1 奇妙な手紙
荷ほどきが終わらないのです。
春の花は咲いているけれども、快晴の日には夏の空模様になることもある。そのような春の終わりと夏の始まりの時期に、私は王都から港町へ引っ越しました。
「お姉様、またお届けものですわ。これは詩集ですね」
「ありがとうございます、シルー」
「まだお部屋のお片付けをしているのですか? もういいでしょう、早く海を見に行きましょうよ。猫ちゃんがたくさん見られるようですわ」
王都から離れられない両親と別れ、妹のシルーと二人で、海が見える丘の上へ。
引っ越しの際に持ち運んだものは、お気に入りの枕やアクセサリーなどの貴重品のみ。収集していた書物は郵送していただいて、家具は新しく購入する手はずになっていました。
ですので、日々お荷物が届きます。エンドレス荷ほどき。永遠に部屋が完成しません。
本日届いた詩集は、新しく注文した本棚に置きたいのですが、そもそも本棚がまだないのです。窓際に飾る花瓶も、ダイニングのテーブルクロスも、壁を彩る絵画も、何一つないのです。
お部屋にはベッドやテーブル、ドレッサーに収納棚といった生活必需品しかなく、どこを見ても殺風景でした。お父様、鹿の壁掛け彫像もいいですけれど、もっと彩りのあるものを送ってくださればいいでしょうに。
はあ、とため息をついたら、ドアがノックされる音がしました。シルーが再びお部屋にやってきたのです。
「お姉様、誰かいらっしゃいましたわ。使用人志望の方かしら」
「あら、ありがとう。そうだったらいいですね」
慌ててお部屋を出て階段を駆け下ります。ここは少し古い建物で段差の一つ一つが少し高いですから、一歩踏み間違えると大惨事です。気を付けて、なれど急いで玄関口に。
使用人の合格基準は王都にある実家と同様にしています。ただ、引っ越して以来何人か応募者が来るも合格者は未だゼロ。今日のお方も基準を満たさなければ、改定してもいいかもしれません。
なぜなら、王都から連れてきた唯一の使用人のおばばが、洗濯中にぎっくり腰になってしまったからです。我々は使用人不足にあえいでいるのです。
ドアの前に立って、髪とスカート等の身だしなみ、そして呼吸を整えます。第一印象が大切ですから。
「はじめまして、ようこそ。私は、この家の主のフルー・ティグレです」
私は扉を開けて、外に立っていた使用人志望の方に笑いかけました。
たとえこのお方が使用人になったとしても、お洗濯係にお料理係、お掃除係と、使用人はまだまだ足りません。ある程度の人数が揃うまで、私も家事をしなければなりません。
家事のお手伝い、両親からの書簡の返事、家計の計算などなど、やることは山積み。そして、荷ほどきが終わらないのです。
始まったばかりの新生活は、大変に忙しく大変に楽しい日々でした。
起きては働き、気絶したように眠る。そのような日々を繰り返していました。
今朝もお部屋に近付くパタパタとした足音で目が覚めました。
「お姉様、起きていらっしゃいますー? 朝ですわよ」
「……もちろん。ふぁ……」
「あらあら、ご立派な寝起きですこと」
少し年の離れた妹のシルーは、困ったほどに快活な子。うう、カーテンを開けないでほしいです。日光が眩しいのです。
起き上がれば頭がずんと重い気がしました。シルーも私の頭部を見てくすっと笑みをこぼします。
「まあ、個性的な髪型ね。寝癖と名付けましょう」
「これは流行りの髪型ですよ」
「はいはい、そうですね。本物の流行ヘアに整えてあげましょう」
冗談を言い合いつつ、早速朝の支度が始まりました。
私の髪は、お紅茶にたっぷりとミルクを注いだような白茶色で、やや癖があるのが悩みです。
一方、シルーは甘くまろやかなココア同様の焦げ茶色の髪を持っています。指通りがなめらかな長髪は羨ましい限りです。
お洋服に着替えていますと、シルーがアクセサリーを選びながら話しかけてきました。
「お姉様、今日は下の港町に行きませんか? 王都で話題のサーカス団がいらっしゃっていますわ」
