3 港町観光
シルーと約束した日は、頑張って早起きしようとベッドに横たわって意気込んでいました。すると、いつの間にやら朝になっていました。不思議なこともあるものです。
起こしに来てくれたシルーに、私はにっこりしました。
「お姉様ー。起きていま、あらまあ、おはようございますわね」
「おはようございます、シルー」
「これは寝ていませんわね。お姉様が朝起きているなんてあり得ないですもの」
「し、失礼な」
当たってはいますけれども。
軽い朝食をとったのち、外出の準備を始めます。
着替えやヘアアレンジ、メイクが終わり、最後に靴を履かせてもらいました。このお出掛け用の靴を履くのは久しぶりです。コツコツ鳴る音でワクワクさせられます。
そのとき、私はシルーと目が合う高さが変わっていることに気付きました。いつもは斜め下なのですが、現在は同じ高さなのです。あらら?
「シルー、急激に身長が伸びましたか?」
「ふふん。わたくしは厚底の靴なのですわ。お姉様に勝ちましたわ!」
「厚底……足首を折ってしまいそうです。転ばないように気を付けてくださいね」
「お姉様こそ、滅多に履かないヒールで足をくじいたりしないでくださいよ?」
「し、失敬な」
靴ずれしそうな予感はしますけれども。
私たちは、色違いのお洋服、髪飾りを身にまとい、使用人に「お美しい」「お似合い」と褒めそやされました。お世辞もたまにはいいものです。いい気分でおうちを出ました。
いざ、港町へ出発です!
おうちを出て丘を降り、鉄道の線路を超えると、景色は活気あふれた港町へと様変わりします。潮の匂いと人々の賑わいに満ちた大きな通りを、私たちは車で通り抜けていきました。
車は最近開発されたもので広く普及していない乗り物のため、この町では馬車が主流のようです。物珍しそうな視線をいくつも感じました。
「お姉様お姉様、この前お土産のフルーツケーキをいただいたのはあのケーキ屋さんですわ。青い屋根と白い壁のところの」
「まあ、お可愛らしい外観ですね」
「内装も素敵でしたわ。あ、あそこを曲がると、この町のメインストリートで、すごく大きな通りですのよ」
「それは楽しみです」
隣ではとてもお可愛いガイドさんが一生懸命解説してくれます。なんて良い旅なのでしょう。
それにしても、暑いです。
この車は屋根がありませんから、太陽の光を遮るものもありません。おうちを出てから町まで小半時ほど。裏庭でお洗濯物干しをするときですら、これほども日光の下にはいませんでした。
ぬるい海風とカタコト揺れる車上も相まって、脳がくらくらします。
ただ、私がどう思っていようと、車は進み、おうちは遠のくものなのです。
車は交差点へ差し掛かり、大通りへと入っていきました。
「お姉様、見えますの? あの大きな建物が海軍本部ですわ」
「わあ……」
石造りの建物が見えます。それは彫刻みたいに細部まで模様が刻まれ、建物全体が一つの芸術作品のようでした。天上まで届きそうな高さで、私は首を上に傾け、傾け、傾け、
「お、お姉様!?」
「……うう」
「だ、大丈夫ですの? ちょ、ちょっと停まってちょうだい」
そのまま後ろに倒れてしまいました。少し遅れて、車が道の端にゆっくり停まってくれました。
吐き気がします。じんわり全身から汗も出てきます。唾液の量も多く、視界が白み、やけに寒く鳥肌が立ちます。息が苦しいかもしれません。頭がかすんだようで、体はだるく重たい気がします。
私はこの症状を知っていました。ぐったりとシルーにもたれて、声を絞り出します。
「よ、酔いました……」
「あら、まあ」
これはおそらく、睡眠不足と乗り物酔いと炎天下のトリプルパンチなのです。水分を摂って涼しい場所で安静に寝ていたら治ると思うのです。
結局、私が体調不良になってしまったので直帰しました。
おうちに着いた瞬間、安心して一気に眠気が襲来。リビングのソファーでうとうとしていたら、シルーがちょこんと横に座ってきて、二人でお昼寝を満喫しました。
