843:ミンスク防衛線(上)
★ ★ ★
1793年9月30日
旧ロシア帝国 ミンスク
ミンスクは徹底抗戦を貫いていた。
都市部からは民間人の多くが退避したが、身寄りのない人間であったり、孤児などの多くの弱い立場にいる人間は軍に編入されて迫りくる救世ロシア神国軍の猛攻に耐えていたのである。
ミンスクは総動員体制を確立している。
ベルリンで見たような光景が繰り返されているのである。
一つ違う点を上げるとすれば、ベルリンの戦いでは援軍がない状態であったが、旧ロシア帝国軍は欧州協定機構軍の支援もあってか、ミンスクの大部分を維持することに成功していたのである。
その成功の秘密は、ロシアの伝統ともいうべき『軍の規律』であった。
ミンスク市内東部の防衛を任されている部隊の多くが、土嚢であったり弓矢、さらに臼砲の砲弾作りなども同時並行で行われており、まさに使えるものすべてが根こそぎ動員されているのだ。
「急げ!まだまだ敵は攻め込んでこようと画策しているぞ!我々の団結を奴らに見せつけるのだ!」
「あの下士官滅茶苦茶張り切っているじゃねぇか……去年までは酒に入り浸っていたくせに……」
「突破されたら処刑されると宣告されているんだと……だから必死になっているのさ」
「そりゃそうなるわ」
下士官の大半は死に物狂いで陣地の防衛を任されていた。
旧ロシア帝国軍の中でも将軍によって組織された軍と、そうでない旧来の軍では雲泥の差であり、旧ロシア帝国軍内部で腐敗と汚職が蔓延していたために、下士官の多くが懲罰目的として陣地の死守を命じられたのだ。
「名誉ある死か、さもなくば不名誉な敗北者としての死か!好きなのを選びたまえ」
汚職などに関わっていた下士官を集めた上で、決められた陣地を守って恩赦を得るか、それとも突破されて死ぬか、逃亡兵として処刑されるかの三択しか残っていなかったのだ。
数名の下士官は脱走を試みたものの失敗し、翌日にはミンスクの広場で『私は汚職を行った悪い軍人です』と描かれたプラカードを首に書かれた状態で吊るされていたのである。
「いいか、持ち場は絶対に死守しなければならない!逃亡者はこうなる!生きて持ち場を護れば恩赦を与える。それまでは各自、持ち場から動くな!」
それを見た下士官たちは、賄賂が通じない相手だと悟るや否や、今までの汚職分を取り返すかのごとく、各自割り振られた陣地で防衛を徹するようになったのである。
特に、救世ロシア神国軍が侵攻してくる郊外に配属された部隊は悲惨であり、死守命令を言い渡された下士官70名のうち戦闘後に生き延びていたのは僅か3名だけであった。
それ以外の兵士は持ち場を死守した上で救世ロシア神国軍に殺されており、逃亡しようとして後続の味方から撃ち殺された下士官も7名ほどいた。
部下として割り当てられたのも、流民や囚人といった『国として代わりがいくらでもいる人材』を渡されたために、死んでも問題ない人物が割り当てられるのだ。
当然、ほとんどの下士官は防衛を指揮するも上手くいくはずがなく、無残にも殺されていったのだ。
生き残った3名の下士官に関しては敵が接近しなかった事と、運よく流民や囚人の中に兵役経験者が居た為、彼らに指揮を与える事が容易だったことが挙げられる。
生き残った彼らには汚職の罪を取り消してもらったものの、総じて軍から逃げることは許されなかった為、ミンスクに残って防衛戦闘に駆り出されているのだ。
また、兵士達の多くが土嚢やバリケードを設置して万が一侵入してきても応戦できるように要塞都市に変貌させ、ミンスク郊外にはフランス軍が駐留してマイソールロケット砲による砲撃の雨を降らせている。
三個師団による集中砲撃は苛烈であり、重マイソールロケット砲をはじめとする長距離砲撃戦闘によって、ミンスクに寄せ付けないようにしているのだ。
「北東より救世ロシア神国軍の部隊が接近、約8000!」
「またか……今日で28日間連続だぞ……重マイソールロケット砲準備!一気に叩き潰すぞ!」
「重マイソールロケット砲、発射準備よし!方位修正完了!」
「撃てーッ!!」
都市攻略用に開発された重マイソールロケット砲は、その爆発範囲と殺傷能力を評価されて、積極的に救世ロシア神国軍との対峙において使われた兵器である。
射程も長く、半径50メートルに殺傷能力を加える。
ベルリンの戦いでは中心部への打撃を与えることに成功した兵器であり、ここでは防衛線において前哨陣地に殺到している救世ロシア神国軍の砲撃に大いに役立ったのである。
「弾着!……効果を確認!……まだ敵は突っ込んできます」
「……やはり、阿片で痛覚を麻痺らせて突撃をしているのは本当のようだな……重マイソールロケット砲の次弾装填を急げ!」
「装填までの間、小・中型マイソールロケット砲を随時発射します!」
一発、また一発白煙を吹き上げながら救世ロシア神国軍に向けて飛来する重マイソールロケット砲……。
その光景は史実であれば140年後に勃発した独ソ戦時に見られたような光景であるが、積極的にマイソールロケット砲を取り入れて改良したことにより、ロケット推進兵器の特性を最大限に利用した戦法で戦うことが推奨されているのだ。
故に、フランス軍の戦術カリキュラムは従来の歩兵や騎兵隊による突撃ではなく、遠距離からの砲撃と制圧射撃を行った後に掃討戦の際に歩兵と騎兵隊を突入させるように方針転換を行ったのである。
これは、ナポレオンなどが提案した戦法であり、都市部のみならず平原の多いヨーロッパ地域においては圧倒的に味方陣営の被害が少ない効率の良い戦法となったのである。
救世ロシア神国軍からしてみれば不気味な戦いである。
自分達の持っている野砲よりも遥かに長距離から撃ちこまれてくるロケット砲が、雨のように降り注いでくるからだ。
それも大きな威力を持つものもあれば、手前で爆発するのもある。
それが光の矢となって襲い掛かってくるため、阿片を服用して突撃してきている彼らにとっても、恐ろしい光景を目の前で目撃しながら絶命していくのだ。
マイソールロケット砲の仕組みすらも知らない救世ロシア神国軍はミンスク攻略において既にミンスク郊外に到達してから30万人を超える戦死者を出しており、当初予定していたミンスク攻略における戦死者予測数を超える事態となってしまったのだ。
救世ロシア神国軍は当初の予定通りにミンスク郊外まで進撃を続けていたが、ミンスクの中心部への侵攻をするまでには至っていない。
その代わりに、プガチョフは指示を出して部隊を二分して北上してから北海地域に向けて侵攻しており、旧ロシア帝国に対して有利な条件で領土を割譲できるように行動することにしたのだ。
そして旧ロシア帝国軍と合流したスウェーデン軍が対応を行っている。
スウェーデン軍は陸上戦力の三分の一を、この北海方面に投入しており、タルトゥ(現:エストニア領)の町に侵攻している救世ロシア神国軍を撃退しているのであった。




