825:蝦夷(中)
「これは政治評議会による決定事項だ……阿片の栽培は予定通り継続してもらう」
「なぜです?!これ以上の損失を被れば阿片だけではなく、他の農産物の生産にも支障が出てしまいます!」
「評議会としては、阿片の栽培を止めることは難しいという判断に至っている。特に、現在は販売ルートの確保と、南米諸国への進出……それからより遠路の東南アジア方面への輸出を視野に進められている。最低でもあと2年は栽培を続けよ」
南部の農産物を生産している代表者たちは政治役員の発言に驚愕した。
彼らを納得させるために、どれだけ損害を出しているかデータを出した上で、このままでは大勢の生産者であったり地主の財政が持たずに大規模な破綻が起こってしまうリスクが増えているという事を力説したものの、その力説をあっさりと政治役員は伏せてしまったのである。
阿片栽培が中断された農園の修繕などのお金なども嵩んでおり、すでに耐えきれなくなって逃亡した地主も複数人出始めている。
ただし、そのまま伏せるのではなく、彼らが継続できるように一定の「飴」も用意することを忘れなかった。
「これは評議長命令でもある……が、阿片は嗜好品であると同時に労働者の娯楽として普及しているものである。諸外国での輸出に関しては目途が付くまでの間、助成金であったり補助金などを申請することで支援することを約束する」
「ほ、本当ですか?!」
「勿論、そのために下期から阿片農家専用の制度を制定し、12月までに支援金を送る用意がある。それまでは赤字であっても生産を続けてもらいたい。その過程で出来上がった借金等に関しては記載漏れがない限りは支払う。評議会の賛成多数で可決された阿片救済法案も来月に施行される。倒産した農園に関しては、他の地主に経営権の移譲等によって阿片生産を存続させるように生産組合側で人材を派遣してもらいたい」
北米複合産業共同体では、企業の役員によって構成された政治役員と、その役員らを取り仕切る評議長によって政治が運営されている。
ここで言う北米複合産業共同体の政治部門の頂点に立つ政治評議会は、旧北米連合の政治体制を模倣して作られた政治審査会でもある。
上院と下院がない代わりに一院制となっており、政治評議会に所属する議員は述べ各地の産業から代表者として選出された60名の人間が執り行っている。
それぞれが各産業において成果を出したり、北米連合時代に軍の指揮者として活躍した者が政治家としての役割を担っている。
特に大統領に取り替わる評議長としてヘンリー・ノックスが勤めており、彼は新大陸動乱の際にグレートブリテン王国軍を蹴散らし、初代北米連合陸軍長官として就任していた実績を誇っている。
とはいえ、彼も一度は人生の修正を余儀なくされており、北米連合による統治が失敗をして北米複合産業共同体による企業統治時代へと移り変わった際に、一度左遷させられたのだ。
理由としては北米連合軍によるカリブ海への進出が失敗したことで、軍の責任を追及する運動が北米複合産業共同体によって起こされており、この時に指導者であったワシントンは失脚し、軍幹部としてカリブ海戦争において指揮をしていたノックスも例外なく、責任を取らされる形であわや終身無償労働刑を言い渡される所であったのだ。
ただ、この時に当時彼の元で従軍していた兵士達や行政官からの嘆願書が3万通もとどいたことで、かれは終身労働刑だけは免れてマサチューセッツの木工製造所の所長としてノルマとの戦いに講じることになった。
結果、そのノルマを予定よりも3倍以上の生産を達成したことを評価されて見事中央に返り咲いたのだ。
木工製造所におけるノルマを達成できたのは、彼に付き従っていた兵士達が彼の為に日夜働いてくれたことも大きいが、何よりも評議会とのコネクションを持っていたこともあって、ノルマを他の木工製造所よりも低く見積もってくれた事が大きい。
そのノックスが評議長を務めている評議会ではあるが、実質的には真の政治の実験を握っているフランスへの報復を考えている黒薔薇と呼ばれている集団の下僕に過ぎない。
ノックス評議長の意見も通ることはあれど、最終的な可否の判断は黒薔薇の意見によって変わってしまうのだ。
黒薔薇曰く、ヨーロッパ全域に阿片を流通させて社会問題を深刻化させてから、その問題を突く形で阿片で金を巻き上げる魂胆であったものの、その計画がフランスで露呈してしまい破綻したことから、阿片の利用価値がなくなったかのように思える。
だが、黒薔薇としては大量生産された阿片の利用価値を見出すために、さらに陰謀を巡らせることを提案し、ノックス評議長に対して『阿片の生産をこれまで通り続けるように』とくぎを刺したのだ。
阿片の生産を止めないのには理由がある。
危険な麻薬であるという事が露呈した代わりに、この麻薬を使って政治犯であったり犯罪者などの思想をコントロールしようとする企みを思いついたのだ。
阿片を服用すれば幸福感などを得られる代わりに、阿片を次第に増やしていかないと精神のコントロールが出来なくなり、やがて乱用してしまえば廃人同様に精神も肉体もボロボロになってしまう。
これを『服薬刑』として、ニューヨークの沖合にあるニュー・ショアハム島に設置した労働刑務所内において実施している刑罰でもある。
廃人になってしまった者の末路を見せつける事で、彼らは廃人にならないように身体を蝕みながら働くのだ。
そして、大半の受刑者は無償労働刑の服役中に過労で死ぬ。
特に、これは北米複合産業共同体において重罪に当たる労働者がストライキを起こして操業を停止する「労働放棄罪」であったり、企業における不信を煽るような不安を口にする「社会不安罪」などの罪を犯した物に投与が開始されており、これまでに人権派として名を馳せていた弁護士であったり、鉄鋼工場にて6日間の抗議運動を起こした労働者に投与されており、彼らから得られた阿片の服用データなどは全て服薬刑や無償労働刑に処される囚人たちに使われている。
北米複合産業共同体で使われている阿片の量も右肩上がりであり、表向きは輸出用として使われているものの、この阿片によって廃人になるまで働かせることを『美徳』とした黒薔薇によってノックス評議長へ阿片栽培を続けるように迫ったのである。
無論、この決定に渋々ながらも従ったノックス評議長は予算を確保することに尽力しており、政治役員もノックス評議長への批判をかわすべく、代替案に関しては肯定的な意見をしていたという状況を付け加えた上で、こう述べた。
「評議長としても、阿片の代替案に関しては認知はしている……だが、阿片の使い道によってはより莫大な利益をもたらす経済活性化の起爆剤としての利用価値があると議会で評価されているのだ。理解したのであれば、すぐに南部に戻って指示通りに動いて欲しい」
政治役員によって会議は締めくくられるが、生産組合側は肩を落としてトボトボとしながら部屋から去っていく。
そして、役員は南部の現状をまとめたレポートを書き記し、ノックス評議長に渡したのであった。




