810:モンペリエ
モンペリエに到着し、案内されたのは旧オルレアン派に仕えていた貴族が保有していた屋敷であった。
居住を目的とした建物の中でも大きく、そして使い勝手が良い屋敷として提供されたので、個人的には有り難いと思っている。
屋敷も決して貧しいわけではなく、オルレアン派の粛清後にはこの屋敷は改革派のメンバーが保有しており、そのメンバーが民宿として屋敷を改築して運営していた。
今回、セキュリティーの面で屋敷を事前に調査し、安全性と緊急時の避難が執り行われやすいという理由で選ばれて泊まることになり、モンペリエの中心部から徒歩20分ほどにある場所だけに、そこまで離れていないのもポイントだ。
ただ、この街には大きな宮殿はなく、代わりに大きい建物といえば教会か、モンペリエ大学、それから新規に建築されている織物工場ぐらいである。
あと、有名なものでいえばルイ14世の像と凱旋門があり、これは本当にパリに比べたら小さいが街のシンボルマークとなっているので、凱旋門には行ってみようと思う。
「今日はこのモンペリエで午後3時からモンペリエ大学で演説をするのですね」
「そうだ、アントワネットや子供達も大学で見学をするつもりだそうだが……モンペリエ大学にはある伝説が存在しているんだよ」
「伝説……?」
「そう、フランスでは知らない人がいない16世紀を代表する予言者、ノストラダムスさ……」
そしてモンペリエといえば忘れてはならないのが、かの20世紀後半になってオカルト番組を中心に世界滅亡等で色々と騒がれた予言者ノストラダムスが、モンペリエに3年間ほど大学に在籍しており、医学の研究を学んでいたとされているミステリーだ。
なぜミステリーなのかと言うと、実はノストラダムスの経歴においてモンペリエ大学医学部に在籍していたと思われているのだが、この時の在籍名簿が書き換えられており、通説ではノストラダムスはこのモンペリエ大学医学部に在籍こそしていたが、何らかの不都合な事態が発生した為に在籍名簿からかき消されたのではないか?という説があるのだ。
俺が転生する前に執り行っていた歴史研究番組では、ノストラダムスが医学部入学の条件である薬剤師の資格が取得していなかった、もしくは取得した経歴が詐称ではなかったか?という検証が行われており、何らかの形で薬剤師と医師の資格を保有していた扱いになっていたのではないかと結論づけられていた。
医師や薬剤師という肩書もさることながら、彼は占星術師としても知られており、星の動きなどから様々な考察などをしていたとも言われている。
彼は様々な予言を残し、幾つか予言通りになった例も存在した為に、時の権力者や有力者などが挙って彼に予言を依頼しにやってきた逸話が残されている。
当時のフランス国王やハンガリー国王ですらもノストラダムスの占星術にハマっており、彼に依頼した占星術の写しが現代でも現存している。
それぐらいに、彼の予言は人々を熱中させていたそうだが、恐らく当たり障りのない事を言った事が、偶々当たって予言が的中したとみなされて、彼が予言者としての名声を手に入れられるきっかけになったのだろう。
「そんなにスゴイ方がいらっしゃったのですね……」
「時の国王や神聖ローマ帝国皇帝がわざわざ依頼してまで占星術や予言を聞きに訪れたり、手紙をよこして依頼したぐらいだからね……それぐらいに予言に関して信仰に近いほど熱狂的に信じる人もいたぐらいさ」
「それで……その方と繋がりのあるモンペリエ大学での演説に執り行って、ノストラダムスの話題も出すという形ですね?」
「ああ、今でもモンペリエではノストラダムスの事を信じている人は多いからね、特に大学医学部に関しては研究しているクラブが存在しているほどさ」
そしてこの時代でもノストラダムスの知名度はフランスでは健在であり……18世紀になってもノストラダムスの大予言というのは割と信じられていた事でも知られており、彼の墓は史実では今年……フランス革命の真っ最中に革命派の兵士によって暴かれてしまい、彼の遺骨は混乱によって四散し、遺体の大半が革命の混乱で行方不明になってしまったそうだ。
しかし、この世界ではフランス革命が起きないようになったので、その心配はほぼ不要である。
「言い伝えでは、ノストラダムスがこのモンペリエ大学に戻ってきた際に、ある木を植えて枯らせないように水やりなどを行うように指導していたみたいだからね……地元の人たちはノストラダムスの教えを今でも守って管理をしているそうだ」
「まぁ、それだけ有名で今でも人気のある方なのですね……」
「もう200年以上前の人物だけどね、それだけに占星術としての占いが的中することが多かったみたいだし、幾つかの予言も当てているのを見れば、信じる人も一定数はいるでしょう。その話題を出せば話のネタが尽きることはないよ」
むしろ、彼の在籍していたモンペリエ大学医学部に赴いて演説を行った上で、現地の学生や住民、そして大学教授と一緒になってノストラダムス関連の話題を持ち出せば、少なくとも話題に尽きることはないだろう。
アントワネットと一緒にノストラダムスの話題に盛り上がっている中で、俺はモンペリエ大学で行う講演でどのような事を話すのか?
そのスピーチ用原稿の最終チェックを行っている最中である。
ここのモンペリエ大学では医学部が衛生保健省の管轄下になって指導や教育を執り行っており、科学的知見に基づいた最新鋭の治療や医療研究のために役立てられている場所でもあるのだ。
サンソン氏も、このモンペリエ大学医学部に関しては「フランスの中でもパリ大学医学部に次いで、歴史と実績のある大学です」と太鼓判を押しているので、モンペリエ大学の支援を執り行うことを約束させた上で、今日の医療の発展がどのようにして執り行われたのかを学生たちに講演する事を決定している。
「ノストラダムスもペストが流行した際に、アルコール消毒であったり清潔な水で手洗いをするように心掛けて家々を周ったとされているからね……それなりに科学的知見で執り行ったと言われているんだ」
「そのようなエピソードもあるのですか?」
「一応、彼は表向きは医師・薬剤師として活躍していたからね。医師としてペストが流行していた地域に赴いて、指導していた記録が残されているからね。占星術師の予言者として有名になる前までは医師としても活躍していたというのが歴史の通説だよ」
ノストラダムは一応は医師の資格を持っていたとされており、その時に当時の人々への治療のために手洗いや、アルコール消毒を進めていたというのはほぼ事実のようだ。
そんな、ノストラダムの予言というものが当たるのか否か?という問題よりも、彼には比較的占星術師としての知識があり、それで人々に助言をしていたそうだ。
原稿のチェックを終えた時、テレーズが肩をトントンと叩いて耳元で囁いた。
「ノストラダムの予言……表に出されていない詳しい書の在処なら知っていますよ」




