674:暖炉
執務室で筆を走らせていると、今度はテレーズがやって来た。
表情は明るいが、一体何があったのだろうか?
「どうしたテレーズ?何かあったのか?」
「ええ、ロッテルダムが陥落してネーデルラントもほぼ全域を奪還されたようですね。先程軍の方から聞きましたよ……おめでとうございます」
「ありがとう、とはいえ……一応陥落に関しては明日大々的に報道することになっているから、それまでは政府関係者以外には他言無用に願うよ」
「分かっております。ですが、これであとはプロイセン王国をどうやって倒すのですか?」
「倒す……というよりも、すでに王国内部で亀裂が走っている状態だからね……今後、プロイセン王国に関しては地方貴族と協力して現体制を打倒して、新秩序体制を整うことで進んでいくことになるよ」
どうやらプロイセン王国が占領していたロッテルダム解放の報を聞きつけて、それに関して詳しく聞きたい様相であった。
何と言うか……歴史書等で聞いていた彼女の性格から結構淡々とした様子かと思っていたが、こうして話してみると、母親であるアントワネットの性格も幾らか引き継いでいるようにも感じる。
前世の記憶がある彼女と、未来の記憶がある俺は、唯一……というべきか、知識に関してはある程度先行した情報を持っている者同士という感じだ。
史実よりも4年早くに産まれてきた彼女ではあるが、前世の情報を持っているだけに、ここ最近ではある程度整理した上で関わりの深かったフランスやオーストリアの貴族などの情報を積極的に渡してくれたのは有り難い。
特に、ルイ18世の性格の変わりようには滅茶苦茶ビックリしていたのは記憶に新しい。
最初にルイ18世が俺とテレーズが話をしていた際に、執務室に入ってきて書類を持ってきた際には目を丸くして驚いていたものだ。
現在進行形でルイ18世ことスタニスラスが執務室に入ってきて、俺に外務に関する書類を沢山持って来てくれた。
「兄さん、今後のプロイセン王国に対するフランスの政治的な行動に関して意見も付けくわえた上で持ってきたよ」
「ありがとう。そっちは大丈夫か?」
「大丈夫だって、それよりも兄さんもあまり夜更かししすぎてアントワネット様を困らせるんじゃないよ?」
「分かっているさ。最近は10時までには仕事を終えて寝室に戻る生活になっているからね」
「全く……おっ、テレーズも来ていたのか?」
「え、ええ……叔父様、ごきげんようでございます……」
「ははは、そう畏まらなくてもいいさ。楽にしていてもいいよ。ただちょっとだけ難しい話をしなければならないから、一旦席を外してもらってもいいかな?」
「わかりました……」
テレーズはゆっくりと席を立って一旦退室する。
その間も、かなり驚いた様子で見ていた。
やはり、史実では目の前にいるスタニスラスは俺……というよりルイ16世に嫉妬していたこともあってか、アントワネットに対して政治的な策略を仕掛けていたことでも知られている。
つまり、叔父であるが父親とは方向性や嫉妬も兼ねて仲の悪かった関係でもあったのだ。
それなのに、この世界では俺が叔母に暗殺されそうになった経緯もあってか、スタニスラスは今までの自分の我儘ですら、下手なことになれば暗殺や政治の道具として利用されかねないと自覚するようになってからは、これまでの考えを改めるようになって俺から色々と学ぶようになった。
今では外務大臣としての職務を全うするようになり、少なくとも彼は自分の長所である知恵を活かして外交交渉などを取りまとめるようになっている。
健康にも気を遣うようになってからは、身体の調子も良くなっていると語っていたので、史実で患っていたとされる糖尿病も、ここでは発症をしていないように思える。
うん、確かに前世であれだけ父親に向けて嫉妬していた人間がにこやかに会話していたら、確かにビックリするわな……。
元々、アントワネットを陥れようとするぐらいに策略を巡らせていただけに、外交関係の職に入ったらいいんじゃないかと勧めたら、今ではちゃんと実力で勝負をしてくるようになった。
革命とナポレオンが倒されてから王政復古をした際には、国王として即位して宮廷内でも権力と発言権を持っていたので、ポテンシャルは高い。
今持ってきたのは外務省が作成したプロイセン王国の経済力を考慮してどのくらいの賠償金と、それに伴う資産や特許の掌握に関する記述があった。
「今回の戦争では、ネーデルラントやオーストリア、クラクフ共和国への賠償請求として30億リーブルを請求する予定だけど、すぐに全額は回収できるのは無理だね……」
「だろうね、さっきデオンがやって来て、満額回収は難しいと話をしていたところだ」
「成程、それだと話が早い……炭田や鉱山を中心に鉱石資源の採掘権を確保した上で、その資源を賠償金に充てる事に外務省としては纏まっているよ」
「炭田や鉱山の利益は比較的高いからな……それから、特許権に関してはどうなっている?」
「それも同時並行で進んでいるよ。プロイセン王国の優れた高圧式蒸気機関は我が国では特許を持っていないからね……アレはフランス科学アカデミーの科学者たちが分解・整備して生産している……特許のライセンス料も払っていないんだ」
「まぁ戦時下ではあるからね……敵国の特許は基本的に無視して生産できるのは向こうも同じさ、この蒸気機関の特許はどのくらいになりそうかな?」
「今後フランスが特許権を持つことになれば……これは推定値ではあるけど、1年間だけで輸出分を含めれば1億ルーブル相当にはなる見込みだよ。この高圧蒸気機関はまだフランスとプロイセン王国でしか生産できないからね……科学アカデミーの学者さん曰く、特許権を我が国が持てばそれだけ発注のライセンス料なんかも我が国に入るからね……」
「それはスゴイな……生産と輸出分でこれだけの料金が入るとなれば、ライセンス生産できればもっと入ることになるな」
蒸気機関の特許に関しても、賠償請求でフランスが特許権とライセンス権を持たせるように調整をしているらしい。
高圧蒸気機関は、従来と比べてメンテナンス作業に時間が掛かるものの、性能としてはかなり上回る性能を有している。
今は軍事用として使われている蒸気野砲や連射式空気銃ではあるが、これらを民間用の器材に転用すれば……確実に19世紀後半ぐらいの技術力に迫る勢いだろう。
「勿論、外務省も今回の戦争で有利になっているから、講和に関してもこちら側から有利な条件を突き付けても受け入れる公算が大きいと見ているよ。ただ、この講和要求を相手が無視した場合は例のユンカーを焚きつける方針でいこうと思っている」
「分かった。外務省は既にスタニスラスの方針で問題ないからな」
「では、この決定書にサインをお願いしたい。サインをすればすぐに準備に取り掛かるよ」
俺はスタニスラスの持ってきた決定書を読んでサインを入れる。
スタニスラスは礼を言うと、執務室から出ていった。
そして入れ替わるように、またテレーズが戻ってきたのであった。




