12 説得
パーティーの翌日。お父様とお母様にお話をするお時間を設けていただきました。
一晩経って考えて、私はとんでもない親不孝者なのではないか、と思いました。ここまで育てていただいて、両親に何一つ役立てない道を選ぼうとしているなんて。
私は、自分のお部屋で両親を待ちながら指先を撫でました。昨夜ずっとずっと繋いでいた感触も熱も、今はすっかり残っていません。私は一人できちんと伝えられるでしょうか。
目を閉じて天に祈っているとき、コンコンッと扉がノックされました。
「フルー、入るよ」
「は、はいっ」
ついに両親とご対面です。
どうか、どうか、うまくいきますように。
両親をお部屋のソファーにお通しし、使用人には飲み物を淹れてもらったあと退室してもらいました。三人きりの家族会議の始まりです。
私は深呼吸して膝の上に手を置き、両親を交互に見ました。
「お父様、お母様。本日は大事なお話があるのです」
「あら、なあに」
「……僕の嫌な話のような気がする」
お父様がじとっと目を細めなさいましたが、大当たりなので何も言い返せません。私がにこりと笑いかけると、お母様がゆっくりと手をお合わせになりました。
「まあ! フルー、お相手を決めたの? どのお方にしたの?」
「か、海軍の方、なのですが」
「では昨夜お会いした中にいらっしゃるのかしら。素敵な方々ばかりだったものね!」
「……い、いえ、パーティーの参列者ではなくて」
「え?」
お母様が動きを止め、上げていた口角をすーっとお下げになりました。同時に、私の背筋にじわっと汗が出る感覚。雲行きが大変怪しくなってきたのです。
これはいけません。なんとか、お母様のご機嫌を損ねないように。
「ええと、海軍の方といえば、海軍の方なのですが」
「海軍の方なのに、パーティーにいらっしゃっていた方ではないと言いたいのでしょ?」
「は、はい」
「どうして? 彼らは若くしてすでに幹部になっていらっしゃるのよ。フルーのお相手として申し分ないわ」
この国の海軍の士官学校は、成績によって入隊一年目から幹部になれる場合もあると聞きました。きっと昨日の参列者は学生時代から素晴らしく優秀な方々だったのでしょう。
けれど、ルドルフさんはスカウトされたと言っていましたから、学校には通っていないはずです。どのようにお伝えすればお母様をなだめられるでしょうか。
私は座り直して、お母様をじっと見ました。
「お母様。私のお相手は、学校の卒業生ではないのですが」
「それは入隊試験に合格した平民ということ?」
「私も詳しくは聞いていませんが」
「とにかく平民ということね。あなたは学校にも行けなかった方と付き合う気なの?」
私が何も言い返せずにいると、お母様は、ふぅと短く息を吐いてひどく冷たい声で言い放ちました。
「フルー、平民なんておやめなさい。世間様になんと言われるか」
あぁ、ダメなのでしょうか。いえ、ここでくじけてはなりません、私。どうにか説得をしてみましょう。
私はお母様に向き合いました。冷静に、冷静に。
「お母様、地位や身分だけで、人を測るのは」
「そういう人間がこの世には数え切れないほどいるのよ!」
それは、不意打ちの声量と勢いと圧力でした。
お母様がお怒りになるのはいつ以来でしょうか。いつか車道に飛び出してしまったときでしょうか、シルーと二人きりでおうちを抜け出したときでしょうか。
滅多に怒られなかったので、私は固まってしまいました。
お母様は腕が震えるほど拳を強く握って。
「低い家の出だとか、次男だとか、中身も見ずに本人のどうしようもないことで散々影口を叩く人間が! 身内にも外部にも! たくさんいるの!」
「まあまあ」
「あることないこと噂を流して、敵かと思えば昇進を重ねた途端に手のひらを返したようにすり寄って! 周りは信用できない大人ばかり! 結婚しなければよかったと毎日思うときがくるかもしれないのよ!」
「落ち着いて」
一気に喋り終えて、お母様はお父様の胸にお顔をうずめなさってしまいました。これほど負の感情をあらわにされたのは初めてのことでした。
耳に残る声の余韻が静まったとき、
「……わたくしは娘たちに苦しい思いをさせたくない」