「今日は確か、お庭のテーブルと椅子が届く予定ですから、ごめんなさいね」
「では、夕方になったら海辺を散歩しましょ」
「夕方はお料理のお手伝いがあります」
「あら、そう。それなら夜はどう?」
「今夜こそ、お父様へのお返事を書きませんと」
「もう、お仕事ばっかり! 過労死しますわよ」
キッと睨まれました。あら、お可愛いお顔は、お可愛いまま。私の妹は本当にお可愛いのです。
私はシルーの頭を撫でて、可愛くふくれるお顔を覗き込みました。
「シルーは楽しんできてくださいね」
すると、私の手はぺちっと払い除けられ、シルーはふんっとそっぽを向きました。
「もういいですわ。お姉様はお好きなだけお仕事して、おとなしくわたくしのお土産を待っていればいいのです」
「ええ。ケーキ、とても楽しみです」
「お土産の指定だなんて図々しいこと。フルーツケーキしかいただいて来ませんわよ!」
「嬉しい。ありがとうございますね」
フルーツケーキは私の大好きなケーキです。シルーはツンツンしていますが、お優しい子なのです。
支度を済ませ、二人で水平線が望めるダイニングへ移動しました。
ダイニングでは、この町を見下ろすことができる絶景が見えます。おうちがある丘の麓には鉄道の駅があり、丘と港町を区切るように線路が置かれています。
線路を超えると、商港を中心とした港町が広がります。湾の入口には灯台がそびえ立ち、また、商港から少し離れた桟橋には海軍のいかつい大型船が泊まっているのです。
貿易による物流の拠点として栄え、海軍基地の機能も兼ね備えている。商港と軍港が併設されている都市が、この港町なのです。
それなりに大きな都市で、劇場や博物館などの施設も充実していますから、遊びたい盛りの好奇心旺盛なシルーが、お出掛けしたくて仕方ない気持ちもわかります。お姉ちゃんも遊びたいです。
けれど、私はお仕事があるのです。ぎっくり腰おばばの代わりにお洗濯物を干すというお仕事が。
シルーが運転手兼従者である新人使用人と車に乗り込み、町へ降りていくのを見送ったあと、私はお仕事に取り掛かりました。
裏庭に一陣の夏の風が吹き抜け、干したタオルやシーツが揺れ動き、重力に従って垂直に戻っていく。木の葉のざわめきもあいまって、まるで波のようです。
こういった時間は好きです。世界に自分一人きりみたいで。
「すみませーん」
白い布の海の向こう、正面玄関のほうから、ふと声がしました。波をかき分け、表に回ってみますと、疲れた表情のたくましい体つきの少年が、自転車をまたいで腕で汗を拭っていました。
「あ、人いた。あの、郵便でーす」
「まあ、ありがとうございます」
「はい、あざしたー」
私の書いたサインを確認後、配達少年くんはどこか楽しそうに自転車で坂道を滑り下って行きました。
届けられたのは『丘の上のおうち』という適当な宛先が書かれた封筒でした。差出人の住所はこの港町のどこか。切手は素敵なお花の絵柄で、お値段的に王都からのものではありません。
では、一体どなたから?
私は玄関のカウンターの引き出しからペーパーナイフを取り出し、じわじわ切り開きました。
ぱらりと出てきたのは一枚の紙のみ。短い文面に目を通します。
『はじめまして。こんにちは、フルーさん。
突然こんなの送っちゃってすみません。俺は近くの港町に住んでいるルドルフといいます。
たまたまフルーさんを見かけて、気になったのでお手紙を出しました。もしよかったら、俺とお友だちになりませんか。
良い返事を待ってます。ルドルフ』
なあに、これは。
書き慣れていなさそうな、よたよたした文字。たどたどしい敬語。あまり聞いたことのない言葉遣い。それは、普段は文字を書いていないと思われる方からのお手紙でした。
疑問は色々あるけれど、一番気になったのは『たまたまフルーさんを見かけて』。
「私、港町に行ったことがないのですが……」
晩春と初夏の境目。新天地にやってきた私に届いたのは、ちょっぴりホラーでへんてこりんなお手紙だったのです。