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1-3

「……思っていた通り、いえ、それ以上に困難な事態ですわね。要はヴァレリー様を利用するつもりで妻として迎え入れた、と。ですから、この婚姻は考え直した方がいいと何度も……」


 部屋に案内されて、しばらくすると侍女のセシルがやって来たので、絶望に打ちひしがれながらつらつらとアベルから言われた事情を話したのだった。

 あまりのことにヴァレリーの中だけで留められないと思ったし、セシルもその心づもりでいてもらった方がいいからだ。


「セシルの言うとおりだったわね……。そうよね、没落貴族の嫁き遅れが、四大貴族のシュタールベルク家に嫁げるはずなんてなかったのよね」


 ヴァレリーは赤い背もたれのどっしりとした椅子に腰掛け、躓いて痛めた右脚を足台の上に置き、冷たい水で絞った布で冷やしていた。


「それはそう……いえいえ、でもですね。ヴァレリー様は畏れ多くもリヒャルト皇太子の家庭教師だったんですよ? その実績があれば、高級貴族の妻として求められても当然であるべきで……」


「その実績を正しく評価されたってことだと思うわよ。伯爵のご子息の家庭教師に、ということだもの……でも」


 ヴァレリーは天井を仰いだ。


「私も人並みに嫁いで、優しい夫とかわいらしい子供達に囲まれながら暮らしていきたい、という夢は破れたわね」


「ええ……そうですわね」


「夫となる人に初めて会うのだからと、いつもひっつめていた髪を垂らして、少しでも娘らしく見えるように淡い青色のドレスを着てきたのに……」


「そうですわね……。どうしたら印象よく見られるかと三日三晩考えて決めた髪型とドレスでしたのに……」


 セシルの瞳が憂いを帯び始めたので、それを見るとこちらも憂鬱な気持ちが深くなっていった。


「それに踵の高い靴なんて履いたから、無様に躓いてしまったし」


「こんなことならば、家庭教師だったときのように黒髪を堅くひっつめて、黒い上着に全くひらひらしていないロングスカートを穿いて、黒い編み上げのブーツを履いて、教鞭でも持っていればよかったですね!」


「まったくその通りよ! 酷いわよね!」


 そうしてセシルと話しているうちにだんだん気持ちが楽になっていった。

 この人と一生添い遂げるのだ、と思った夫に既に愛人が六人もいて、子供まで居るのはショックだったが、結婚後に愛人を作られるよりもマシであるし、そもそも、夫が愛人を作るなんて貴族の社会では普通のことなのだ。


「まあ……でもそうよね。リヒャルトが大学へ通うことになって家庭教師はお役御免になって。そもそも私は身分が低い伯爵家の娘だから、嫁ぎ先を探すよりも仕事を探した方がいいと、家庭教師になったくらいですもの」


 そして、実はヴァレリーが家庭教師になったときにはリヒャルトは皇太子ではなかった。

 皇太子どころか、王位継承権は二十位と、どう転んでも国王になることなんてないだろうという人だった。

 それがどういった運命のいたずらか、皇太子として立つことになった。それと同時にどんどんヴァレリーの立場も変わったものになっていったのだ。


「そもそも家庭教師がお役御免になっても、嫁ぎ先を見付けられるなんてまるで思っていなかったもの。お父さまとお兄さまが勝手に決めた話とはいえ、私にとってはこの上ない話だったわ」


「ええ……。ここへ来る道中はとてもはしゃいでいらしましたものね」


 そのことを思い出したのか、セシルは瞳の淵に溜まった涙をそっとハンカチで拭った。

 それを見て、ヴァレリーも泣きたいような気持ちになってきた。

 よくよく考えたら、いや、よくよく考えなくても酷い話なのである。

 ヴァレリーは大きくため息を吐き出した。


「……そうね。でも気持ちを切り替えることにするわ。どこかのお屋敷の家庭教師をするのが相応だったろうに、それがたまたま嫁ぎ先が見つかってこちらへやって来て。望まれたことが当主のお子様がたの家庭教師ならば、まあ、悪くないんじゃないかしら? なにしろこちらは、とても身分のいい方だし」


 そう口にしているものの、無理をしていることは丸分かりだった。

 家庭教師の仕事は嫌いではない。

 でも、それはもうやらないつもりだった。家庭教師と花嫁になることと、天秤にかけたら花嫁だと思ったのだ。

 それに、もう自分を偽るのは疲れた。

 だというのに、今後もそれを続けなければならないと思うと、気持ちがみるみる萎んでいく。


「ヴァレリー様、それはいくらなんでもご自分を卑下しすぎでは? 他にも嫁ぎ先はあったはずですよ? ヴァレリー様は家庭教師になられるよりも、身分は高くなくてもどなたか優しい方に嫁ぎたかったのでしょう?」


「理想を言えばそうだけれど……」


「ならばこんな婚姻、破棄してしまえばいいのではないですか? ええ、そうしましょう!」


 セシルは強く拳を握りつつ熱弁するが、そんなことができるとは思えない。

 シュタールベルク侯爵家なのである。

 没落貴族であるクラネルト家とは本来ならば対等に口を利くことも難しい家柄なのである。父も兄も、ヴァレリーの婚姻を喜んでくれていた。

 向こうが破棄を望むならばともかく、こちらから破棄を申し出るなんてことは許されない。

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