ぽつりとした呟きが耳に届いて、私の心がきゅっと締め付けられた気がしました。
私の選択は、やはり親不孝だったのです。私も不安になって、お母様も嫌な気持ちにさせて。でも、そうしたら、私はどうすればいいのでしょうか。
怒られたからか、怖かったからか、反省か、途方に暮れたからか。色々な感情が押し寄せて、涙が出てきました。
「ご、ごめんなさい」
俯くと、落ちていって手の甲にぽたぽたっと。その音が聞こえるくらい、お部屋は静まり返っていました。
私はルドルフさんと世界旅行に行けばいいのでしょうか。そうすると、この地が好きなルドルフさんに、この地を離れさせることになってしまいます。
では、皆の反対を振り切って、ルドルフさんとこの地に永住すればいいのでしょうか。当然、家族にもルドルフさんにも、迷惑をかけてしまいます。
では、ルドルフさんとお別れすればいいのでしょうか。ルドルフさんを思い出させるものでいっぱいの私物に囲まれ、ルドルフさんのいない日々を送ることになります。
そもそも、私がルドルフさんを好きになどならなければ、誰かと恋なんかしなければ、
「フルー、今度、相手を連れて来るといい」
「……え」
先程からほとんどお話にならなかったお父様が、そうおっしゃいました。私とお母様が同時に顔を上げて、お父様を見つめます。
「あなた……」
「フルーの決めた人と一度話してみよう。中身を見ずに陰口を叩く人間にはなりたくないんだろう?」
「……うん」
「じゃあ、そういうことで。話は終わりかな? フルー、失礼するよ」
お父様がお母様を支えて立ち上がり、そのままご退出になりました。
お部屋で一人、ぼふっとソファーにもたれてクッションを抱きしめます。カップに残った紅茶からは、もう香りはしなくなっていました。
いつの間にか眠ってしまっていたようです。周りを見ると、お部屋は夕焼け色に染まり、知らぬ間に紅茶は片付けられ、私には毛布がかけられていました。使用人のおかげでしょうか。
お部屋を出て廊下を歩いていたら、お父様が窓から港町をぼんやりご覧になっているのを見かけました。
「お父様。いかがなさいましたか」
「やあ、フルー。この町は綺麗だな、と思ってね」
「そうですね」
私も隣に並んで見下ろします。夕陽は海とは真逆の方向に沈むのですが、だんだんと影が落ちていく町と水平線の近くでうっすらと白んでいるお月様が望めました。
窓ガラスの木枠をそっとなぞって、私は気になっていることを訪ねました。
「あの、お母様のご容態は」
「大丈夫だよ。お母さんは心配性だからね、許してあげてほしいな」
「……はい」
「僕も色々思うところはあるけれど、ひとまず」
ぽんっと頭に手が乗せられ、温かな体温と心地良い重さが伝わってきます。
「フルー、教えてくれてありがとう。君はお母さんと似ていてよく考える子だから、今回のことも色々悩んで決断した結果だと思っている。僕はそれを尊重するよ」
お父様は優しい声色で、ひどく優しいことをおっしゃいました。
私はよく考える子などではありません。私がよく考える子でしたら、きっともっと要領良くお母様を説得できたはずです。みんなのためにも、おうちのためにも、双方にバランスの取れた判断ができたと思うのです。
「……お父様」
「ん?」
「ごめんなさい。私、あの中から選べなくて」
わがままな子になってしまいました。シルーが真似をしてしまったらどうしましょう。お姉ちゃん、失格です。
陰る町を見下ろしていたら、視線を感じました。見上げると、お父様がにっこりと微笑みなさっていました。
「フルーもシルーも、君たちは僕の可愛い可愛い娘だから、元気で笑っていてくれたらそれでいいよ」
お父様が背負う夕空。その様相は刻一刻と変わっていくもので、橙から薄橙に、そして濃紺、紫に。またたく星が一つ、二つ、次第にぼやけて、たくさん見えるようになりました。
「間違っても、駆け落ちなんてしないように。お父さん、フルーに会えなくなったら嫌だな」
「はい」
「そろそろ夕ご飯の時間じゃないかな。行こうか」
「はい」
夕ご飯何かなぁ、と歩くお父様の、数歩後ろをついていきます。今まで一番、お父様の背中が大きく感じたときでした。
いつまで経っても、私のお父様は私のお父様だなぁ、と思いました。