819:Bang
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1793年5月18日
フランス ヴェルサイユ
久しぶりに宮殿に戻ると、守衛兵がざわついた様子で出迎えてくれていた。
……何かあったのだろうか?
到着してすぐに、俺はデオンから【旧ロシア帝国に関する情勢】について聞かされることとなり、各地で演説をしたり見聞をしたことの思い出に浸ることなく、そのまま宮殿内に設置されている国土管理局の会議室に足を運ぶこととなった。
「陛下、申し訳ございません。お休みをしたいところは山々なのですが……」
「いや、緊急の要件であれば問題ないよ。ところで……旧ロシア帝国で何か大きな動きはあったのかね?」
「既にライデン瓶通信を使ってご存知だとは思いますが、政変が発生してパーヴェル1世が崩御し、息子のアレクサンドル1世に王位が継承されたのはご存知でしょうか?」
「ああ、それは聞いているよ。皇帝としての権限はベニグセン将軍に実質的に押さえつけられている状況だからね……それで、旧ロシア帝国でまた政変があったのかね?」
「いえ、政変ではありません……複数の国境で救世ロシア神国軍の越境が確認された模様です。現在、救世ロシア神国軍を迎撃するために、旧ロシア帝国軍は要塞や村に陣を張って迎え撃つようです」
「そうか……いよいよ始まったのか……」
いよいよ、休戦協定の期間がすぎたことから救世ロシア神国が旧ロシア帝国への軍事侵攻に踏み切ったようだ。
救世ロシア神国の数は不明だが、実働可能な兵士の数は100万人を超えると言われているので、この数を加味すれば旧ロシア帝国軍兵士の数よりも最低でも9倍以上の人数を動員し、攻勢を開始しているのは明白だ。
東から西に向かって進軍する……。
まるでバクラチオン作戦を決行したソ連軍のように各地で人的損害を無視した攻勢計画を立案しており、これらの大規模攻勢によって、旧ロシア帝国軍の国境線のいくつかが突破されているという情報も入ってきているのだ。
地図で見れば、現在のベラルーシ方面には旧ロシア帝国軍の一個軍団を示すチェスの駒が置かれており、このチェスの駒がどの位置に配備されているかおおよそ把握することができる。
複数の軍人達が大真面目に旧ロシア帝国軍の動きを観察しながら、兵力がどの位置にいるかを確認し、対する救世ロシア神国のチェスの駒は圧倒的に多い扱いであるため、対比がほぼ1:10で行われるのだ。
「圧倒的に劣勢に立たされているようだが……欧州協定機構軍の派兵は間に合うのかね?」
「既に第一軍がミンスクに向けて出発しております。旧ロシア帝国が政治的な譲歩を見せてくれたことで、スウェーデンなどが派兵に参加してくれるそうです」
「とはいえ……これでスウェーデンの南にある新ロシア帝国への軍事侵攻を起こされたら二方面作戦となるからな……恐らく、これらの進軍を開始している軍団は農民兵だろう……畑から採れる兵士と言った方がいいか……旧ロシア帝国からしてみても、彼らが阿片を服用していて大攻勢を行う姿は恐ろしいものだからな……」
「いずれにしても、ミンスクが陥落した場合はブレストに臨時政府を配置し、救世ロシア神国への停戦案を模索することも大事です。今の我々フランス軍が全力で対抗できるには装備品の一新を踏まえてもあと3年は掛かります」
「それまでに旧ロシア帝国が耐えきれるかどうかだな……いくらなんでも兵力に差があり過ぎる……」
圧倒的な兵力の差……。
相手は農民だろうが、子供だろうか、老人だろうが根こそぎ動員を行って阿片を吸わせてから敵陣に突っ込ませる方法を国是としている連中だ。
痛みを感じない無痛兵士の量産を行っているカルト国家といえよう。
その狂気じみた国家に対抗しているのは政変を実行せしめた旧ロシア帝国である。
旧ロシア帝国で政変が起こったのは知っている。
パーヴェル1世がベニグセン将軍ら改革的な考えをしていた将校たちに暗殺され、息子のアレクサンドル1世が皇位継承を行った事も知っている。
これは史実でもあったことだからね。
ただ、史実ではもっと後に起こったはずだが……それに、ベニグセン将軍も史実では直接関与まではしていなかっただろうし、彼をパーヴェル1世が感情論に身を任せて解任させたことで、ベニグセン将軍に忠誠を誓っていた将兵らが激怒し、暗殺する流れになっていたはずだ。
今回の場合は、欧州協定機構への参加を希望する書簡を送っていたみたいだけど、その書簡には『パーヴェル1世陛下は国内の堕落した貴族と結託し、国民に重税を課して圧政を行うのを止めなかった。複数の軍人達が陛下の説得を試みようとしたが、陛下が乱心を起こして兵士を斬りつけてしまったため、陛下を取り押されたら運悪く亡くなってしまった……』と書かれていたので、どう見ても暗殺を正当化するためのタペストリーを書いているのは明白である。
実際に、ベニグセン将軍は欧州協定機構との戦いを行っていた将軍だけに、軍の近代化や兵士の刷新などを行おうと予算を要求したところ、貴族たちが拒否してパーヴェル1世に解任させるように悪い噂などを吹き込んでいたのは事実のようだ。
これで解任されたベニグセン将軍は、このままでは旧ロシア帝国が救世ロシア神国に飲み込まれてしまうと判断し、パーヴェル1世を暗殺後に彼に嘘を吹き込んだ守旧派貴族をはじめとする、旧体制におけるエカチェリーナ女皇帝が遺した負の遺産を清算するために、粛清を実施したと報じられている。
「しかしながら……粛清を実施して貴族も二割以上を殺したそうだが、それで改革が成功するようには思えんが……」
「実際に、貴族を粛清したのも統一されていたロシア帝国時代の遺産を食いつぶすような行為をおこなっていたのが原因ですからね……粛清によって旧体制下から続いていた物言う貴族の取り決めなどは打開されたように思えましたが、反発をした貴族や粛清を免れるために各地に逃亡しており、このうちミンスクにいた貴族の一部が救世ロシア神国に救援を求めて国境を開けさせた……という情報まで入ってきております」
「なんだと?!救世ロシア神国は特権階級者への恨みつらみが凄まじいと聞いている……そんな状況で彼らを招き入れても後で粛清されるだけだろうに……というか、亡命先を間違えているんじゃないかソレは……」
「救世ロシア神国は貴族階級を捨てれば、過去の罪は問わないという方針を掲げております。この方針を信じて貴族への恩赦などを行っていたようですからね……ただ、その条件として若い娘などは軍の兵士への土産として渡された上で、集団交配を行って一つとなることを強制させるみたいですから……貴族がそうしたおぞましい行為に耐えきれるかどうか……」
ポーランドに逃げた貴族からの情報では、これらの地域へと逃げ切れないと悟った貴族の一部が救世ロシア神国への亡命を実行したそうだが、確実に彼らは身包みすべて剥がされた上で悲惨な末路を遂げることになるだろう。
仮に受け入れられたとしても、和平交渉の際に身柄引き渡しでもされたら処刑されるはずだ。
いずれにしても、救世ロシア神国に逃げた貴族は貧乏くじを引かされたも同然だ。
俺はその報告を聞きながら、今後フランスがどうやるべきかを話し合うことにしたのである。




