877:モスクワ前哨戦(上)
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1794年7月22日
救世ロシア神国領 モスクワから100km離れた町 クリン
スウェーデン軍は怒涛の進撃を繰り広げながらモスクワまであと一歩のところまで迫っていた。
各地で救世ロシア神国による圧政とカルトによって苦しめられていた民を解放し、新ロシア帝国側からも志願兵として招集された6万人の兵士がモスクワに向かって前進を続けている。
そして、このクリンという町はモスクワの中心部から100km圏内にある町であり、戦略的にも補給拠点がある町であったため、スウェーデン軍は夏季攻勢に合わせて占領を試みている最中であった。
フランスからライセンス生産という形で供与されたマイソールロケット砲をふんだんに活用し、その中でも城塞攻略として開発された重マイソールロケット砲を惜しみなく最前線に投入。
人間の壁を作って抵抗する救世ロシア神国軍に対してその効果を遺憾なく発揮した。
「押せーッ!!!救世ロシア神国軍の連中は隊列が乱れている!!どこを攻撃しても突破できるぞ!!!」
「いくぞ!俺たちの強さを見せつけてやれ!」
「阿片で弱り切っている連中だ!平手押しでも勝てるぞ!!!」
「前進!前進!前進ィーーーーん!」
スウェーデン軍の騎兵隊がサーベルをもち、隊列が乱れている救世ロシア神国軍の前衛部隊に斬り込みにかかる。
阿片の供給量が少なくなって無痛兵士が減ってしまい隊列が乱れているのも理由の一つではあるが、もう一つは戦闘経験のない素人を採用してそのまま前線に無造作に投入しているという理由もあるのだ。
つまるところ、士気が低いのだ。
救世ロシア神国軍として、降臨神への忠誠こそ高いが……。
兵士の質としては、農民に武器を持たせた程度でしかない。
しかも、多くが農具で武装しており、辛うじてその中でも一部部隊だけがマスケット銃や火縄銃などの飛び道具を保有している状態なのだ。
こうした状態の結果、軍隊の組織改善が行われるどころか、各地の戦線が崩壊の兆しを見せている為に、全国民から農民などを招集して戦わせる方針をとらなければいけないのだ。
結果として、それは救世ロシア神国の首を絞めることになった。
なぜなら今は小麦の収穫時期で、収穫に必要な人員すらも引き抜いてしまっていたのだ。
大勢の農民兵にとって、それまでの大地主から救世ロシア神国による降臨神ピョートルから与えられた土地で麦を育てるように育てていたものの、それができなくなってしまった事。
さらに、旧ロシア帝国領への軍事侵攻が失敗に終わり、スウェーデン・新ロシア帝国方面から軍が侵攻してきたことで、彼らの侵攻体制によって形成された軍隊では、太刀打ちできない状況になってしまったのだ。
後方支援に必要な食糧の確保が難しくなり、さらにモスクワからは降臨神プガチョフの退避なども極秘裏に行われている程であった。
表向きには『ピョートル降臨神様はコーカサス地方への巡礼のため、モスクワを離れる』と宣言し、モスクワに住んでいる市民の多くは、すでにスウェーデン軍が近くまで来ていることを知らされていなかった。
ただ、これは既に負け戦であったが、単なる戦略的撤退をするだけではない。
負け戦故に、如何にして相手にも出血を強いてから疲弊させる戦法に切り替えたのだ。
所謂、焦土化作戦に向けた準備を刻々と進めており、農民兵の招集に関しても、奪還された地域の麦の収穫を遅らせて、生産を低下させる目的で実行したのである。
言わば、転んでもただは起きぬ状態で戦争を継続する道を選んだのだ。
ピョートル降臨神に盲信する信者や農民に対しては、神からの思し召しとしてパンなどを配給すれば、皆喜んで重装騎兵などが蹂躙する戦場でも笑顔で命を散らす覚悟がある。
10歳にも満たない少年少女なども動員し、学校の神教師に選ばれた者が扇動する形で突撃を命じるのだ。
「いいですか!ピョートル降臨神様は我々を遠い場所から見てくださっております!我々が少しでも犠牲を払い、愚かで野蛮なスウェーデン軍の侵攻を食い止めれば、その勇姿を見てくださいます。必ず天国へ導かれるようにしてくださるでしょう!さぁ!いきましょう!先生についてきて敵に向かって突撃するのです!!!」
最悪なことに、子供は従順であった。
従順であるが故に、少年兵の多くが装甲などを被らずにスウェーデン軍の前に立ちはだかり、小さい身体ながら突撃を敢行していく。
斧や槍などを構えて突進してくるのを、重マイソールロケット砲であったり重装騎兵などが突撃を敢行して質量でねじ伏せる。
スウェーデン軍の兵士達にとって、その光景は強烈かつ自分達の子供と折り重なるように見えるため、一部では兵士の心身に異常が起こってしまい、手が震えて大声で泣き出してしまう兵士が増えてしまったのだ。
「あああああああ!!!俺の子供が!俺の……!うわああああああああああ!!!」
「アルドリア上等兵!!落ち着け!あれはお前の子供じゃない!!!お前のせいじゃないんだ!!!」
「くそっ、今日も精神がおかしくなった奴が出てきたか……」
「今日だけで3人目だぞ……モスクワに着いたら部隊全員が発狂してしまうよ」
スウェーデン軍とて、無傷では済まなかった。
彼らの多くが戦争の際に、少年兵の多くを殺めたことで心的外傷後ストレス障害を発症し、泣き叫んだりフラッシュバックによって悪夢に苦しめられる事例が多発。
宣教師であったり、カウンセリングとして派遣された医師の下に、日に日に長蛇の列となって懺悔であったり、体調不良を訴える事例が相次いだ。
そのため、一旦こうしたストレス障害を発症してしまった部隊の多くを下がらせて、次の部隊に交代する方式を採用した。
これにより、スウェーデン軍はストレス障害を発症して脱落してしまった者を後方に下げながらも前進を繰り返し、前に進むことができた。
一方で、これ以上の対抗手段がない救世ロシア神国軍は、ただただひたすらに人的資源をすりつぶす結果となり、彼らは徹底した人海戦術による人間津波と称する突撃を繰り返し、近代兵器で武装するスウェーデン軍に立ち向かうしかない。
人員はいくらでも補充はできるが、武器や兵器の類は旧式のままであり、中には射程や威力の劣る15世紀頃の装備品で対抗する部隊も出始めている。
こうなってしまうと、立て直しは難しく……軍隊の再編すらもままならないままに無造作に人的資源を突っ込ませてその場しのぎをする以外の方法で、有効な対抗手段が無くなってしまったのだ。
良くも悪くも、救世ロシア神国軍の強みは人的資源の損失を伴う大規模突撃ドクトリンであり、人海戦術によって人の津波を引き起こして、村や要塞を呑みつくす事を主目標にして、オスマン帝国などに侵攻していたのだ。
それが今では反って裏面になってしまっており、戦場では老若男女問わず多くの死体の山が出来上がってしまったのだ。
その屍の上をスウェーデン軍の兵士達は進み、モスクワに向けて前進を繰り返していくのであった。




