798:連動(上)
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1793年1月30日
救世ロシア神国 聖都モスクワ
モスクワは降りしきる雪の中、クレムリンには降臨神とされたプガチョフが眠りについたままだ。
彼は毎日祈祷と共に瞑想をしながら朝の時間を過ごす。
この瞑想の時間は何人も侵害することは許されない時間であり、緊急時を除いてプガチョフが一人でお香を焚きながら一人の時間に耽っているのだ。
それが日課であり、彼がスピリチュアルなものに目覚めた時には自身をエカチェリーナの取り巻きによって殺害されたピョートル3世の想いとされる現象が脳裏に入り込み、彼は僭称者として反乱を起こすことを決断したのだ。
彼の仲間たちは史実ではカザフの戦いにおいて敗走してしまったものの、この世界では史実以上に反乱を成功させ、各地において農奴や平民への武装蜂起を呼びかけた結果、首都モスクワを制圧する大戦果を挙げてしまうほどの勢力へと拡大。
その後、彼が執り行っていた瞑想と祈祷の時間の際に、彼自身が『子孫繁栄を執り行うために必要な儀式』と称して、身分や男女の垣根を超えた『集団交配』を執り行う事を発表したのだ。
「密教の教えを拡大し、子孫繁栄を執り行う上では今のままでは人間は不十分なままだ。そして、人間という殻を捨てることこそが……人間らしくなるために必要なのだ!獣のように走り、圧政者を殺し!そして子孫を増やすッ!!!これこそが、ピョートル降臨神による、救世ロシア神国の国是である!!!」
この国是の制定により、多くの人が出産や交配は『義務であり、人間として必要な行い』と認識して積極的に執り行ったのである。
これは十年以上に渡る救世ロシア神国の国是として取り入れられ、もはやこの国の子供たちには血統などは過去のものになりつつあり、今の子供たちは親の顔を見た事すらいない。
すべてがピョートル降臨神の子供であり、女性たちはピョートル降臨神の子供を産んだら集団育成所に預けてまた別の集団交配に参加して子どもを授ける……その繰り返しなのだ。
それぞれ教会の名前と、産まれた順番通りに割り振りが行われて『○○寺院○○年〇番』という文字と番号が与えられる。
それが子供たちの正式な名前となるのだ。
子供たちのほとんどはこうした命名が義務化されたこともあり、農奴の子であっても番号によって呼ばれて、運が良ければより素晴らしい職に就くこともできる『この時代においては子供の誰もがチャンスを与えられる』国になっているのだ。
プガチョフの実の子供などはアレクセイなどの名前を授けられるが、これは降臨神の子供や気に入られた側近、戦争において功績を残した将軍や兵士に与えられる『特権』となったのである。
子供たちの名前は無機質なものになりつつあり、救世ロシア神国が誕生して出来上がってから最初の10年目に当たる子供たちは集団育成所を退所して、与えられた仕事に割り振りが行われる。
勉学が達者な者は救世ロシア神国の国是ともいえるピョートル降臨神を称える教会に通う者は『宣教師』としてピョートル降臨神の素晴らしさを説くことと、集団交配の合図を取り仕切る大役を任される。
かつてのロシアにおける大多数を占めていたロシア正教会は既に解体されている。
ロシア正教会の建物の多くがピョートル降臨神を称える『伝令場』と化しており、冬場は正教会跡地において集団交配が行われ、人々はかつての威厳と秩序ある建物の中で乱れ狂い、そして快楽と狂乱の現場に溶けていくのだ。
多くの宣教師が新ロシア帝国や旧ロシア帝国側に逃げたか、改宗を拒んだ愚か者として処刑されるか、心が折れて改宗してひたすらにピョートル降臨神を崇めることに打ち込んでいるかの三択であった。
そして、阿片を配布したことにより、多くの国民がこの阿片を服用しながら老若男女問わず、裸になって数少ない娯楽と狂気を楽しむようになった。
貴族の娘であっても、農奴出身の老人であっても……一度集団交配の輪に入ってしまえば関係はないのだ。
同じようになり、それまでの家族ではなく集団における一つの群れとなって増やしていく。
すでにモスクワは異端ともいえる巨大宗教国家の聖都として栄えており、この街に住んでいる者は皆、誰かと交配したことのある住民ばかりであった。
一度交配すれば戻ることはない。
戦うか、働くか、交配するか……娯楽がほとんどない状況下において、プガチョフが性に「娯楽要素」と「宗教的義務化」を推し進めたことで、救世ロシア神国の出生率は加速度的に増えているのだ。
どの女性でも5人以上出産するのは当たり前となり、多い人では毎年のように赤ん坊を集団交配によって出産し、戦場においても出産が執り行われているということだ。
戦争においてはクリミア・ハン国やオスマン帝国支配地域であったルーマニアやブルガリアといった諸国に侵攻した際に、現地住民との間で強制的に集団交配を開始、多くの地域で父親の所在不明な子供が多く生まれることとなった。
「人間は元は赤子だ。如何なる身分であっても赤子から抜け出せるまでには時間が掛かる。赤子は神が授けたもうた存在であり、彼らは何人であったとしても育てなければならない。我らの下に育てて、子を産み、子を育て、人間を増やせ……それが神として与えられた義務なのだ!」
プガチョフが瞑想の末に叫んだことで、国内のみならず……占領地においても救世ロシア神国は集団交配を強要し、既存の正教会などを解体して集団交配を執り行う伝令場を設置することになった。
多くの住民がこの交配に加わり、加速度的に女性陣のほとんどが妊娠し、子供の多くが救世ロシア神国本土に送られることになる。
しかし、プガチョフは鞭の一環として占領地の住民の間で産まれてきた子供の多くが生まれ故郷に戻ることはなく、一度集団育成所で育て上げられた末、全国各地に散らばる結果となった。
首都モスクワも聖都として記載登録処理を行い、彼らは自分達のルーツとなる出生地番号を割り振られてから育成所に預かり、そこで救世ロシア神国の教育の手ほどきを受けることになる。
占領地では新しい風習が土着していき、既存の宗教体制は瓦解しつつあった。
新しい神秘瞑想主義的な考え方だけでなく、禁欲とは正反対の快楽・享楽主義への傾倒が強く現れ、それが国民のみならず周辺国への侵蝕を行い、人間交配を繰り返すことによって驚異的な出生率である9.8%を記録している。
同年代頃のフランスの出生率が5.7%であることを考えると、フランスの倍近くの子供が産まれて育てられているのだ。
彼らは自重せずに交配を繰り返す。
そして、オスマン帝国の黒海方面を支配し終えたプガチョフの脳裏に天命ともいえるような衝撃が走る。
瞑想中とはいえ、その衝撃は今までにないほど強いものであった。
衝撃を忘れまいと側近たちを呼び集めて会議を行った。
その会議とは、休戦協定によって未回収のままである旧ロシア帝国と新ロシア帝国の再併合を執り行うための御前会議でもあった。




