853:東方戦略(上)
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1793年12月9日
救世ロシア神国 現スウェーデン軍占領地域 ノヴゴロド
現在、ノヴゴロドではスウェーデン軍と新ロシア帝国が駐留しており、最前線補給基地としての役割を担っている。
補給基地として、次々と運ばれてくる砲弾や食糧などを寒さに強いノルウェー人、スウェーデン人、フィンランド人が運んでおり、北欧のほぼすべての地域から参加している兵士が多い。
気温はマイナス5度であり、お湯がすぐに凍りやすい時期でもあり、攻勢をするのであれば寒さ対策をしていれば可能な時期でもある。
「これより、救世ロシア神国と名乗り不当に占領を続けていた神官に対する判決を下す!」
そんな寒さの中で、ノヴゴロド郊外では公開処刑が実行されていた。
処刑されているのは、救世ロシア神国の神官として人々に阿片入りのパンであったり、阿片そのものを渡してトリップをさせていた者達だ。
プガチョフはピョートル降臨神として、ロシア正教会やイスラム教の宣教師を中心に自身を神として崇める宗教を誕生させ、その宗教を布教するために彼らを使って大々的に活動していた。
「ピョートル降臨神こそが唯一の神です!イエスキリストはそれまで我々を救ってくれたのでしょうか?否!彼らは救わなかったのです!自分達さえ良ければという教えを解いて、貴族や聖職者のみが特権を享受できると謳い、平民や農民、そして農奴たちを不当に搾取していたのです!」
「我々は違う!搾取ではなく分け与えるのだ!人々の心に安らぎを!人々から富を奪った貴族と正教会には死を!」
「全ての聖書を燃やして焚書するのです!聖書は人々を惑わす悪事……真の教えはピョートル降臨神にありッ!!!」
神官たちの行ったのは徹底した正教会やイスラム教などの多宗教の教えを拒否した上で、特権階級者が富を独占しているというレッテルを張りつけて、これらの宗教施設であったり、貴族の多くを処刑・暴行を率先して行っていた事だ。
彼らの多くが流民であったり、農奴での生活に嫌気が差して逃亡してきた者達が多かったのだ。
これらの者達はプガチョフに取り立てられると、神官として文盲の彼を崇めるようになり、次第に文字などを読んでいる者を『特権階級』と決めつけて殺戮を行ったのである。
集団交配もさることながら、ロシアの文化を発展させてきた文化人の多くを殺してきたのだ。
ピョートル降臨神に忠誠を使って難を逃れた数少ない文化人で小説家のミハイル・ヘラースコフは、スウェーデン軍の尋問でこう答えた。
「彼らは正教会を中心に放火や殺戮を繰り返しておりました……あと一歩のところで私はこのノヴゴロドで捕らえられて、そこでピョートル降臨神に忠誠を誓わされた代わりに、生き長らえることができたのです……」
「ノヴゴロドではどのような事があったのか?」
「ここでは私と同じように新ロシア帝国側に避難しようとするも、逃げ遅れて捕らえられた者が大勢おりました。私の場合は私財などを全てピョートル降臨神の教えを歌う神官に渡し、統計調査員として筆記を任せられました……幸い、叙事詩を描いていた事が彼らの目に留まり、私は生かされました……」
「他の者はどうした?」
「モスクワ大学の同期だった者のうち、貴族と深い関わりを持っていた教授は八つ裂きにされておりました……特に、エカチェリーナ2世との繋がりのあった大学長に至っては、馬で引きずり回された上で、集団で暴行を行って肉片となるまですりおろし状態にされたのです……」
ヘラースコフの証言は衝撃的なものであった。
ピョートル降臨神を信じない者は死刑。
さらに、エカチェリーナ2世と深く関わっていた者は死刑。
文化人でもピョートル降臨神に疑問を持つ者は死刑。
このようにして彼らは神官に従う者以外を徹底的に抹殺し、その多くの遺体を残すことはなかった。
神官の家には、上納として納めた分の金以外にも、こうした国外脱出を図ろうとして捕まった者から強奪したと思われる金銀財宝が見つかったのだ。
神官にしてはあまりにも持ちすぎていたのだ。
それらの多くが貴族や文化人が持っていた所持品であり、所持品の中にはしっかりと名前なども彫られていたものも存在していた。
彼らは、旧支配者層を抹殺し、自分達が支配層になった際にはそれらの痕跡を『浄化』という名目で奪い取り、モスクワに上納する分以外のものは全て懐の中に入れていたのである。
そうしたこともあり、まず真っ先に狂信的な教えを流布させた罪という点が問われたのである。
特に、ノヴゴロドを救世ロシア神国が制圧・占領した際には元ロシア貴族の多くを裁判なしに【人間交配場】に送って人格だけでなく、生殖機能などを意図的に破壊して関係者に著しい暴行を加えた事について問われた。
また、ヘラースコフが積極的に証言をしたことで、その時の様子が克明と記されていたこともあり、多くの人々が救世ロシア神国における神官たちによる残虐行為を記録したことで、彼らに対する処刑を正当化することができたのである。
『救世主の敵であると決めつけ、尚且つ正式な裁判を経ずに相手の身体に危害を加えて肉体的、精神的な暴力を日常的に行われていたこと、その過程で亡くなった者が確認できただけで40名近くに及ぶ事を考慮しても、意図した虐殺を指示・命令したことに変わりない。よって、救世ロシア神国の神官として指揮官の立場であった貴殿らは、虐殺を指揮した実行犯として極刑とし、即刻死刑に処する』
これらの地域においては、占領時に住民の選別を行っており、救世ロシア神国の教えを強く守って抵抗していた者たちは軒並み処刑された。
彼らは阿片を服用してトリップ状態に陥っており、阿片が抜けるまで多くの者が正常な判断で物事を理解することができなかったのである。
救世ロシア神国軍としてノヴゴロドを守っていた17歳の少佐も、軍務経験がなくプガチョフの親戚という理由だけで佐官クラスに成り上がっただけの人物であった。
文字が読めなくても少尉まで自力で上り詰めたプガチョフに比べて、この少佐は親戚の七光りだけで地位についただけであり、軍務経験がないためにノヴゴロドに突如として逆侵攻をしてきたスウェーデン軍に全く歯が立たない状況であり、彼が拘束された際にはなんと女性との密接な関係をしていた最中であったということから、その役に立たない事を証明しているようなものであった。
処刑はノヴゴロドの町だけでも一週間に渡って行われ、神官の中には絶望のあまり手錠を掛けられた状態にもかかわらず、壁に頭を打ち付けて自殺未遂を図ったり、隠し持っていた水銀を服用して自殺する者が現れた。
これらの神官は『魂だけでもピョートル降臨神の元に宿るため』に自殺をしており、自殺を禁じていた正教会の教えとは正反対に【死ぬことは是であり、その死をピョートル降臨神のために活かせ】という教えに則って自ら殉教者として死んでいくのだ。
その光景をスウェーデン軍の兵士たちは眺めながら、この狂気的な集団から一刻も早くロシアを解放しなければならないと誓ったのである。




