769:ウイスキー
「デオン、一つ聞いてもいいかな?」
「はい、なんなりと」
「……今年に入ってから新大陸方面で生産された阿片が問題になっているけど、貧民層ではどのくらい阿片が以前から流通しているか判明しているか?」
「そうですね……検挙した阿片をパンなどに埋め込んでいた集団曰く、去年の8月頃に取引を持ち掛けられたと語っておりました。それまでは地元でもゴロツキとして有名だった集団でしたが、8月を境に阿片の取引をするようになってから羽振りも良くなったと有名だったそうです」
「去年の8月……やはり、プロイセン王国軍の敗戦が濃厚になった頃合いだな」
去年の8月はベルリン近郊までフランス軍を中心とした欧州協定機構軍が進軍を開始した時期だ。
この時期になると、すでにプロイセン王国軍はベルリン以外での占領地の大部分を失っており、山間部や森林地帯に逃げ込んだ部隊を除いて、ほとんどがベルリンに撤退したかフランス軍等に降伏したり、民衆蜂起が発生して領土の次々が寝返った時期でもある。
敗戦濃厚という事で、フランスでは勝利に近づいているとして活気に沸いていた時期でもある。
そのころに阿片が流入していた……。
うむ、考えられないこともない。
精神安定剤のような高揚感を得る上に、痛み止めとしての効能があるため傷痍軍人には乱用防止のために医師が立ち合いの下で阿片の摂取が認められていた。
勿論の事ながら、これらの阿片摂取は治療目的であり、娯楽目的ではない。
それに、政府公認の阿片に関してはマイソール王国から輸入をしているケシを使っている上に、既に阿片として加工され包装した状態であり、盗難防止のために厳重な管理を行っている。
これはマイソール王国との交わした条項にも含まれており、フランス政府がマイソール王国の産業基盤を整備したり指導をして蒸気機関などを導入する代わりに、医療用阿片の生産に関しては密売を防ぐために生産工場だけでなく、港の積み下ろし作業の際にも検査員を配置して阿片が規定通り運ばれているか、もしくはちょろまかしといった不正行為がないか厳重なチェック態勢が敷かれている。
そんな状況でわざわざチェックの厳しいマイソール王国からの密輸入はリスクが高い上に、港でのチェックで引っかかる恐れがある。
そこで彼らは仮想敵国であり北米複合産業共同体が支配している新大陸に目を付けたというわけか。
いや、向こう側から誘ってきた可能性のほうが高いな。
ゴロツキ風情が政府機関との繋がりのある組織と深く関わっているなんてことはないだろうし、むしろゴロツキ連中が逮捕されてもトカゲのしっぽ切りとして、また別のグループを使って阿片をフランスに流通させればいい。
早い話が、阿片を売りさばくのは北米複合産業共同体が利益を求めてやっているんじゃない。
フランスの国力を低下させるために行っているんだ……。
「こりゃ一杯食わされたな……北米複合産業共同体は確実にフランスを弱らせようとしているな……」
「フランスだけではなく、欧州各地でも同様に阿片による被害が出ている状況です。特にスコットランドでは……」
「ああ、あの辺りは今では欧州で最も貧しい国になったからな。そこで貧民層の人達が退屈を紛らわせるために阿片を吸って中毒者が増えているのだろう?」
「はい……スコットランド政府も取締を強化しておりますが、如何せんいたちごっこが続いている状況です」
「ふむ……北米複合産業共同体の船が南米や中立国で荷卸し作業をしてしまえば他の荷物と混じってしまうからな……頗る厄介な問題だよ」
問題なのは、北米複合産業共同体のやり方がチクチクと国力にダメージを蓄積するようなやり方であり、おまけに中毒者の治療や介抱もしなければならない状態となるので、これに関しては取締を強化すると共にすべての海外からやってくる荷物の検査を実施しなければ防ぎようがない。
グレートブリテン王国内戦後に樹立したスコットランド政府も、象徴君主制を導入してもうまくいっておらず、実質的にフランスの傀儡国家となっている。
それでも、かの国の国民の多くがかつての王国時代の遺産を食いつないで生きている状況であり、その大部分は王国の中でも一部の特権階級者しか恩恵を受けていない。
かつてのスペインの無敵艦隊を葬りさっただけの軍事力と経済力はなく、一地方国家としての軍事力しか有していない。
その上に、重要な産業に関しても炭鉱はフランスとスペイン政府が利権を保有しており、スコットランド政府は内戦処理に伴う経済損失についても、毎年国税の5%から返済しているが、この返済が完了するには早くても一世紀程かかるとも言われている。
それだけに、スコットランド国内には末世的な空気が漂っており、老若男女問わず水よりも安価で貴重な外貨獲得のために生産・販売されているウイスキーなどを飲んで飢えをしのぎ、そのウイスキーですら酔えなくなった者達が阿片を服用しているというのが現状なのだ。
スコットランド政府も阿片対策はやっていたみたいだが、それでもここまで大規模なものであるという事は報告していなかった。
ハッキリ申し上げれば、今のスコットランドは生産性が落ちている上に麻薬まで流通している状況で対策を練らなければならない。
「しかし、これほどの阿片が流入しているとなると、南米やカリブ海だけでなく、中継地点となっているスコットランドでの荷卸し作業中に紛れ込んでいるという事か?」
「スコットランドでは多くの地域の港が内戦前の半分程度しか稼働しておりません、それも取引などが激減した影響もあって、取引を多く扱っていたリバプールやブラックプールでは船着き場の修理がやっとの状況です。積み荷の乗せ換え作業をしてくれる相手は利益にも繋がりますので、そういった相手へのチェック態勢が出来ていなかったと思われます」
「そうか……つまるところ、彼らは自分達の生活のため、荷卸し作業等でのチェックで阿片が見つかって取引が台無しになることを恐れていたという事か……」
「今後は東部方面を中心に積み荷の検査を重点的にやったほうがいいかもしれません。現在のスコットランド政府の財力と人員では、全ての港の検査までは行えません」
「そうだな……デオン、人員に関してはグレートブリテン王国内戦時に難民となってフランスに渡ってきた政府関係者に高額報酬と引き換えにスコットランドに戻って対応をするか、もしくは新規に人員を採用して取締をしてくれる警備員を派遣できるか検討してほしい」
「かしこまりました」
イギリスは島国だ。
それだけに海岸線も思っている以上に長く、スコットランドには複数の諸島が点在している地域もある。
これらの地域を警備して阿片の密輸入を堂々と行っている船を摘発するしかない。
これはとっても地道な作業ではあるが、積み荷の検査を一つ一つ徹底して少しでも違法な阿片が入ってくるのを阻止しなければならないのだ。




