818:着火間際(下)
「日本人の永住権申請についてですが……彼らの多くが出稼ぎ労働者である反面、家族を連れてやってきているケースが多く見受けられます。これらの事情を鑑みても、永住を目的とした行為であることは明らかでしょう。であれば、永住権を獲得するために設けられている今の制度を維持していけば、30年後ぐらいには日本人の数は倍以上に膨れ上がることになりますぞ」
そう指摘した議員は、元フランス東インド会社の社員だった男だ。
彼は増え続ける日本人出稼ぎ労働者に対して警鐘を鳴らしていた。
日本人は独自のコミュニティを作るだけでなく、文化面においても日本の伝統文化が持ち込まれており、これらの文化が青龍に移り住んでいるマイソール王国出身者や、中国大陸から亡命してきた中国人、それに朝鮮王朝からの移民たちの間でも話題になっていた。
日本人の文化は島国文化であったことから、長らく閉ざされた状態で繁栄をしていた事でも知られている。
その日本文化が台湾に持ち込まれたことで、史実よりも一世紀以上早く日本の文化などが浸透してくるようになったのだ。
建築はフランス式のものではあるが、日本人の住んでいる居住エリアの多くが長屋であったり、日本の食文化の代表格ともいえる醤油などを作る蔵などが建設ラッシュを迎えているのだ。
日本側も鎖国体制から一変し、諸外国への視察などを行ったり、出稼ぎ労働者を派遣することによって外貨を獲得するために奔走しているというのが実情である。
そうした経緯も踏まえても、日本人の出稼ぎ労働者や移住を希望する人間の数はずっと右肩上がりの状態であり、既に日本人が大多数を占める地区も多くあるのだ。
これらの地域でも、日本人は丁髷を付けたままであり、武士は武器の所持が禁止されているため刀などは預けられているものの、それでも木刀などを持ち歩いて武士としての気品を保つことを目的としている。
そうした現状をかの議員は危険であると判断したのである。
フランス文化が日本人によって乗っ取られるのではないかと危惧しているのだ。
公用語はフランス語を中心としているものの、多民族社会となりつつある青龍では台湾から古くから住んでいる先住民族の人々との交流で使うために彼らの言語を使ったり、マイソール王国出身者も6千人程いるため、あちこちでしゃべっているのはルーツとなった国の言葉である。
実に十以上の言語が使われている現状において、フランス語を公用語としてそれ以外の言語を使うのを禁ずる法律を制定する権限もあった。
自国への愛が強いフランス東インド会社の元社員の男は、フランスで培ったことこそすべてであり、出稼ぎ労働者……特にアジア系に関しては「数が多すぎてフランス人が少数派になっている事が問題であると考えないのですか?」とオランプに対して挑発的な言動を口にして、彼の取り巻きの議員が「そうだそうだ」と野次を飛ばす。
しかし、オランプはその権限の発動に関しては異議を唱えている。
昔から平等的な考え方を持っていた彼女にとって、出稼ぎ労働者や移民に関する考え方は寛容的であり、特にルイ16世が発布した差別撤廃法案の中にも、フランス領となっている場所に居住を希望する者であれば、それはすなわちフランス人であり、フランス人になりたいと願っている者を排斥する理由にしてはいけないと厳格に取り決めまでしているのだ。
「フランス語を公用語にはしておりますが、移民や出稼ぎ労働者の使う言語まで統制させるのは国王陛下の御意思に反する行為です。そのような事は相手に対する差別的言動と捉えかねますよ」
「いえ、私はあくまでも公用の場においてはフランス語を喋ることを制定化させておくべきとは言ったにしても、家の中まで母国語を喋るなとは言っておりません」
「そうだとしても、今のあなたの言動を見れば日本人をはじめとするアジア系の住民に対して差別と受け止められてもおかしくない発言ですよ?青龍はアジアのフランス領であると鑑みても、ここにいる議員の中にはかつて清国で商人をしていて、フランスへの永住を果たした人もいらっしゃいます」
「しかし、去年までに逮捕ないし送還された日本人の数は47名もおります。台湾全土で発生した犯罪のうち日本人が占める割合は年々増加傾向になりますし、アジア系による組織犯罪なども逮捕者も増えている現状、一定の規制基準を強化すべきではありませんか?これではアジア系によって我々の青龍が穢されてしまいますよ」
「犯罪者に対する取り決めは既に行っております、それに数的分母ではアジア系住民や労働者が多くいるのは必然でもあります。彼らのことを鑑みても、そういった発言は謹んでください。次に同様の発言をした場合には行政長権限をもって貴方の議員資格の剥奪と、議会での侮辱罪で逮捕します」
「ぐっ……わかりました……」
元社員の議員は流石にそれ以上言う事はなかったが、彼のように潜在的にアジア系の住民を排除したいと考える者が少なからずいるのも事実だ。
特に、フランスでは長らく白人優性主義的な考え方を持っているのは、この時代では普遍的な考え方に近かったのだ。
転生者が憑依したルイ16世によって、差別を禁止することを目標とする法律が制定されても、非白人種に対する差別的な考え方までは完全に根絶するに至っていない。
(少しでも改善しなければなりませんね……長らくそういった主義思想がキリスト教圏を中心に蔓延しておりましたから……改革派では宗派や人種と問わず、フランスで暮らし働くことを望んでいる者に対しては、審査や五年間の犯罪歴などがない場合に限り、門を開けて受け入れをすべしと書かれておりますからね……)
一方で、日本人やアジア系の出稼ぎ労働者の犯罪も増えているという指摘に関しては事実でもあった。
これは年々増えている日本人労働者のうちヤクザまがいの人材斡旋業者が不法入国させたり、港湾において台湾の主力産業となっている砂糖やラム酒の密輸行為を行っていたために摘発された件数が増えているのだ。
直接的な暴力行為や殺人事件などを起こして逮捕されたのは20名ほどであり、残りの27名がこうした組織的犯罪行為を行っていた日本人でもあったのだ。
この事から、幕府側にも組織犯罪集団の取締を依頼しており、日仏両国で違法な人材斡旋事業であったり、砂糖やラム酒を不当な値段で売買をしている事業者の摘発に乗り出しているのだ。
アジア地域の諸外国との窓口となっている台湾への進出と発展を押し上げるためにも、永住権を獲得するために規則であったり、むやみやたらに希望者全員を受け入れるのではなく、まずは従来通りの入国審査と犯罪歴の有無、それから文化同士の衝突が起きないようにコミュニティ同士での交流や、コミュニティで影響力を持っている人物に対して当局との協力を要請し、犯罪の撲滅であったり、重犯罪を犯した場合は国外追放や入国禁止処分などを厳しい基準に引き上げて設けることで、保守派やフランスの愛国主義者たちの一部要求を受け入れる形で採決を可決させたのであった。




