828:防衛戦闘
さて、フランス軍の中でも陣頭指揮を任されているナポレオン少将からの説明がある。
彼も先のプロイセン王国軍との戦いで武勲を上げたことと、ペスト感染の対処をしたことによって少将に昇格しているのだ。
史実では、フランス革命を端に勃発したフランス革命戦争のさなか、エジプトに派遣された彼は戦闘で負けそうになってそのままフランスに帰還してすぐにクーデターを起こして自身が国のトップになるという荒業を成し遂げることに成功している。
この世界では着実に実績を積み重ねている実戦経験豊富な将校として、彼の手腕は上官だけではなく、行政府も理解している程だ。
唯一、前世において彼に辛酸を舐めさせられたテレーズに関しては、彼に対して憎悪とも恋愛ともとれるような感情を抱いているようで、本人にとっても「ナポレオン氏に対しては確かに魅力を感じますが……革命後に権力を掌握してから好き放題やっていたことがございます故、それを知っているとどうしても身体が……」とコメントしていた。
ナポレオン自身も、慎重論を唱えつつも着実に実施できる内容を実施するように心掛けており、今回の説明も現在のフランス軍の現状を踏まえた上で、どのように行動するかを外交官や王族の者達に説明を行う大役を担っているのだ。
「では、旧ロシア帝国における現状をお伝えします。現在、フランス軍はミンスクに到着し防衛陣地を構築しているところです。旧ロシア帝国領に侵攻を開始した救世ロシア神国軍は二週間足らずでオルシャ、モギリョフといった国境線沿いの都市を急襲し占領しました。旧ロシア帝国軍は総力をあげて抵抗しておりますが、いずれもミンスクまで通じる要塞や都市などは陥落しており、既にミンスクから10km手前の郊外まで迫ってきております」
ナポレオンは地図を取り出した。
旧ロシア帝国……現代でいうところのベラルーシ周辺を写した地図である。
すでに旧ロシア帝国の東部地域が赤く染まっており、この赤い場所が救世ロシア神国軍の占領地になっている場所だそうだ。
これらの地域では、旧ロシア帝国軍の活動を妨害しようとする者や、一連の軍事行動に連動して農奴による反乱が発生した場所も含まれているという。
状況ははっきり言って芳しくはない。
敵軍の大規模部隊……いや、軍団が東部から一斉に侵攻しており、これらの軍団の多くは「阿片をキメて」襲い掛かってくるところだろう。
彼らは阿片による効果によって痛みを感じない。
それ故に、腕がもげたり内臓が飛び出すほどの重傷を負っても絶命するまで走り続けることができるのだ。
これはオスマン帝国との戦いでもフランス軍駐在武官が目撃しており、痛みを感じない事と人海戦術によって大量のオスマン帝国軍の兵士が屍を乗り越えて襲い掛かってくるというまるでゾンビ映画顔負けの状態だという。
「しかしながら……阿片を服用して無痛状態で襲い掛かってくる兵士ほど恐ろしいものはないですな……」
「全くです……北米複合産業共同体から輸入された分は、備蓄を含めて半年以上あるのは確実だそうです。これを加味すれば半年間は彼らは攻勢することが可能になります」
「下手をすれば、旧ロシア帝国領を突破してポーランド領や東欧諸国に侵攻してくる可能性もありますね……」
「故に恐ろしいのだ……」
宗教や秘密結社が決起や反乱を起こす……というのは歴史的に見れば珍しいことではない。
古今東西に渡っても、最初は合法的であった宗教団体であったり、公の場には出ずにひっそりと暮らしていたケースも多い。
プロイセン王国を乗っ取った薔薇十字団も、史実では秘密結社として活動していた程度であり、社会的な混乱を及ぼすような組織ではなかったのだ。
とはいえ、これらの宗教団体や秘密結社が暴発して内乱やテロを起こすことがあるのも事実だ。
かつて、清王朝末期に発生した義和団事件では、西洋人撃滅を訴える秘密結社義和団が拳法によって銃弾すらも跳ね返すという教えを流しまくって決起を起こし、あろうことか時の清王朝の権力者であった西太后がこれを支持して国家間戦争となった事例もある。
無論、拳で銃弾を弾き返せることはできずあっという間に鎮圧されたのはいうまでもない。
義和団事件の一件に関しては、当時清王朝がアヘン戦争であったり、その後のアロー戦争や太平天国の乱によって内外憂に晒された挙句、日清戦争によって日本にまで敗北したことで、中国大陸内における不平不満が蓄積した結果引き起こされた案件でもあるため、これを秘密結社による決起……と位置付けるには少しばかり語弊があるように思える。
一方で、宗教団体が反乱を起こした事例で日本で有名なのは島原の乱だろうか……。
天草四郎率いるキリシタン一揆軍が廃城を占領し、四か月間近くの間武装蜂起を起こしたことでも知られているが、仮にあの場で天草四郎らが決起をしなかった場合、肥前国が中心となってフィリピン侵攻を計画していたとされている。
つまるところ、何かしらの手違いで一揆が行われなかった場合は、日本の統治範囲がフィリピンにまで及んでいた可能性が高いと言われているのだ。
無論、当時世界中に植民地を持っていたスペインがフィリピンを領有していた為、これらの列強国との戦闘になれば、豊臣秀吉時代に行われた朝鮮出兵以来の大規模な海外進出も兼ねての戦争に突入し、スペインとの利権争いを繰り広げていたネーデルラントやグレートブリテン王国との関わりが史実以上に強化sれていたかもしれないな……。
ナポレオンは、そんな救世ロシア神国軍の異常性を加味しつつ、どのように迎撃するべきか基本方針をまとめていく。
「救世ロシア神国に関しては、一筋縄ではいきません。フランス軍が主導して旧ロシア帝国軍や派兵した各国軍との連携を図り、少しでも被害が大きければミンスクから撤退し、西部方面への退却を図りつつ相手の人員を損耗させる手段を講じる所存でございます」
「損耗させる……というと、長期的な占領ができないようにするという事ですか?」
「はい、救世ロシア神国軍の多くが食糧をキエフ地域から頼っております。あの地域一帯は肥沃な土壌としても知られております、しかしながら……これらの地域からの農作物を接収こそすれど、他の地域では生産が追いついていない為、食糧の大半をキエフ周辺の農作物で頼っている……つまるところ、阿片もさることながら兵站を維持できないようにするため、旧ロシア帝国領での焦土化作戦も視野に検討しなければなりません」
ナポレオンは淡々とした口調で「焦土化」を必要であれば実施することも示唆した。
これはフランス軍の総意であり、内閣でも各大臣の賛成多数で可決された防衛戦における有効打として活用することを承認したのである。
最も、この焦土化作戦をする際には現地住民を退避させることが大前提であり、住民が残っている場合は実施しない等の戦後の事も見据えた事も含まれているのだ。




