846:バイキングの反撃
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1793年11月14日
フランス ヴェルサイユ宮殿
今日はスウェーデンの連絡要員として赴任してきたフェルセンから、重大な情報を聞き入れることになった。
史実では、グスタフ3世が暗殺された後に濡れ衣を着せられて集団リンチに遭い、川に沈められたとされている彼にとって、こうして生きて会えるのは嬉しいことでもあった。
「お久しぶりですルイ16世陛下。グスタフ3世陛下も元気にやっております」
「やはり、手紙を送ってよかったですよ……今も陛下は元気ですか?」
「ええ、今では奥様との関係も修復されつつあります。御子息の方々とも共に過ごす日々が多くなりました」
「……噂程度だったが、やはりあの暗殺未遂事件がキッカケで関係が修復されたのかね?」
「はい、あの一件以来、陛下はこれまでの行いを改めるかのように、人々との関わりを重要視しております」
グスタフ3世の生存は、俺にとっても嬉しい話だ。
彼は改革を推し進めていたものの、暗殺されて以降スウェーデンは保守傾向の強い国家になっていき、改革がより進んでいくのは19世紀後半になってからだ。
こうしてグスタフ3世だけでなくフェルセンが生き残っているのも、歴史を変えたからなのだろう。
「久しぶりの再開も嬉しいが……やはり目下の問題を解決せねばならないね……」
「はい、ご存知だとは思いますがスウェーデン軍はグスタフ3世陛下のご命令によって行動を開始しております。陸軍戦力40万に加えて新ロシア帝国軍も10万人動員し、サンクトペテルブルグ方面より二方向に別れて救世ロシア神国領への侵攻を開始しました。これより一か月の間……本格的な冬になるまでに、ある程度の領域を確保し、救世ロシア神国の脅威を排除することが主目標となります」
「グスタフ3世陛下もご決心をなさったのですね」
「……やはり、保護下に置かれている新ロシア帝国への難民が急増しているため、これ以上救世ロシア神国の横暴を許せば難民などが増えて財政も限界を迎えてしまいます。特に、新ロシア帝国いえど、旧体制的な汚職と腐敗体質は変わっておりません。それ故に、グスタフ3世陛下も新ロシア帝国側の対応に憤慨しているのです」
「……かの国は昔から貴族や王族が絶対的な権力者として何をしても良いという風潮が根強く残っていますからね……改革派のグスタフ3世陛下にとってもストレスの元でしょうね……」
曰く、スウェーデン軍は全軍の半数に当たる40万人と新ロシア帝国軍10万人を動員して新ロシア帝国経由でモスクワに向けて大攻勢を開始するという話である。
11月という時期は冬将軍が到来する時期だ。
普通なら攻勢はせずに春先まで耐えるのが通例だが、グスタフ3世はこの通例を打ち破って侵攻を始めたのだ。
大北方戦争時にはロシアとスウェーデンが戦闘を交わることがあったが、その時はスウェーデンが敗北した苦い経験がある。
その経験を活かすのであれば夏ごろの侵攻のほうがいいかと思ったが、どうやらフェルセン曰く救世ロシア神国軍の大部分が旧ロシア帝国領やオスマン帝国への侵攻に兵力を分散させており、首都モスクワには守備兵力が約2万人程度しかいないという。
それに、阿片の供給量が減らされている事は、捕虜を通じて明らかになっており、東欧のオスマン帝国植民地付近から徴兵された兵士曰く、阿片の量はそれまで支給されていた量の三分の一程度にまで減らされており、北米複合産業共同体からの輸入分が滞っている証でもある。
救世ロシア神国軍の強みとは、人的資源を惜しみなく投入できる「兵士を畑から栽培している」事であり、その人的資源の投入は阿片という薬物によって支えられているものだ。
その支えである阿片の量が減っていることで、彼らの総合的なパフォーマンス能力も落ちている。
首都まで電撃的に進軍し、旧ロシア帝国領にいる救世ロシア神国が侵攻に気が付いて引き返した時を見計らって旧ロシア帝国軍やかのミンスク方面にいるフランス軍やスペインやポルトガル軍も反転攻勢に転じる。……という作戦である。
新ロシア帝国への軍事侵攻を見送ってきた救世ロシア神国軍の背後を付く形であり、新ロシア帝国方面からは侵攻を開始し、リトアニア方面やミンスク方面に攻勢を絶え間なく仕掛けている救世ロシア神国軍の不意を突く形となる。
ただ、全てがこちらにとって順調に進んでいるわけではない。
ミンスクに関しては、最前線で突破を図る部隊に優先的に阿片が支給されており、彼らの中でも少年兵と思われる兵士達によって最前線がくい破られる事案が発生しているのだ。
「40万人もの大攻勢ですか……随分と数が多いですね」
「少なくとも救世ロシア神国軍の脅威は、10歳から80歳まで年齢を問わず動員してしまうのと、阿片を服用しているので、痛みを感じない兵士が量産されています……それも、ここ最近は最前線において阿片中毒者を囮として使用する例も多くあります……ミンスクの東部側が陥落したのも、こうした中毒者を使用した自爆兵などを動員したことで防衛線をくい破られたことが原因でもあります」
「自爆兵……報告では爆弾を抱えたまま陣地に突っ込んできたと書かれていますが……スウェーデン側でも目撃されたのですか?」
「はい、こちらで目撃されたのは要塞に軽装備のまま突っ込んでくる兵士たちです。彼らは何の疑いもなく爆薬を起爆して身体諸共粉々に四散してしまいました……恐ろしいことですが、ミンスクの東側が失陥した際にも、そうした自爆兵が複数人投入されていると耳にしております」
ミンスクの東側が陥落……。
これにより、旧ロシア帝国軍や支援を行っているフランス軍の三個師団は一時的に後方に撤退し、市街地では一区画を巡って一進一退の攻防戦が展開されるようになっている。
旧ロシア帝国軍は後方に逃げることを許さない死守命令が出された懲罰部隊を編成し、建物であったり区画にある陣地を死守して決死の抵抗運動を行う反面、救世ロシア神国軍は無造作に引き出した人的資源を使って大量突撃を敢行している。
これに加えて、今日までにフランス軍からの報告で判明しているのは、ミンスク宮殿の200メートル離れた場所まで迫ってきており、宮殿内部に保管されていていた歴史的な絵画や美術品などはポーランドを経由してフランスに退避する流れとなった。
ミンスクの今は徹底した最前線都市となっており、一進一退の攻防戦によって多くの建物が放火を受けたり、銃撃や爆発物などが投げ込まれて外壁だけの状況となっている箇所も見受けられる。
また、民間人の中でも女性や子供は優先的に避難が義務化されたものの、多くの成人男性が徴兵されて徹底抗戦する部隊に組み込まれているのだ。
これにより、死守命令を厳守した部隊などに砲弾や食事の運搬であったり、ミンスク郊外の農村部などに強制移住をして農作物の収穫といった作業を執り行うようになったという。
今のミンスクは、戦火によって壊れつつあるのだ。




