809:電報
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1793年3月29日
フランス モンペリエ
二ヶ月近くになってようやくモンペリエに到着した。
ナント、ポルドー、トゥールーズ……といったフランスを代表する街並みを見学し、現地で歓声を受けてきた身としては、マルセイユと並んで発展した南部都市という印象を受ける。
元々プロテスタント系のユグノー派が占めていた街だけに、宗教間紛争によって多くの建築物が消失したり、破壊されたりと不遇な出来事が起こったことでも知られている。
「これがモンペリエかぁ……あの向こうに見えるのは地中海だね……」
「たしか、地中海まで目と鼻の先でしたよね?」
「そうだよアントワネット、ここでは地中海産の魚を使った料理が有名だからね。確か魚をバターで炙って料理をするという話を聞いたことがある、中々美味しいみたいだし、今夜の晩餐会で出されるかもね」
「そうですね、晩餐会で出されたら食べてみたいですね!」
ここまで来るのに、実に苦節23年か……。
転生してから23年間、一度も地中海側の景色を見た事が無かった俺にとって、モンペリエの街並みはかなり小奇麗な印象を受けた。
歓迎して出迎えてくれている人の多くがユグノー派の住民であり、俺が彼らに謝罪や補償などを補填し、国への帰還事業に参加して帰ってきた人達だ。
「国王陛下!!国王陛下!!」
「お陰で祖国に戻ることができました!!!」
「先祖代々の土地に戻る事ができたッ!!ありがとうございます!!」
「陛下!王妃様!どうかモンペリエでゆっくりしていってください!」
フランス国旗を掲げて凱旋する様子は、見ていて嬉しい。
特に、一度は国を去ったり改宗を余儀なくされていた人々が戻ってきて、再び故郷に戻る事ができるようにしたのは良い事だ。
同じ宗教なのに考え方の違いだけで分派が出来てしまうのはキリスト教や仏教、イスラム教でも同じことだ。
解釈の違いで戦争を起こし、数十万人以上の犠牲者を出したユグノー派による内戦もあったし、同じフランス人であっても宗教の問題で殺し合いをするのが中世から近世に掛けて行われてきた虐殺劇でもあった。
特に、こうしたユグノー派の弾圧は16世紀から18世紀初頭ばまで続き、ルイ14世のフォンテーヌブローの勅令によってユグノー派は国内外に離散する結果を産み出したのだ。
「元々は大勢のユグノー派の人々が住んでいた土地であったが……ユグノー戦争と、フォンテーヌブローの勅令によって多くの熟練技術者などが離れてしまう要因になった。結果として、曾祖父の失態が後世になって響いてしまうことになったのは、まさに歴史の皮肉ではあるな……」
「ですが、オーギュスト様によって多くの方々が戻ってきておりますよ。すでに賠償金なども支払っておりますし、これから挽回できるのでは?」
「そうだね、ただ……当事者として宗派の違いによって差別を受けて苦しんだ人々の気持ちまでは味わえないよ。彼らだって元々はこの街を含めて、故郷で暮らしたかった人が大勢いたはずだ。それが迫害によって改宗を選ばずに、ネーデルラントやプロイセン、それにグレートブリテンに移住した人々の数が多い……結果として、ルイ14世の失態の中でも熟練技術者の割合が多かったユグノー派を追放したことが、時計産業や造船技術を含めた、日常生活に欠かせない人々の四散を招き、生活基盤の足元に亀裂を産み出したのさ……」
「……」
「だから、我々としては数世紀に渡る迫害をした分の償いはしなければならない。特に、一般人を巻き込んだ虐殺行為が複数あったからね……その虐殺行為は王族によって指導・指揮されたものであることを忘れてはならない。そうした行いを二度と繰り返してはならないと肝に銘じておく必要がある。子供たちにも、それを理解する機会を設けようと思うんだ」
これは現代でも言えることだが……宗教というのは根本的に火種を産み出す主要因であると同時に、宗教観の希薄化が進んだ日本だと、幾つもの宗教要素を日常生活に合致させて継続させている例が幾つか散見される。
キリスト教の教えを蔑ろにするつもりはないが、日本のように文化として溶け込んで、それが抽象的な存在に変わったほうが、宗教的な対立は減るんじゃないかと思っている。
例えば、初詣では神社に赴いて元旦に参拝し、春には桜を見物しに神社や寺院の境内に入って花見を楽しみ、夏祭りでは宗教施設が中心となってお祭りの舞台を提供し、近年ではハロウィーンやクリスマスといったキリスト教由来の行事を受け入れて楽しんでいる。
これは戦後の日本がGHQの政策によって、それまで帝国時代の国是でもあった八紘一宇を中心にした神道的宗教的価値観を廃止して人々の宗教観を希薄化したとも言われているが、実際には古来の日本が受け継いできた自然信仰や山岳信仰なども、神道の成立や仏教の伝来によって変わってきているし、明治以降は宗教というのが概念的存在に置き換わっていたはずだ。
戦国時代初期にキリスト教が伝来した際にも、仏教の一派として布教活動がされていたために、日本人にはそういう仏教の一派としてなら受け入れてもいいとする考え方が九州地方で広まっていたともされている。
最も、日本の場合は島国の気質もあるので、その意思が反映されている事を加味し無ければならない。
ヨーロッパ大陸であるフランスで、宗教を『信仰』から『概念』として『抽象的な存在』に置き換えるように命じても、反って反発を招く恐れがある。
特に、キリスト教は西暦の主軸になっている上に、教会の権限は強い。
キリスト教二大宗派としてカウントされているカトリックもプロテスタントも、これを主軸に考えられているため、今になってそういったことをしても無理だろう。
であれば、基本的に宗教においては『宗教省』みたいなのを作って、国内の宗教間で勃発した紛争や争いなどを解決する事を既に進めている。
この宗教省の理念としては、キリスト教だけでなく他の宗教に関しても対象とし、ユダヤ教やヒンドゥー教、イスラム教、仏教、儒教、神道などの世界各国にある主な宗教を研究対象として、フランスを起点に宗教に対する考え方や接し方を研究する機関として動かしていく。
現代でも紛争やテロの主要因となっているのが、領土問題や政治的対峙もあるが、根本的な要因が宗教的な対立によってもたらされているモノが多い。
特に、現代ヨーロッパで大問題となっている移民・難民問題の根底にあるのが、宗教的価値観の違いから生まれる宗教対立であり、欧州の各地で移民・難民に排斥的な極右勢力が躍進したのも、この宗教的価値観がキリスト教と、移民・難民の多く信仰していたイスラム教との間で起こっており、転移直前のニュース番組で、フランスで不法移民や難民の排斥を掲げた国土戦線党が第一党になったのが記憶に新しい。
子供たちや、子孫が過ちを繰り返さないように……俺たちはユグノー派追放を失敗政策であると認め、しっかりと直視していかなければならない。




