799:連動(中)
プガチョフは側近たちを集めて、先ほど自身の脳裏に降り立った『天からの指令』に関して熱弁を奮い、側近たちに呼びかけた。
「古い帝国は終わりを告げる……我々は”過去への帰還”を果たすべく行動をするべきなのだ……」
「過去への帰還……?」
「そうだ。過去だ……農奴たちが必死にかき集めた麦を地主が奪い、貴族が私服を肥やす時代は終わった……しかしながら、それ以前の生活に戻っていないのだ……ありのまま自由に生きる事の出来た時代に……」
プガチョフの脳裏に浮かんだのは、農奴という言葉が誕生する以前の光景であった。
服を着た人々が、笑顔で農作物を生産し、その農作物を使ってパンをつくったり炎を中心に踊って楽しく過ごしていた日々……。
いつの日か、過去に起こったであろう出来事を彼の脳は追体験したのだ。
その追体験のさなかに彼の脳裏には、全てのロシアでこれを実現しなければ『真の解放は訪れない』という声が囁いたのだ。
つまり、農奴制を完全に廃止にするだけではなく、ありとあらゆる文明社会から一度脱却を行い、人が本能的に動くようにしなければならないというお告げであると解釈したのだ。
宮殿や建物に居ることはまだしも、オスマン帝国への軍事侵攻が停滞期に入っている中で、徐々にではあるが占領地や農奴からの不満が出始めている。
この不満もプガチョフ自身が受け入れるようにした結果、彼は精神的な不安定要素と瞑想によるトリップ行為が重なり、不満のはけ口を新しく作る必要があると講じるようになったのである。
「余はピョートル大帝の意志を受け継ぐことだけが指導者の素質であると思っていたが、それだけでは足りぬのだ……!根本的に解決するには西方の地にある脅威を排除し、安定の世にしなければならぬのだ……」
「ですがピョートル降臨神……現在我が軍の3分の2がオスマン帝国への攻勢に出ております。今西方への進出を行うにしても、兵力の再転換だけで3か月以上は掛かるかと……」
「そうだな……通常であれば愚策だ。特に休戦協定を結んでいる相手に戦争を仕掛けるようなことは愚策なのだ……通常であれば……だがな」
プガチョフは異を唱えた側近の一人の隣まで歩き、指摘した事に対しては咎めないと語った。
その代わりに、オスマン帝国との戦闘を休止してでもヨーロッパ方面への軍の配置を執り行うことへの理由をこう明かした。
「瞑想用の阿片が賄いきれん……このままの速度で阿片を使えば、早くて半年後には最前線の兵士に支給する分が足りなくなる……そうなれば兵力の士気と無痛を維持できんのだ……」
「北米複合産業共同体が取引していた阿片ですね?」
「そうだとも……フランスやスペインに感づかれて船団の大半が拿捕ないし破壊されたのだ。幸い、半年分の阿片は前回の輸送分の在庫があるが……それでも心もとない。何としてでも、阿片が切れるまでにケリをつけねばならないのだ」
救世ロシア神国の原動力である阿片の在庫が、すでに減り始めていた。
元々阿片栽培の土地に不向きであったロシアだが、それ以前までは最前線に立つ兵士に率先して支給されていた阿片が、次第に庶民層にも蔓延して集団交配をする際にトリップ薬として広く出回るようになり、消費量が増えたのだ。
プガチョフ自身も瞑想用に阿片や大麻を服用しており、これらの薬物を服用することによって神秘的経験を感じながら、側近らへの政治的指示などを取り付けていたのだ。
彼のカリスマ性なども、神秘主義であるチベット密教などの宗教を参考にしながら執り行ったこともあり、阿片とは切っても切れない関係になってしまったのだ。
年々増えていく消費量に、中央アジア諸国からの輸入では間に合わず、北米複合産業共同体に依頼して生産したものを使っているのが現状であった。
これらの阿片によって最前線で戦う兵士は阿片の服用で痛みを感じずに、目玉や腸が飛び出しても走り続ける事が出来る無痛の兵士となって恐れられる存在となったのである。
しかし、その無痛の兵士達にも期限が迫ってきている。
それは無痛でいられるスパンが短くなってきているのだ。
理由は明白……。
阿片による耐性がついてしまったことで、彼らは依存症になっているのだ。
それでも、最初に依存症が強い兵士達を最前線に送り込んで弾除けであったり、危険な任務に就かせているので彼らの数は緩やかな増加に留まっている一方、阿片は多くの国民に普及し、瞑想であったり集団交配用に使う『神秘薬』として広く出回っているのだ。
このままでは、ロシア領の奪還すら難しいのだ。
下手をすれば、あと5年以内に現在の救世ロシア神国の脆弱性を突かれる形で瓦解してしまうだろう。
そうなる前に、ピョートル降臨神としてプガチョフはロシアの併合という形で先手を打つ必要があるのだ。
「このままではいざ、旧ロシア帝国……並びに新ロシア帝国との戦争になった際に、前衛兵士に配布予定の阿片が足りなくなる。集団交配によって使われている阿片の消費量も多い……このままでは脆くなった部位から崩れ落ちていくだろう。そこで、今、阿片がある現状において最低でも2か月以内で国民200万人を動員してこれらのロシア帝国の旧領地域を併合しなければならないのだ」
「ピョートル降臨神殿……旧ロシア帝国はともかく、新ロシア帝国はプロイセン王国軍を打ち破ったフランスやスペインがおりますぞ。かの国では蒸気機関を使用した連射性に優れた兵器の実用化がされております。相手にした場合、かなりリスクがありますぞ……」
「ふむ、それに関してはこちらに名案がある。旧領を奪還するためにも必要なことだ。それに、彼らはモスクワまではやってこれんよ」
プガチョフにも勝算があって旧領奪還という名目の侵攻作戦を開始する用意があったのだ。
それは、冬場の東欧地域……それもミンスクやサンクトペテルブルグ一帯の気象情報である。
これらの地域では厳しい寒さが控えめであり、モスクワ近郊に比べたら比較的暖かいのだ。
つまるところ、防寒対策を施している状態で春先で攻勢を仕掛けるのだ。
それに、彼らが動員可能な200万人という膨大な数を旧ロシア帝国や新ロシア帝国と同盟を組んでいるフランスやスペイン、さらに新ロシア帝国を傀儡国家にしたスウェーデンですら動員できない数なのだ。
兵士の質に関して言えば、農奴に鎌や鍬を持たせたようなものであり、組織的な統制こそ取れているが、実態としては民兵にも劣る質である。
そんな質であっても、数が揃えば脅威になる。
一か所に大量に動員するという人海戦術は、人間津波とも揶揄されるほどにオスマン帝国を苦しめた。
大勢の兵士が戦場に散っているが、それでも集団交配によって失った兵力を補うだけの人間が産まれてくる。
そうであれば、問題ない。
死んでいく兵士を埋める算段は整っている。
200万人が死んだら、つぎに200万を……それが駄目なら国内の予備役候補となる男女問わず国民を動員すればいい。
広大な大地に多くの人間がいる。
彼らはプガチョフの考案した教えに則り、行動するだろう。
そして、彼の指先一つで喜んで死んでいく。
集団交配と阿片によってもたらされた産物でもあったのだ。




