715:終局に向けて(下)
街中を2台の馬車が猛スピードで駆け抜ける。
国土管理局の職員と現地協力者、亡命希望者を乗せた馬車が石畳で舗装されたベルリンの街並みを制限速度以上の速度で走り抜けていく。
先頭はジャンヌが、後ろにはアンソニーの乗った馬車が路地裏を走り抜けており、それを追いかけるように、治安警察隊の馬も駆けており、まるで競馬場のように白熱した逃げを見せているのだ。
「止まれーっ!止まらないか!」
治安警察隊の警官が大声を挙げながらサーベルを抜いて追いかけているが、馬車の荷台から筒状の物を構えた国土管理局の職員を目にするや否や、急な方向転換をしようとして道路脇の屋台の店に突っ込んでしまう。
「くそっ!一体なにが……」
後続の警察官も何が起こったのか分からない状態で馬を走らせていたが、目の前に視線を向けると軍にしか配備されていない連射式空気銃を構えている職員を目の当たりにした。
「うわぁっ?!」
彼もまた、銃口の狙いを逸らそうとよけようとして道路脇の側溝に馬ごと躓いてしまい、そのまま落馬してしまったのだ。
国土管理局のスパイは、静穏性に優れている空気銃を配備しており、マスケット銃以外にも携帯式の空気銃も少数生産されているのだ。
ただ、今回の場合はプロイセン王国軍から鹵獲したモノを再加工しており、武器の連射性と安定性を高めている上に、憲兵や治安警察隊になりすまして情報収集を扱う際に使用していたモデルでもある。
当然ながら、憲兵や治安警察隊は銃を構えていると判断して即刻引き返そうとするのだ。
特に、乗馬しながら銃を撃つという行為は難しく、デリンジャーピストルが一般的となった19世紀半ばまでは乗馬した兵士いえど、銃で撃つ行為というのは出来なかった。
代わりに槍やサーベルを抜いて戦うといった手法が取られていただけに、馬車の荷台から銃口を向けられると逃げ場がないのだ。
ただそれでも、何としてでもスパイを捕まえようと躍起になっている治安警察隊の騎馬隊は追いかけてくる。
彼らは勇敢であり、同時に逃走しているアンソニー達にとっては厄介な相手でもあった。
「隊長、まだ後続の連中は諦めていないようです……」
「仕方ないな……あまり犠牲を出したくはないが……やむを得ない、馬の足を狙え。身体はアーマーで固められているから丈夫だ。ソハン、最も馬の弱点を狙って攻撃するんだ」
「はいッ……仕留めます!」
ソハンと呼ばれた部下は、荷台から連射式空気銃を取り出して、追いかけてくる馬を狙撃しはじめた。
普通の銃とは違い、発砲音が小さくてマスケット銃のような爆音が出ないために、周囲からは風が通り過ぎたような音が鳴り響く。
パスン……パスン……。
それぞれ精密射撃に長けている国土管理局の職員が馬車を移動中であるにも関わらず、振動が緩んだ一瞬の隙をついて撃っているからだ。
風を切る音が鳴った瞬間に、手前の馬が前のめりになって倒れる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
治安警察隊の騎馬隊は重装備でもあったが、肝心の馬は足の部分がよく見えていた。
先頭を走って近づいてきた騎兵の馬の右足に連射式空気銃を打ち込むと、馬は大きな悲鳴を上げてその場で倒れ込んだ。
倒れ込むと同時に、後続にいた馬がよけ切れずに落馬した警察官の頭を踏みつけ、そしてバランスを崩して連鎖的に反応してしまう。
一人が続くように、障害物となってしまった馬をよけきれずに倒れ込んでしまっている。
「1人排除、後続の馬も数騎脱落しております」
「よし、やはりこれだけの速度で走り抜けているわけだからな……それに、マスケット銃よりも反動の少ない空気銃であれば、倒すのも容易だ」
「隊長!右側より検問中の憲兵隊がこちらに駆けてきます!」
「よし、俺も援護する。周囲の人間に当てないようにしろよ」
アンソニーは予備の空気銃を取り出して、姿勢を低くしてから空気銃で撃ち始めた。
憲兵隊もまた、治安警察隊と同様の反応を引き起こし、次々と落馬していく。
もしくは、馬の足がダメになって横転しているので、傍から見れば怪奇的な現象のように見えるだろう。
ポツダム方面を抜けるまでに、30騎以上の騎乗している警察官や憲兵を落馬させたり、狙撃したりしてアンソニーとジャンヌは追撃を振り切ったのだ。
「よし……後続は追ってきません……これで一安心ですね」
「だな……とはいえ、これからが勝負どころだ。俺たちはポツダムの最前線を突破しなければならないからな……」
しかし、追撃を振り切った先で待っているのは、ポツダムで待ち構えている軍部隊と城壁である。
最前線に当たることから多くの部隊が集まってきており、その多くが新兵を含めた徴兵された人々である。
おまけに、蒸気野砲なども出し惜しむことなく城壁の上部に取り付けて最前線でにらみ合いを続けている欧州協定機構軍に向けている状態であり、このまま何も策がない状態で突き進めば、蒸気野砲のみならずマスケット銃などで銃撃されて死亡してしまうだろう。
なので、通常であれば脱出は深夜の人が寝静まり夜間巡回の歩哨のみとなる時間帯に動くのがセオリーでもある。
ただ、夜になればスパイを追いかけてくる治安警察隊や憲兵隊がやってきて警備も強化されて脱出は難しくなるだろう。
なので遅くても1時間以内にこのポツダムを脱出して欧州協定機構軍のいる地域まで逃げなければならない。
「ここまで来たけど……脱出のプランはあるのかしら?」
「大丈夫だ。そのための非常手段が存在している。俺とジャンヌはこれに着替えるぞ」
「これは……薔薇十字団?」
アンソニーが取り出したのは、薔薇十字団の制服である。
薔薇十字団の制服は数が少ない上に、プロイセン王国軍いえど薔薇十字団の命令は絶対的に従わなければならない程に、地位が確立された存在となっているのだ。
「薔薇十字団の制服を着た上で、残りの者はプロイセン王国軍の軍服に着替えるんだ。少なくとも視察しにきた者だと装うんだ」
「ですが隊長、薔薇十字団が訪れる際には事前に通知がいく仕組みになっているのでは……?」
「その点も抜かりはない。ここにその通知書を用意した。もしもの時のために用意しておいたのさ」
アンソニーが取り出した通知書には『ポツダムより外地において緊急の調査事案発生に基づき、少数精鋭による特別軍事作戦を実施する』と書かれており、偽装書類とはいえ『ベルリン中央軍司令部』のサインまで書かれている書類である。
この書類があればほぼほぼ問題なく通過できるはずだ。
「各自、蒸気銃を持て……それから、書類の入った鞄だけは絶対に落とすな。一列に並んで歩くのを忘れるな。私語は厳禁だ」
「万が一、変装がバレたら一直線に走り抜けるのよ。最悪の場合でも私とアンソニーが殿になって時間を稼ぐわ」
「よし……いくぞ……」
アンソニーが先頭となって、薔薇十字団の制服を着た状態で歩き始める。
この判断が吉と出るか凶と出るかは……1時間後に判明することになるだろう。




