96:仏墺同盟は健在なり
「しかし良かったのかね?”海豚の刃”については貴国の機密事項なのだろう?」
ヨーゼフ2世は会談が終わる直前にそう話した。
確かに機密事項だ。
しかし、反改革派の主流たるオルレアン家を失脚させて以来、彼らの支持者は少なくとも表には立っていない。
この手を打ち明けられるのは、それだけ国内で根回しした結果によるものだ。
「ええ、機密事項にあたりますがオーストリアが我が国と同じように改革をするというのであれば手の内だけでも教えるのが同盟国としての筋だと思ったのです」
「なるほどな…しかし、本当に貴殿は16歳なのかね?少なくとも年齢以上に手強いと感じたぞ」
「…周囲の方々のサポートのおかげですよ。私個人ではできる事は限られております」
国土管理局が無かったら今頃改革をしたくても出来なかっただろう。
それだけに、現在の俺は非常に恵まれている。
サポートをしてくれる人達がいる上に、改革にも意欲的な人達が一致団結して物事の解決に取り組む。
そうした環境があるからこそ改革を行えているんだ。
サポートなしでは、いくら国王いえど行えることは限られてしまうというわけだ。
「そうか…だが、周辺国でも貴殿より大胆で且つ開明的な判断を下せる元首はおらんだろう。ひょっとしてまだ奥の手を隠し持っているのではないか?」
「それは皇帝陛下のご想像にお任せ致します。ただ…」
「ただ?」
「庶民を決して侮辱してはいけないと存じ申し上げます。国民の大多数を敵に回せば名誉も尊敬も失われてしまいますから。仮に改革がうまくいかなかったとしても庶民を責めるような発言だけはお控えください」
世界中で起こった改革でも、庶民を馬鹿にした政治家というのは短命に終わっている。
俺たちは偉いんだ。
お前達一般市民は馬鹿だと考えているような意識高い系の人間が政治を握れば必ず混乱が生じる。
日本でもかつて経験した苦い思い出があった。
理想的な政治公約を掲げた政党に政権交代をした途端に、経済が滅茶苦茶悪化して災害時の対応も悲惨だった。
おまけに大臣などは市民を小馬鹿にした発言を繰り返し、結果的に総選挙で大敗北を起こしたのだ。
当然の結果ともいえる。
これが民主主義国家ではなく中近世の国家や独裁国家ならどのような事が起こるか?
最初は武力などでデモや反乱を鎮圧しようとするだろう。
だが、不満を溜め込んだ民衆が外国の勢力に吸収されて暴発したらどうなるか?
その時に起こるのが内戦や革命といった事態なんだよね。
大量の国民の血を流してしまう行為。
これは称賛できるものではない。
そうならないように、俺は細心の注意を払っている。
もちろん改革のメンバーにもそうした取り決めなどは徹底させているのだ。
酒に酔って市民に暴言など吐かないようにと、酒を飲む際には自宅か宿泊するホテルなどから外に出ないようにしていたりする。
情報漏洩の心配もあるし、酒と女と金に溺れたら破滅するってそれ一番言われているから。
問題を放置しない、羽目を外し過ぎない、嘘をつくな。
改革責任者にはこの三つだけは必ず守るように厳命している。
ヨーゼフ2世も理解したようで、頷いている。
「なるほど…分かった、肝に銘じておこう。それから最後に貴殿に一つ聞きたい」
「何でしょうか?」
「いつアントワネットと子供を作るのかね?」
「……」
…。
……。
oh……。
それ今ここで聞いちゃいますか義兄さん!
せっかくシリアスな場面だったのに……。
子供は作りますよ!ええ!
ただ、作るにしても時間が掛かるんです!今改革やっている真っ最中ですし!
それに年齢的にもあと3年だけ待ってほしい。
予想だにしていない質問が飛び出してしまったので、俺は内心で動揺を抑えつつヨーゼフ2世に話をする。
「こ、子供ですか?」
「そうだ、世継ぎはなるべく早く産んだほうが良い。もし貴殿に何かあったら後継者がおらぬではないか。無論、今すぐにとは言わんがな」
「その……子供の件ですが、改革の最重要事項を解決してから子作りをするつもりです。ただ、時間はどうしてもかかりそうです」
「どのぐらい掛かる?」
「……現在の改革の進行状況からして早くて3年後辺りかと……」
「3年かぁ……」
3年間はアントワネットと一緒に色々な事をしたいんだ。
仕事のことだけでなく、プライベートでも親睦を深めていきたい。
無論、そうした世継ぎの関係上必要な事であることは分かるんだ。
ちゃんと誤解を生まないようにヨーゼフ2世に説明を行う。
「私はアントワネットとの平穏な日常を望んでいるのです。彼女と一緒にいると……今の私にとっては青春でもあるのです。フランスの大きな課題の解決への道筋をしっかりと立てつつ、宝石でも代えられない貴重な時間を過ごしてから……私はアントワネットと大人としての一歩を踏み出していきたいのです。子供を産めば、そうした二人で過ごす時間も減るでしょう。だから今、このひと時を楽しみたいのです……」
アントワネットと幸せに暮らしたい。
転生時に立てた目標だ。
この目標を実行に移すまでにはまだまだ壁もある。
そうした壁を取り外すまでには時間が掛かる。
もちろん、アントワネットとの関係は非常に良好ではあるが、肉体的にもっと成熟してからそうした世継ぎの行為をするべきなんだよね。
今はまだ15歳の少女だ。
大人の階段を昇るにはまだ早い。
誰がなんと言おうとも、18歳になって成熟するまではそうした行為はしない。
「確かにな……あのアントワネットが貴殿にはベタ惚れしているというからな。あいつはお転婆だし、まだ少女としての心を捨てきれていないのだろう。いや、貴殿との時間を一緒に過ごしたいからこそか……ふふ、随分と優しいのだな……貴殿は……」
ヨーゼフ2世はそう言うと俺の肩を優しく叩いて耳元で呟く。
「アントワネットを頼む、あのお転婆を王妃として……いや、一人の女性として愛しているか?」
「はい」
「そうか……ありがとう」
ヨーゼフ2世の瞳の奥には、どこか涙が浮き上がってきそうな雰囲気だった。
恐らく、俺の気持ちを悟ってくれたのかもしれない。
ヨーゼフ2世と腹を割って話して大正解だった。
その後、ヨーゼフ2世はアントワネットとも話を個室で30分間ほどしてからヴェルサイユ宮殿にて一泊することになったのであった。