749:大坂の春(上)
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1792年2月25日
日本 経済首都 大坂
大坂の街並みは一変している。
三階建ての長屋住宅が立ち並び、浅間大噴火に伴う気候変動と火山灰から逃れるように避難してきた関東民の多くが大坂や京都に身を寄せていた。
今では、江戸の文化も大坂に混じっているようになり、街中の露店として営業している蕎麦屋も二八蕎麦で使われているそばつゆも、大坂湾にほど近い瀬戸内海で採れた昆布つゆをベースに使い、露天で出している。
日雇いの大工仕事を終えた者達が、挙って安価な屋台の蕎麦屋に駆け込んで蕎麦を啜っている。
「やはり蕎麦はいいねぇ……啜るだけで腹が膨れるからね」
「とはいえ、この蕎麦だって色んなものが混じっているからな。二八蕎麦ですら四十文もする時代になっちまった……」
「まぁまぁ、うどんだって同じような状況ですさかい……こうして食べ物に困らんだけでもええじゃないですか」
「まぁ、確かにそうだが……」
「それに、ちゃんとお金さえ払えば二八蕎麦作ってくれるんですし、江戸っ子なら思い切って頼みましょうや」
「ったくしゃらくせぇな……親父!!!二八蕎麦1つ作ってくれ!!!」
「はいよっ、四十文ね」
元江戸っ子からは「かつおだしの汁じゃないと二八蕎麦の風味が出ねぇ……」と文句を言われることもあるが、それでも四十文で食べられる蕎麦の味は、控えめに言って贅沢である。
元々十五文から十六文程度で販売されていたのが浅間山大噴火に伴う寒冷化と、それに流民の発生によって大勢の人間が江戸を離れて大坂にやってきた結果、これらの地域で食糧の価格は上昇したのだ。
特にコメの値段は高騰して一時的通常時の価格の三倍以上に膨れ上がったが、他の雑穀類の生産を促し、食用に適している穀類を身分を問わず食べるように将軍家や朝廷が実施したことで、今では浅間山大噴火の1.4倍程度まで価格は抑えていることになった。
その代わりに、庶民のソウルフードでもあった天麩羅であったり、うどんやそばといった麺類に使われる小麦粉やそば粉の値段も上昇し、蕎麦がきのようなものでも気軽に注文できるような値段ではない。
以前では蕎麦屋において酒の肴として嗜まれていたが、ここではそば以外の稗や粟といった他の雑穀類を混ぜ合わせて提供するようになっている。
つまるところ、どこも関東地方から避難してきた流民の多くの胃袋を養うために、純粋なそば粉であったり小麦粉だけを使った麺類は高級品となりつつあった。
そば粉いえど、関西地方に需要と供給が多くなってしまった結果、耕作地が足りていないのだ。
都市部では建築資材として木が大量に伐採された結果、多くの木が生えていた場所が狩りつくされて、その多くが稗や粟、そばなどの雑穀類の生産拠点となって西日本地域の腹を満たしているのだ。
これは価格を下げるメリットがあったが、同時に蕎麦の風味であったりうどんの質感が下がる要因の一つとなり、雑穀類を混ぜ合わせた食品を提供することが当たり前となっていたのだ。
そのため、江戸っ子であったりどうしても食べたい場合には、店主に通常の蕎麦の三倍以上の価格を払う必要があった。
小麦粉やそば粉だけでなく、他の雑穀類を使用することで米だけを食べることはなくなり、白米飯ばかりを食べて栄養が偏って江戸患いと呼ばれていた脚気に関しても、発症者は激減することになった。
そのため、米だけではなく雑穀類を生産することによって腹を満たすようになり、結果として食料生産を回復させる幕府の目論見通りになったのだ。
それでも、米の値段は高いままであり、大坂の台所で並べられている食材に関しても雑穀米を使って食すことが推奨されているほどに、コメの価値は高いままだ。
庶民の多くが白米飯ではなく稗や粟を食べているが、皮肉なことにこれらの雑穀類を食すことによって栄養失調に陥る者も減り、江戸からの移住者もそれまではあまり好まれなかった雑穀を食べる事によって健康になったことで、白米飯ばかりでは身体によくないと照明されたのであった。
「こうも米やそばの値段が高いんじゃ……今まで食べていたように気軽に蕎麦や白飯を食べれる日は来るのかなァ……」
「いずれ来るさ……それに浅間山大噴火の時は一日一食が当たり前だった……配給の汁物だっておかずなんてワカメか山菜の一切れが入っている程度だったじゃないか……それに比べたらこうして雑穀入りの蕎麦を食べられるだけでも幸せなもんだよ」
「そりゃそうだがな……うーん、あの時が二八蕎麦だって二十文払えば食べられたからな……いい時代だったと思えばいいのやら……」
「はい、二八蕎麦だよ。三文払えばネギを入れるけど、入れるか?」
「ああ、頼むよ」
「麦を使った握飯もあるがどうする?昆布入りで五文だ」
「ええい、ままよ!親父、それも一緒に付けてくれ!」
ネギを乗せた二八蕎麦を啜りながら、食の有難味を再認識する者達。
米が高騰したことで、白米飯は何よりも贅沢品として重宝されるようになった。
将軍家ですら、白米飯ではなく玄米であったり雑穀米を食べて苦難を共にすることを誓っているだけに、白米飯が食卓であったり料理店で出されるのはほとんどないのだ。
そば粉だけを使用した蕎麦がきは貴重となり、今では二八蕎麦よりも高い値段で取引がされている。
生産地であった信州東部が浅間山大噴火によって甚大な被害を出して壊滅。
中南部地域でも避難民受け入れと共にそば粉や雑穀類を食べて飢えをしのぐ様相であった為、これらの地域での生産が見通せず、代わりに日本海側の山陰地方であったり、南九州地方でそばの生産が執り行われるようになるも、生産量でいえば浅間山大噴火前の六割程度しか回復していない。
「上様は十年経てば値段も下がるようになると仰っていたが……果たしてどうなるんだろうか……」
「さぁな……あの浅間山大噴火で信濃の国の半分が駄目になったうえに、上野国に至っては甚大な被害によって今でも幕府の統治が出来ていないそうだ……最も東北の鉄門組をどうするかにもよるがね……」
「あの連中、幕府を混乱させようとして要人を暗殺しようと試みたって話じゃないですか……第一、東北だけでそこまでうまく言っているんですかね?」
「ま、京都や大坂のようにうまくはいっていないだろう……旧仙台藩を中心に戦国時代のように各地の離反した武士団によって群雄割拠が起こっているという話しか聞いておらん」
「とはいえ、このまま鉄門組を黙って見過ごすわけにもいかんし、武器も新しく購入するんじゃないかって話が持ち切りじゃないですか……薩摩経由でフランス製の武器を輸入したという噂がありますが、あれはホントなんですかね?」
「分からんが、ここ最近薩摩には大型の帆船が立ち入るようになっているという話は聞いているぞ……鎖国も部分的に解除して、フランスの領土になっている青龍に出稼ぎ労働者を派遣することも認めておりますし、もしかしたら……」
蕎麦屋の屋台で熱く語っている労働者。
噂話ではあるが、近いうちに鉄門組排除のために幕府軍が東征を開始するのではないかという話が持ち上がっている。
それは半分は正しい内容であった。




