ? いいえ、その方ではなくて」
私の文通相手は……。そういえば、この名前を声に出して呼ぶのは初めてかもしれません。
そう思った瞬間、喉元まで上がってきた名前が出てこなくなってしまいました。
王都では仲の良い人物はそれなりにいましたが、家族が一番大切でしたから、私の思い出に家族以外が出てくることはなくて。
もしや、ルドルフさんは、家の外で初めて、私が大切にしたいと思った方なのでしょうか。
「私の文通相手は、る、ルドルフさん、という方で……」
そう気付くのと、声に出たのはほぼ同時でした。自分の震えた声が耳に入って、くすぐったくて、面はゆい気持ちになりました。
ちょうど使用人が置いてくれたアイスココアに手を伸ばしますと、ひんやりしていて心のほてりも冷ましてくれる気がしました。一口飲んで話を続けます。
「ええと、それでですね、ルドルフさんとお話がしたくて、明日海軍の本部へ出向く予定なのです」
「ふうん。お姉様がお一人で?」
「もちろん」
「また倒れませんの? わたくしは明日お出掛けしますのよ、明後日にしたらどうですか? 一緒について行きますわ」
「ありがとうございます。けれど、大丈夫です。前日はぐっすり眠って、出発前には飲み物を飲んで、さらに帽子を被っていきますから」
名案でしょう、としたり顔をすれば、シルーのやる気のない拍手が返ってきました。もう、本当に名案ですのに。
私はぱちんと手を叩いて、空気を引き締めさせました。
「それで、ここからが本題ですけれど」
「やっとですのね。なあに?」
シルーは、伸びた背筋、ほっそりした腕、しなやかな指、凛とした雰囲気で、座っている姿すら絵になります。今でも十分に美しいのに、さらに輪をかけて美しかったドレス姿のシルーと、ルドルフさんは面識があるのです。
その姉が、みっともないと何もかもが台無しでしょう。私はシルーみたいに存在自体が華やかなわけではないですけれど、
「わ、私はどうやったら可愛くなれると思いますか?」
せっかく会いに行くのですから。