872:リハビリ
ルジェ・ド・リールに面会すると、物凄く腰の低い人だった。
現在行われている治療法を見せてもらったが、松葉杖などを用いて義足の人などに歩行訓練を行い、ゆっくりと歩けるように訓練を重ねている様子であった。
また、とりわけ俺が興味を持ったのが義足の作り方であった。
「まだ片足が残っている場合は、こうして義足を用いた歩行訓練が重要になりますからね。残っている足の機能を保つためにも、マッサージであったり義足の調整を欠かせません」
「やはり、最初に足の石膏を取ってから義足を作るのだね……」
「ええ、これがないと義足が作れないですからね。義足を用いるためにも、最初に足の残っている部位から型を取り出さないと作れません」
義足を作る際に、石膏をかたどって本人の足回りのサイズが合うように調整を行うのだ。
これは現代においても義足を作る際に行われている工程とほぼほぼ同じであり、そこから靴職人や革職人、そしてメインとなる義足の形を整える木工職人の人達が、本人に合ったサイズの足を作るのだ。
最初は大きめに作り、そこから微調整などを繰り返して歩行サイズに合うように削るという。
サイズに見合って問題がないと判断すれば、そこからさらに義足を仕上げて機能的なものに仕上げていくという。
カリブ海戦争後から、国からの助成金が出るようになって以降、こうした義足であったり車椅子の生産に関しては物凄い速さで進化していっている。
特に、傷痍軍人のみならず事故や先天性の障がいを持った人達への補助としても活用が行われているため、史実以上に急速にバリアフリー化であったり、そういった身体機能に障害を持っている人達への偏見もなくなりつつあるのだ。
こうしたこともあってか、ルジェ・ド・リールから直々に現在の状況を教えてもらったが、どうやらバリアフリーも進められているのは、ここ3年程で急速に広まってきたと語っていた。
「やはり、陛下の助成金を多く出す政策が功を奏しました……3年の間に傷痍軍人のみならず、生まれながらにして身体に障害を持っている人でも、移動が容易にできるようになっているのです。これに関しては本当に素晴らしい事です」
「いや、まだまだ足りんよ。パリ市内だけではなくフランス全土にこの福祉的な考え方を広めないといけないからね……そのためにも、ルジェ・ド・リール……君のような精力的に義足の製作やリハビリに取り組む考えを持っている人達を育成することも大事だと考えているよ」
「なんと……有り難い御言葉、感謝いたします!」
そう、パリだけバリアフリーを完璧にするわけにはいかないのだ。
できればフランス全土にも義足であったり車椅子で生活している人達にも暮らしやすい社会を目指していく必要がある。
特に、都市部だけではなく地方都市や農村部においても同様のことが当てはまるのだ。
今の現状では、パリでは進んでいるが地方には進んでいないとも捉えることが出来る。
フランスの経済状況を鑑みれば、バリアフリーに関しては予算を盛り込んで行えば不可能ではないだろう。
救世ロシア神国との戦争が行われているとはいえ、ネッケル財務大臣がやり繰りをしているため、戦費もそこまで多くはない。
実質的にフランスで良心的徴兵制を行って隣国であるプロイセン王国との戦いを行った際には、実に正規軍だけで50万人、後方支援要員やそれに合わせて軍需物資などを生産する人達などを含めれば200万人以上を動員したのだ。それに掛かった戦費は国家予算の2年分に匹敵する。
そして、ルジェ・ド・リールからとある提案を受け取ったのだ。
「陛下、医師の数を増やしているそうですが……軍医の数も増やしてもらえると助かります」
「数が足りないのかね?」
「はい……圧倒的というわけではないですが、有事の際には軍医として招集される兵士の中には、前時代的な考え方で治療を行っている者がおります。正しい治療法を行わなければ亡くなってしまいますし、戦場では特に一分、一秒の判断が生死に直結します」
「なるほど……軍医、もしくは衛生兵の数を増やすべきか……」
決戦として北米複合産業共同体を目標としているため、かの国との戦争に勝利するためには国民の暮らしを豊かにしなくてはならない。
特に、戦争で傷を負った兵士達の面倒を見れる人達……廃兵院の増設であったり、医療知識を履修した者を多く採用する必要がある。
衛生保健省の大臣として君臨しているサンソン氏に協力を仰いで、予備役軍人ならぬ予備役軍医の育成に関する指針を制定しておくべきだろう。
(恐らく、北米複合産業共同体との戦いではさらに戦死者や戦傷者の数も増えるだろうな……プロイセン王国との戦いでは医者の数だけでなく、軍医の数も不足気味であったし、医療事務関係の資格を有するものであれば、調剤の処理などを行うだけでも違ってくるかな……)
予備役兵は今現在フランスには35万人ほどがいるが、これにくわえて避難民や亡命者の衛生管理の改善、それに傷痍軍人の治療などを行う際に、医師や軍医が数的に不足していたのも挙げられる。
プロイセン王国との戦いでは、多くのネーデルラントの避難民や亡命者がフランス北部に押し寄せた上に、衛生環境が悪かった影響もあって一時待避所として指定した建物内ではシラミが流行し、衛生環境を改善するために髪を散髪したり、洗顔や洗濯などの対策に追われた。
だが、まだシラミは痒みなどを引き起こすが重篤症状を起こさないだけマシだ。
ベルリンの戦いでは現地で衛生環境の悪化が原因で死体にネズミが群がったり、死人の服などをはぎ取って着るなどの行為があったため、収容所でペスト菌に感染したネズミやノミに噛まれた人の間でペストが大流行して、瞬く間に感染が広がってしまった。
ペストの流行によって、ベルリン市内は封鎖されて占領軍の多くもその場に閉じ込める形となってしまったのは反省しなければならない。
主に陸軍が主体となって終戦処理と同時にペスト対策などを行うことになり、フランス軍はペスト処理などに対して厳格な区分を設けていた為にフランス軍内部でペストが広がる事は無かったが、スペイン軍では臨時兵舎として接収した建物でペスト感染者が出てしまい、1個連隊の半数が感染して多くの兵士がペスト感染症によって死亡する事案が発生。
結果として戦乱で生き残った多くの命が落とす結果となった。
現在のベルリンはペスト感染のパンデミックから復旧し、新体制の下で立て直しを図っているが、ペスト感染症が齎した傷跡は大きい。
もし、衛生兵などをもっと多く配備させて充実させた状態であれば助けられた命があるかもしれない。
「確約はできないが、軍医や衛生兵の数を増やせるように軍部と取り合ってみよう」
「ありがとうございます!」
あのルジェ・ド・リールから直々に感謝の弁を述べられるとは……意外ではあったが、歴史を変えた結果こうなったのだろう。
軍医や衛生兵の数を増やすのも、陸軍大臣や海軍大臣を通じて要請を出しておこう。




