683:迫る
……さて、時計の針は午後6時を指している。
今日はもうあがりだ。
年末最後の大晦日の日ぐらいは早く帰っても問題ないだろう。
書き上げた書類を机の引き出しに入れて、防犯上の対策として鍵を使って締める。
「さてと……必要な書類は全て閲覧したのと……承認予定のものは全てしまっておくか……」
大丈夫だとは思うが、いざという時に情報漏洩があってからでは遅すぎる。
念のため、こういった王宮という場所では要人するのに越したことはない。
この机の引き出しを開けるには、鍵を二つ使う仕組みとなっており、錠前弄りが得意だったとされる史実のルイ16世からの売りの部分でもある。
シャイで内気な性格であったとされるルイ16世は、錠前弄りにかなり夢中になって取り組んでいたらしい。
錠前といっても、こうした鍵の開錠に関する知識というのは専門的であり……一日で理解できるものではない。
一説には、万が一国王を退位するような事態になった際に、錠前の腕前を活かして職にありつけるようにしたという説もあれば、単に一人で過ごす際にピッタリの趣味で錠前を作っていたのではないかとも言われている。
このセキュリティー用の引き戸も、俺が休みの日に作ったんだ。
何となくではあるが、革命期時代のルイ16世の記憶の一部が雪崩れの如く入ってきており、そのうちに錠前に関する記憶が見つかったので、それを引き合いに出して自前で作った代物だ。
現代でいうところのDIYというやつだ。
DIYが出来るほどにうまかったのか?と疑問に思うかもしれないが、普通にうまかった。
ルイ16世の記憶というか、本来の彼の動作で錠前を作ってしまったときには、自分でも驚いてしまったほどだ。
後でアントワネットにどうやって作ったのですか?!と尋ねられた際には「せ、説明書を読んだんだよ……」と回答したが、いやはや……かなり凝った錠前を作るほどの腕前だったとは……。
まず、左端の穴に鍵を差し込んで反時計回りに回す。
その次に右端の穴にも別の鍵を差し込んでから同じく反時計回りに回す。
これによって引き出しの鍵にロックが掛かり、簡単には開かないようになっている。
一つではなく、二つの鍵を使って開錠と施錠を行う仕組みということもあってか、自前で作るのに2か月近くかかってしまったものの、この箱の部分は子供達と一緒に工作も兼ねて作ったので、実質的に親子で作った夏休みの宿題みたいな感じだ。
ツーロック方式を採用したことで開けるのも閉めるにも手間が増えてしまう代わりに、こうした方式を取る事によって開錠に掛かる時間を増やし、スパイなどが情報を持ち出そうとするのを抑止する効果がある。
「これだけ防犯対策をしていれば問題ないだろう……この時代の中ではトップクラスのセキュリティーだからね。最重要機密に関しては金庫に保管するし、これはそこまでの機密ではないにしても、要保管に指定されているものだからなぁ……それにしても、ヴェルサイユ宮殿に基本的に誰でも自由に出入りすることを認めたルイ14世も中々スゴイよな……セキュリティー面全然大丈夫じゃなかっただろコレ……」
そう、何度か言ったとは思うが、ヴェルサイユ宮殿は原則として一般庶民でも宮殿内部に入ることが許されていたのだ。
特に、ルイ15世が統治していたころは、ホームレスの人といった明らかに宮殿に似つかわしくない人を除いて、基本的に自由に出入りできる体制だったこともあり、宮殿内部には盗み目的の泥棒も頻繁に出入りして、週に一回は宮殿内の備品が盗まれていたという話も聞かされているぐらいだ。
衛兵などが巡回しても、盗難被害が多発するのは何でだろうと思うかもしれないが、宮殿内部だけではなく部屋までも一般庶民に見せるのが王族の流儀とすら思っていたらしく、部屋の中にも入ることが許されていたようだ。
誰でも簡単に王族の部屋にフリーパス状態で入れるようにしていれば、備品だって盗られるのも無理はない。というか、そんな状態であったにも関わらず、フランス革命直前まではこうした人が自由に出入り可能な状態であったとされるので、王族というのは生活様式を国民に見せつけると同時に、個々のプライバシーなんてものはなかった。
食事ですら一般公開されていたからなぁ……プライバシーというものが無いに等しいし、これが原因でアントワネットは王族や貴族ならいざ知らず、一般庶民が押しかけている中で食事を取るというのが相当のストレスになってしまって、夜遊びや競馬等のギャンブルに嵌ってストレスを発散させる原因ともなったと言われている。
(いや、ホント良くこんなガバガバなセキュリティー対策で今まで平気だったよな……でも今は、そんな甘いセキュリティーじゃ生きていけん。暗殺や襲撃事件がいつ起こるか分からん。特に王族や政治家といった立場の人間になれば、その必要性が身をもって分かるよ……)
防犯上の意味合いでも、鍵の開錠に時間が掛かってしまうと犯行の発覚リスクが上昇することを理由に、ツーロック方式の採用されているマンション等では、空き巣被害が少ないと言われている。
ただし、もう鍵の開錠をするのではなく『鍵ごとぶっ壊す』という方式を採用している場合に限り、ツーロック方式は意味を成さない。
ハンマーやドリルといった工具を使い、鍵を破壊した場合には時間はそこまで掛からない上に、音を立てても問題がないと判断されれば、盛大に破壊して開錠するだろう。
……とはいえ、巡回の者が3分に1度はやってくるし、この執務室ですら部屋の前に衛兵が立って待っているんだ。
窓や天井経由で部屋に侵入し、派手にぶっ壊したり、大きな物音を立てればすぐに衛兵がすっ飛んでくる。
ここの執務室も、俺が部屋を出る際には鍵を二つ施錠した上で、衛兵が鍵を預かってから引き戸の部分も施錠を施してから金庫に保管するという方式に変更しているので、恐らくこの時代では最も厳しいセキュリティーシステムを導入している。
窓に至っても、二重ロック方式なので窓ガラスを破壊しない限りは中に侵入することもないだろう。
(さてさて……いよいよ大詰めだな……)
歴史もいよいよ乱世の時代から平和な時代へと移ろうとしているのかもしれない。
史実ヨーロッパでは、これからフランス革命が勃発して以降は、革命戦争やそれに続くナポレオン戦争などが繰り返し引き起こされた結果、国内だけではなくヨーロッパ全体に大きな影響を与えた。
しかし、この世界ではフランスが主導してヨーロッパを統治していくだろう。
恐らくではあるが……数百年後の欧州ではフランス語が史実の英語になり替わるだろう。
ヤーポンド法も無くなり、メートル法によって物の長さや重さなども統一されるようになり、俺の知っている史実とは違う世界へと変貌していくだろう。
もう既に変わってはいるが、それでも……アントワネットと家族との幸せな生活は何としても守り通してみせる。
俺はその覚悟を持って、家族が待つ部屋へと向かっていくのであった。




