990:青き瞳
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お忍びでパリに来るのは実に十年ぶりになります。
大勢の人が行き交う中でも、私とオーギュスト様が一緒に歩いても注目を浴びることはありません。
お互いに目立たない服装を身に着けており、今日は「庶民」に溶け込んで出歩くことになっているからです。
庶民といっても、服はしっかりとしたものを着こんでいることもあってか、身動きがしやすく歩いていて苦痛を感じることはないのです。コルセットをきつく縛る風習も廃れつつあります。これは骨盤に掛かる負担が大きく、腰痛の原因になるという理由で病気等の事情がない限りはコルセットの着用に関しても、負担にならない範囲で執り行うことになったそうです。
「こうして二人っきりになるのも久しぶりだなぁ……」
「そうですね、あまり外でこうして出歩く機会は殆どありませんでしたからね……」
「ま、今日は久しぶりに自由の日だ。とはいえ、最後には改革派のサロンに顔を出して彼らと会話をしてどうなっているか確認したいから1時間近く時間を要するけど問題はないかね?」
「問題ないですわよ」
「よし、それじゃあ一緒に行こうか」
「はい!」
豪華な馬車に乗り降りすると王族である事が周囲に露呈してしまうため、地味な配色の馬車を使って向かうことになりました。
降りて向かったのは蒸気機関車記念公園でした。
蒸気機関車に関するイベントなどを掲載したり、実際に試験走行用に走らせていた蒸気機関車などを展示している公園になります。
子供向けに小型の蒸気機関車を使ったレール遊びなども執り行っており、今では市民の憩いの場として活用されているのです。
この場所は十年以上前にパリ大火によって焼失してしまった住宅地の一角を借り上げて作られた公園であり、整備計画の中でも災害時には住民たちの避難場所として設計できるように、住居などが建てられるようにタイルなどに模様などを書いて簡素な家をすぐに設置できるようにしているのが特徴的でもあるのです。
「この蒸気機関車記念公園には災害時用の簡易住宅が建てられるようにタイルには目印をしているんだ。殆どの人は模様のように見えているかもしれないけど、いざという時になったらこれらのタイルに沿って住居を組み立てる事ができるようにしているのさ」
「簡易住宅……どういったものなのでしょうか?」
「予め作られた木材などを組み立てる方式なんだ。耐久性はそこまで高くはないけど、その反面すぐに作れて組み立てられる工法を教えておいたから、仮設住宅として数年程度は居住できるような代物だね。仮設住宅に住んでいる間に、住宅を再建したらその仮設住宅を撤去して木材に加工して再利用できるようにしているのを簡易住宅として採用しているんだ」
簡易住宅は、既にヨーロッパ諸国でも採用が決まっているそうです。
そこまで大量の資源を使うわけではありませんが、組み立てなども掘っ立て小屋よりも見栄えが良く、尚且つ大量に作る事が出来る代物という事もあって、工事現場などでも使われ始めているそうです。
沢山作れるのも、工場で木材を加工して生産できるからだそうですが、この工程作業を決めた仮設住宅は軍においても使われているらしく、野戦司令部の設置などにも使われているとのことです。
「これは……オーギュスト様が指導して作り上げたのですね?」
「いや、そこまで大したことはしていないよ。ただ、パリ大火の時には住宅不足で都市郊外に居住を余儀なくされた人が大勢出たからね……空き家なども活用しても、すぐに一杯になってしまった経験を活かして、これをパリだけじゃなくて他の都市部や地方にも拡大させることができれば、いざという時に活用できるようにしておくのが災害が起こった時にすぐに活動できるからね。それに……」
「他にも理由があるのですか?」
「災害といっても天災だけじゃなくて戦争も一種の災害だからね……ベルリンの戦いで劣悪な環境に置かれた市民の間でペストが大流行してしまったのも、住宅がなくて廃墟化した家で無理に住んでいたことでペストに感染したネズミを媒体に感染が広がった事が要因とされているんだ。そういったリスクを下げるためにも仮設住宅の建設ができやすいように法整備なども進めておくのが指導者としての責務でもあるんだよ。自国民だけではなく、戦争で相手国の国民も苦しめるのは流石に心が痛む。特に戦火によって住居を失ってしまった人間は可能な限り助けたいんだ」
オーギュスト様の願いとしては、戦乱で家を失った人達が路頭に迷い、野宿などを強いられてしまった結果、ベルリンの戦いで衛生環境が悪化し、それが原因でペストが大流行してしまったことを悔やんでいるとも語っておりました。
戦争では兵士だけではなく、民間人も巻き添えになるケースが多いのです。
吟遊詩人では、戦争に関しては賛美の声などが語り継がれておりますが、きっとその賛美の声の裏には大勢の人が犠牲になった血で罪重なった勝利の宴なのかもしれません。
オーギュスト様は戦争が好きではないのです。
戦争が起こるにしても、自国領や同盟国が戦乱に巻き込まれた際に反撃するための【防衛戦争】のみに徹しており、自ら戦乱を引き起こすことは決してしないと宣言しているほどです。
特に、侵略戦争を毛嫌いしている事も公言なさっている程ですから、戦争をしないに越したことはないとも語っておりました。
「戦争は出来れば避けたいが、向こうから仕掛けてくる以上は反撃できる手段を持ち合わせないといけない。一部の平和主義者は武器を捨てれば戦争が無くなると語っていたが、それは相手が侵略戦争をする気であれば一気に意味を成さない。相手に一方的にやられるだけだ。人類は元々狩猟を始めてから文明を築いた種族だ。戦うことを義とするように作られているのであれば、全人類が一斉に武器を捨て去ったとしても、素手と棍棒で戦おうとするだろう。真の平和主義を実現するにも軍は必要な存在でもあるんだ。」
オーギュスト様はそう言って、公園のベンチに座って遠くを見ているようでした。
まるでこれまでに数多くの戦争を経験したかのような、そんな雰囲気を醸し出していたのです。
オーギュスト様にとって、戦争を回避するために軍備を整えることが大事であると語っておりましたが、その理由としては軍を保持し、それを一定数有することで相手が戦争を起こそうとした際に、手痛い代償を負わせることが出来ることを見せることで抑止力になるということになるそうです。
相手が戦争を行おうとしても、軍備力がある程度あれば相手も簡単に戦争を行おうとするのを躊躇するようになる。戦争をしないためにも軍の存在が必要不可欠だと語っておりました。
オーギュスト様は今回の戦争の行く末を見ているのかもしれません。
私よりも……いえ、フランスの中で一番戦争の行方がどうなるか見極めているのかもしれません。
オーギュスト様の支えになれるように、王妃としての責務を果たしていく所存です。