全快したのは夜でした。冷静になって考えてみると、あれほどシルーは楽しみにしていたのに、自分の軟弱さのせいで台無しにしてしまいました。シルーに見せる顔がありません。
しかも、港町調査という自分の目的も果たせていませんし。
しょんぼりもそもそ食べる私に対して、シルーは平然としていました。シルーのほうがしっかりしています。ダメですね、私。
「あの、シルー、今日はごめんなさい。スイーツ、楽しみにしていたのに」
「お姉様がしょんぼりする必要はないですわ。今夜のデザートですもの」
「……え?」
「わたくしたちが休んでる間に買ってきてくれたみたいですの。どうやらお持ち帰りができたらしくて」
そう言って、得意げに使用人たちとともにニヤリ。そうなの、そうなのですね。よかったです、シルーが落ち込まなくて。
シルーがフルーツジュースのグラスをゆるりと揺らしました。
「便利なものですわよね。か弱いお姉様に優しい世界だわ」
「か、か弱い……」
「間違ってはいないでしょ。お姉様ったら、乗り物にすぐ酔ってしまって、鉄道のときも酷かったですもの」
「それは、そうですけれど」
乗り物は地に足をつけている感覚がなく、ふわふわしていて苦手です。乗馬なら、まだ馬を通して地に足をつけていると感じられるから大丈夫なのですが。
「でも、どう言いましょうか、こう……」
「何?」
シルーに厚底靴で身長負けし、大失態も見せてしまいました。私はお姉ちゃんなのですけれど。
「たまには姉らしい立派なところを見せたいと言いますか……」
私がぼそっとこぼしたら、シルーが神妙な面持ちで「お姉様の立派なところ……?」と呟きました。こらこら、真剣に悩み始めるのはやめましょう。お姉ちゃん、傷付きます。
しばし考えた末、シルーはいたずらっ子の目をして手を叩きました。
「そうですわね。わたくし、お姉様はすでに立派だと思いますわ」
「本当ですか?」
「ええ。ですから、立派な立派なお姉様、可愛い可愛い妹のお願いを叶えてちょうだい」
なっ。シルーはとんだ小悪魔でした。一体、どのような恐ろしいお願いなのでしょうか。怖いもの見たさで聞いてみましょう。さあて、可愛い小悪魔のおねだりとは?
シルーはぱちんと両手を合わせて、にこっと微笑みました。
「お姉様、今夜は一緒に寝ましょ。三日月が綺麗なのよ」
ああもう、これだから私の妹はお可愛いのです。いくらでも叶えてあげましょう。
町に行った日から、数日が経ちました。変わらず、おうちで過ごすシルーと穏やかな時間は続き、ルドルフさんとの文通も続いています。
私は今週の家計簿を書き終え、寝る前にバルコニーに出て月明かりに一枚の紙をかざしました。
『こんにちは、フルーさん。この前、一瞬見かけました。
シルーさんと町に来てましたよね。三度見くらいしました。俺がフルーさんを見間違えるとか論外なので、絶対、多分、あってる、はず、ですよね? あれ、自信がなくなってきました。幻だったかもです。
あと、俺が欲しいものが知りたいとのことでしたが、めちゃくちゃ考えても出てきませんでした。ここだけの話、給料いいんで自分で手に入れられるというか。
しいて言うなら、幻じゃないフルーさんに会ってみたいです。ルドルフ』
たくさん贈り物をもらっているのでお返しをしようと聞き込みしたら、会ってみたいと返されてしまいました。
初夏の間に過ぎる雨季を超え、季節は夏本番である仲夏の訪れを告げています。
使用人の数は少しずつ増えてきて、私がお料理やお掃除の手伝いをすることもなくなりました。お洗濯物干しは、郵便受け取りのために率先してやっていますけれど。
そのような私のやらなければならないことは、やっと届いた本棚の整理に、注文していたローテーブルとソファーの設置。そろそろ庭師も雇いたいですし、きちんとしたコックさんも必要です。
子どもだけで生活していて問題がないか、秋になる前には両親が家庭訪問するという約束事もあります。
身元不明の怪しいルドルフさんと会う時間を見つけるのは、まだ難しいのです。それに、暑さでまた倒れてしまうかもしれませんし。
私はお断りのお手紙をしたためることにしました。