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710:露西亜

ここで、現在のロシアの現状について説明する必要がある。


現在、ロシアは三カ国に分裂しており、国家としては既に大部分が別れてしまっている。

スウェーデンの傀儡国家である「新ロシア帝国」は、サンクトペテルブルグに首都を構えている国家であり、スウェーデン派の貴族が国王代理となって統治を行っている国家だ。


この国家は一応欧州協定機構加盟国として機能を果たしているが、実質的にスウェーデンが指示を出して、その指示に従っているので、傀儡国家ではあるが同時に平民や農奴の解放や、ロシア特有の抑圧的な政治体制の変貌を行うために、改革的な取り組みを行っている存在でもあるのだ。


「新ロシア帝国の改革は順調に取り組んでいるのかね?」

「その点に関してはご心配なく、確実に取り組みは順調でございます。ロシアを分裂に追い込んだ諸悪の根源である保守的な貴族は……国家反逆罪と、モスクワ失陥の責を負って、皆既にこの世にはおりません。改革を行おうとしていた貴族に関しては、複数の地方議会の評議員となって法案の制定や国家に進言を行う役割を任せております。現在の新ロシア帝国は開明的になりましたよ」

「開明的か……そうだな、今の新ロシア帝国のほうがこれまでの帝国よりずっといい。最低でも農奴制を廃止にした上で、地主とも話を付けて土地の農耕を行えるようにしたのは大きな収穫だな」

「お陰で、新ロシア帝国領内における農作物の収穫量も年々増加しており、最もロシアの歴史の中でも『春』が訪れたと歓喜の声が沸き上がっております」

「春が訪れたか……それまでは冬の時代が長かったからね……」


そう、ロシアの農奴の歴史を踏まえてみても、彼らが自分達の土地を持てるようになるのは、良くも悪くもソビエト連邦が自壊した1991年まで待たなければならなかった。


というのも、農奴解放令が1861年に発布されたものの、これらの農奴解放令はあくまでも「人権的」な意味合いでの農奴解放であり、領主や地主はこの農奴解放令で損をするのではなく、元農奴の農民に対して土地を貸し出したり、売り払う際には膨大な利子を付けて長期的な利益を上げて裕福な暮らしをする者が多かったという。


速い話が、太平洋戦争後にGHQが行った地主制度を実質的に廃止した農地改革の際にタダ同然に手放すようなものではなく、有償で農奴だった者に渡すというものであった。

今回の農奴解放も有償ではあるものの、元農奴や富農の者達を怒らせないように、双方が納得できるやり方を採用することになった。


「農奴解放に伴う地主への保証は行うことになったのか?」

「はい、無理な利息をかけずに将来的な生産を高めるために農奴であった者達には低利息で土地を貸し出すように行いました。それから、土地を譲渡する際にも最大でも5%の利息で済ませるように通達を出しております。大多数の農民への配慮も考慮した結果、農民の多くがこれに納得し、地主も長期的な利益が見込めるために賛同してくれました」

「お互いに損を出さないようにしたというわけか……富農クラークにとっても利益も見込めるし、そこで働いている農民も自分達の食糧を確保して利益を得ることができる……お互いにメリットが強いというわけだ」


このやり方は、中長期的な見方では支配層の独占利益に繋がると思われがちではあるが、実際には農民の多くが農奴解放によって自由の身となっており、凶作であった場合には納税義務の免除であったり、大地主や富農の場合には、貸し出している土地の固定資産税の徴収などが義務化されている為、結果として史実の農奴解放令よりも、元農奴であった農民たちのほうが豊かになるシステムを構築したのだ。


言うなれば、抜本的な農地改革政策を実施しており、大地主や富農の持っている農業ノウハウを維持しつつ、生産効率を上げるために本格的な解体は行っていない。

これを解体して富農や大地主を罰する事をしてしまえば、ソ連の二の舞になるのは明らかだ。


ロシア革命後に誕生したソ連の農業集団化は農民にとって帝国時代よりも更に苛烈であり、特権階級でありながら農業に関する豊富な知識を持っていた富農を粛清されたり、共産党による強引な作物の転作等によって大規模な飢餓によって命を落とし、1930年代後半までに推定だけで1400万人を超える人間が亡くなったとされている。


しかも、この時は当時のソビエト連邦の構成国の一つであったウクライナにおいて犠牲者の三分の一が集中しており、備蓄していた食糧でさえ強引にソ連共産党によって奪われて、ウクライナ人の多くが当時のソ連のトップであるスターリンによって()()()に絶滅させられる寸前まで追い詰められたほどである。


これは現在でもウクライナで語られている程であり、今日おける戦争においてもこうした歴史的背景があるため、彼らはあの悲劇を繰り返すことがないように必死に抵抗をしているのだ。


この事実がロシア国民の一般大衆に伝わったのが1980年代にゴルバチョフ政権によって行われたペレストロイカまで秘匿されていたのだ。

つまり、それだけ大勢の人が犠牲になったにも拘わらず、情報開示がされるまでに半世紀以上もの歳月を有することになったのだ。


そして今、このロシアは三つの国家に分裂しており、欧州協定機構加盟国としても「旧ロシア帝国」と「救世ロシア神国」に対する牽制をしなければならない。


「ロシアにしてみれば、国が三分割されている状態であり、東方の安全に関して確実にしてもらわなければ困る……しかしながら、既に救世ロシア神国の問題もあり、旧ロシア帝国に至っては閉鎖的な国になっている……うむ、実に厄介だな……」

「救世ロシア神国に関しては、現在イスタンブールを占領して黒海の入り口を封鎖しております……とはいえ、慢性的な薬物依存とそれに伴う集団交配によって大勢の人間が何らかの形で身体に異常を来している状態です。長期的に身体を壊すやり方ですので、そう長くは維持できないのではないかと……」

「そうだな……とはいえ、このままあの国が拡張政策を辞めずに西進を開始する可能性は十分に考えられる……」


救世ロシア神国は、モスクワを陥落させた後で分裂したそれぞれのロシアと停戦協定を結び、やがて領土拡大のためにオスマン帝国に侵攻を行った。


オスマン帝国は農奴解放を良くも悪くも実現したピョートル大帝を名乗るプガチョフを盲信しており、人海戦術で押し寄せてくる人の波に対応しきれなかった。


オスマン帝国の首都であるイスタンブールは陥落し、オスマン帝国はアナトリア半島の内陸部へと撤退して権威を喪失、それに伴い付き従えてきたイスラーム諸邦の部族連合でも歯が立たないほどに手強い相手だそうだ。


今はまだ停戦協定が守られているので問題ないが、これがもし停戦協定の失効と同時に東欧や新ロシア帝国を経由して西進を開始した場合、我々は人的資源の損失を諸共しない恐るべき敵と戦うことになる。

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[一言] さらっとオスマン首都陥落してた。
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