834:白銀(上)
朝鮮半島情勢をまるっきり書いていなかったので初投稿です。
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1793年8月1日
李氏朝鮮 慶尚南道東萊府
この時代における李氏朝鮮は、東アジアの中でも大きな反乱や災害であったり、対外戦争を経験していない唯一の国家であった。
清王朝が中国大陸の大部分で白蓮教の反乱によって、ほとんどの地域を占領された上に、日本では浅間山大噴火の発生が史実以上の大災害を引き起こして江戸を含めた関東平野は集団疎開を余儀なくされた。
これによって、大きな内戦や災害を経験しなかった李氏朝鮮が東アジア地域における発言権の行使や経済発展を遂げるチャンスが産まれた。
最も、西洋文化の流入を抑制しようと考えていた李氏朝鮮の統治者である正祖は、技術面での協力を重視し、台湾本島を自国領に組み込んだフランスとの文化交流を模索している最中であった。
彼は積極的に有能な人材に対してリクルートを行ったり、文化や勉学の機会を設けるなどの率先した改革を行おうとしている人物であった。
そして何よりも正祖が実施すべき案件として持ち上げたのは『身分制度の抜本的な改革』であった。
李氏朝鮮時代では大きく分けて五つあり、その中でも王族の次に身分が偉くて人々に対して何でも好き放題できる身分が存在していた。
それが両班であった。
これは特権階級としてあやかっている影響力は大きく、彼らはフランスの技術導入に関して難色を示していた。
特に蒸気機関が首都漢城府に持ち込まれると、両班の多くがこの機械を見て恐れおののいた。
「何という力だ……1台で50人以上の力を発揮しているぞ」
「アレを鉱山での水汲みや鉱石採掘に役立てるらしいが……しかしなぁ……」
「あれが出回って農民などが楽をするようになれば、我々の生活はどうなるのだ?!」
「うむ……困ったことになったな……」
「これで農民や奴婢たちが力を付けてくれば、我々の安全が危ういことになりかねんぞ……」
そう、両班は世襲制の特権的な身分が保証されている者達であり、科拳さえ合格すれば両班の保障が維持されて、様々な特権が享受されており税の免除される存在であった。
現代で例えるなら、一族代々文官としての科拳試験を受けることのできる国家公務員としての資格試験を有して行使できる身分であると同時に、逆を言い換えれば文官としての権力を有している両班は、権力を振りかざして好きな事をしたりしても黙認される……ある意味で警察のような実権を伴った上級国民のような扱いでもあるのだ。
また、奴婢や白丁といった奴隷階級に等しい身分の者に対する処罰行為なども咎められることなく、特に強引に民間人からの税収を取り立てたりする権利を有していた為、取り立ての際に暴行を加えて強引に金銭や土地を奪ったりするといったかなり乱暴なことをやっても許されていたのである。
極論ではあるが、李氏朝鮮の中に置いて国王への反乱以外なんでも優遇・免除されていた存在である。
それでも、しっかりと国家の繁栄のために役人や官僚として尽くした者もいたが、大半の両班のしていたことは権力闘争であったり、特権階級に甘んじて贅沢な暮らしであったり、権力を行使して金のために奔走している者も少なからずいたのだ。
特に両班は「本や箸より自分では重いものを持たない」とさえ揶揄されるぐらいに言われたほどでもある。
こうしたことから、韓流ドラマの時代劇でも描かれることがあるが、彼ら両班を支えていたのが中人や常民と呼ばれている中間階級の者達である。
これらの階級の者達は両班からの嫌がらせであったり、強引な税の取り立てなどを受けながらも、専門的な職や農業や商業などを営んで生活しており、彼らは李氏朝鮮において縁の下の力持ちとして国家を支えていた基盤でもあった。
正祖は、現在の情勢を鑑みて『抜本的な身分制度の改革をしなければ、国家は大きく発展することはできない』と考え、中人出身の役人を数名呼び出して両班に感づかれないようにこの身分制度の改革を底上げする案を述べた上で、東萊府にて改革を推し進める事業を行うように命じたのだ。
命を受け取った役人たちは正祖の言葉を聞き受けて、漢城府から東萊府に向かうことになる。
彼らは積み荷を持った上で、馬を使って東萊府へと向かっていく。
道中で、その中の一人で代表を任された李容九は、改革を行う上での志を仲間に語った。
「よいか、漢城府に蒸気機関を持ち込んでも頭でっかちな連中は、かの機械の重要性を認知しておらん。東萊府(現在の釜山)に配属され、海外の知見を受けている府使の下で働き使い方も熟知せねばならない。東萊府から始めるから、改革を遂行できるように支えねばならんぞ」
「しかし、どうして漢城府にいる官僚は理解せんのでしょうか……水車を動かせる機械であれば、大きく国が発展できると思うのですが……」
「両班の中でも今の生活にあぐらを掻いている連中にとって、農民が労力を使わずとも動かせる便利な機械が普及すれば、自分達の立場が危うくなると考えているんだ。考えても見ろ……税が足りぬと言って中人や商人を捕まえて乱暴し、強引に税を取り立てているのだぞ。それで中人や農民が蒸気機関を使って権力を有するようになれば立場が逆転するようになる……そうなれば、今まで自分達のしてきたことがやり返されると思わないか?」
「……言われてみれば確かにそうだな……」
「結局は、そういった連中が官僚の要職について今の生活がいいと自堕落な生活になってしまうんだ。今までも横暴な両班の振る舞いを味わってきただろう……官僚になれば好き放題、中人の俺たちがどれだけ頑張っても肝心の手柄はいつも彼らに奪われる……国王陛下はそうした現状を変えようとなさっている。陛下の為にも俺たちが行動しないと始まらないのだ」
最も、先見の明を正祖によって見出された一人であるが、実はアジア圏において特異な存在でもある。
その理由としては、奇跡的な確立で同姓同名の人物に生まれ変わった人物であり、その正体は20世紀初頭に実在した韓国人政治家である。
史実の彼は、日韓併合に際して『日本と韓国が対等な関係による合邦』を望んでおり、彼自身も併合推進派として政治団体にも参列していたのだ。
だが、実際に彼の臨んだ形で合邦は行われず、むしろ伊藤博文暗殺事件を機に日本が有利な形で大韓帝国は併合されてしまい、容九は疲労が重なった事で身体を病んでしまい、失意のうちにこの世を去った。
しかし、病室から目が覚めると彼は18世紀の祖国に転生しており、しかも同姓同名の中人階級の血筋に生まれ変わっており、彼自身は独力もさることながら勉学に励み、科拳の補佐役員として出世したのである。
彼らからしてみれば、フランスから導入された蒸気機関が普及すれば、間違いなく朝鮮半島情勢は改善する。
それに、彼の経験していた歴史と大きくズレが生じていることを把握しており、清王朝が白蓮教に追いやられた事や、浅間山大噴火によって日本の江戸が大災害に見舞われたことを鑑みて、祖国を偉大な国家に発展させることを目指す。
それが、この世において容九自身が前世において遺した無念と後悔を償う唯一の方法でもあったからだ。




