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プロローグ

 やっと偽りの自分から解放されて、自由に生活できる!

 ヴァレリーの心は躍っていた。

 今まで住んでいた王都ハイデルから遠く離れた場所にある、シュタールベルク侯爵家の城へ向かう馬車の中だった。

 花嫁を迎えるため、と立派な六頭立ての馬車を寄越してくれた。貧乏伯爵の娘である自分がこんな馬車で迎えられるなんて。それだけで胸がいっぱいだ。

 今までがんばって耐えてきてよかった、とそう思っていたのだが。


「……ですが、シュタールベルク侯爵はどんな方か分かりませんし。あまり期待しすぎるのはよろしくないですわ」


 隣の席に座っていたセシルが幸せな気持ちに水を差すようなことを言う。

 セシルはヴァレリーと同じ黒い髪に青みがかった瞳の女性である。背丈もそう変わらない。ふたりで並んでいると姉妹に思われることもある。

 ヴァレリーはセシルの主人で伯爵令嬢ではあるが、もう娘のような可愛らしい色合いのドレスを着るような年齢ではないし、そもそもあまり華美な格好を好まず、今日も紺色の落ち着いた色のドレス姿である。

 せっかく幸せな気持ちに浸っているのに、と思ったが、この自分が幼い頃からずっと仕えてくれている、姉のような存在の侍女は、自分のことを心配してそんなことを言っているのだからとすぐに思いなおした。


「そうかしら? 侯爵という身分と、私とそう年が変わらない、ということと、なにより私を花嫁にと望んでくれているというだけで、最高の条件が揃っていると思うのだけれど?」


「ですが。去年お父様を亡くして、急に侯爵になった方です。王城の方にもほとんど顔を出したことがないだとか。もしかしてそんな事情から、皇太子殿下の家庭教師をしていたヴァレリー様に目をつけて、皇太子殿下や国王陛下に自分との渡りをつけて欲しいなんて考えているかもしれませんわ」


「そうね……そのくらいのことは考えているかもしれないわね。なにしろ、私は侯爵とは身分の釣り合わない貧乏伯爵の娘であるわけだし」


 しかし、そのくらいの事情はあってしかるべきだと思っている。

 この時代の女性としては嫁ぎ遅れと言われてしまう年齢で、もしかしてこのまま一生結婚することができないと思っていたヴァレリーを迎えてくれてくれるだけで、それに有り余ることだ。


「それに……王城にあまり顔を見せたことがないということは、どんな方なのかよく分かりませんし。私が集めた情報によると、暴力的であるとか、偏屈であるとか、そんなことはないようでしたが」


「充分だわ」


「……そうでしょうか? 恐れ多くも皇太子殿下の家庭教師を勤め上げたヴァレリー様なのですから、もっといい嫁ぎ先もあったのではないでしょうか? 侯爵という身分は素晴らしいですが、嫁ぎ先での幸せを考えれば、身分に拘わらず、相手の方と二度三度とお会いしてから、結婚を決めた方が……」


「私もその方がいいとは思うけれど……お父様もお兄様もこの婚姻には乗り気で、私の同意なんて取ることなくすぐさま了承してしまったのだから仕方がないわ」


「それから、侯爵という身分も気になります。なにかあるたびに、貧乏伯爵家の出身であるくせに、とのような言われてしまうかもしれません」


「まあ、事実であるのだから仕方がないわ」


「そのような呑気な……」


「きっとなるようになるわよ。今からあれこれ心配しても仕方がないわ」


「その能天気さはヴァレリー様の長所であるとは思いますが、その周囲に流される性格から、皇太子殿下の家庭教師として、とんでもないご苦労をしたことをお忘れですか?」


「ははは……」


 思わず苦笑いを漏らしてしまう。

 そう、今は皇太子殿下になって『しまった』リヒャルトの家庭教師をしているときには、大変な苦労を負ってしまった。

 それというのもリヒャルトの企みに気軽に乗っかってしまったからなのだが……いや、しかしそれを後悔してはいない。家庭教師としてああするのが、リヒャルトのためによかったのだ。


「とにかく! これから私は家庭教師ではなく、侯爵夫人として暮らしていくの! 今までのような苦労とは無縁のはずよ」


「王都に残って、どなたか身分が高い方の、子女の家庭教師となるのもよかったと思うのですが。実際そのような話もありましたよね?」


「それも楽しそうだけれど……。王都には私の間違った評判があるから、やりにくいわよ」


「それはそうでしょうけれど」


 セシルはそれからも、ああでもないこうでもないと言い募った。

 心配してくれる気持ちは嬉しかったが、そんな心配しすぎだわとヴァレリーはあまり取り合わなかった。

 きっとこれから、侯爵夫人としても素晴らしい日々が始まるのだから。少しの苦労はそりゃあるだろうけれど、今度こそ自分らしく暮らしていける、という気持ちは変わりなく、新たな生活に希望を抱いていた。


(私、今度こそ幸せになります!)


 しかしそんな希望は、シュタールベルク家に到着して間もなく打ち砕かれることになった。

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