641:イタチ作戦(上)
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1790年1月7日
旧グレートブリテン王国 ロンドン(現:欧州協定機構加盟国復興指定地域)
ロンドンでは、欧州協定機構加盟国主導の復興作業が進められていた。
現在この地域ではグレートブリテン王国の後継国であるスコットランド政府が、200年の租借を認めており、その租借期間の間に復興を執り行っていた。
ロンドンは重要な拠点であるが、現在のスコットランド政府には復興するための資産もなく、グレートブリテン島北部を維持するのが精一杯だ。
フランス・スペイン・ポルトガルの三か国が中心となって、この地域を海上輸送拠点として港湾を整備しているが、かつてのような国際経済拠点というよりも、中継地という意味合いで残されたようなものだ。
ウェストミンスター宮殿などの歴史的な宮殿や寺院は内戦による影響でロンドン中心部の建造物の大半は破壊されており、それは内戦が終結して10年以上の歳月が経過しても、これらの建築物は再建を行っている港湾施設の労働者たちが住む、集合住宅の資材調達場と化している有様であった。
奇跡的に被害を免れた歴史的な絵画や美術品の類はスコットランド政府に返還されたものの、スコットランド政府は一時的な歳入目当てに、それらの歴史的価値のある絵画や美術品を売り払い、グレートブリテン島に留まっているのは、かつての王国時代の10分の1程度である。
ロンドンですら、スコットランドは一政府としての立場でしかなく、フランスを盟主とする欧州協定機構加盟国には、頭を下げて交渉しなければならない。
内戦によってウェールズの主要な小麦の産地は破壊された影響で、大部分は輸入に頼っており、かつて傀儡地域であったアイルランド共和国にすら、ジャガイモを輸入する際に頭を下げている始末だ。
こうした状況を憂いだスコットランドの超党派の議員連合が結成したスコットランド政府は、王政を実質的に廃止し、連合議会政治を開いて対応に当たっていた。
議員たちも、自分達の起こしたいざこざが原因で革命が勃発し、欧州の大国の地位から転落したことを受けて、相当堪えたようだ。
議会において【乱闘の禁止】【議論の促進】【ヤジの禁止】が為される程であり、原則として欧州協定機構加盟国からアドバイザーを派遣され、彼らが要求する内戦時の費用の支出や、それに伴う利息などの支払いに追われていた。
だが、ここまでやってもなお議会も一筋縄ではいかないこともあってか、プロイセン王国に親しい議員を中心に、借金の減額を求めるデモも起こったほどである。
あくまでも非暴力主義を訴えた上でのデモであったことから、議会もこれを排除できず、親プロイセン派の要求の一部を飲み、再軍備などが進んでいないことを理由に、プロイセン王国とは戦争をしないと宣言し、スコットランド政府は中立を宣言していた。
一方で200年の租借を認めたものの、スコットランド政府にも収益が入るように、フランスが保証人となって利益の一部を渡す事を定めた「スコットランド条約」に則り、スコットランド政府の出先機関がロンドンには存在している。
その名も『ロンドン復興庁』なる行政機関であり、このロンドン復興庁は欧州各国に散っていったイギリス人の帰還を目指す組織として誕生し、旧グレートブリテン王国陸軍が中心となって執り行っている。
これは奇しくも、太平洋戦争に敗れた日本が軍人の帰国を目指した復員省のような役割を果たしていたものの、復員省との違いは多くの人間はイギリスから脱出したまま戻ってきておらず、唯一戻ってきた層に関しても、諸外国の取引を優先して自分達の懐に蓄えを溜め込むような連中であった。
『復興庁は、中継地として利用されているロンドンのおこぼれを狙っているだけだ。本当に帰還者に対して支援をしているとは到底思えない』
……と揶揄されるぐらいに、ロンドン復興庁の行っている管理や行政指導は杜撰なものであった。
諸外国に避難していた若年層の労働者を帰国してきたとしても、港湾での重労働の仕事を強制し、これらの労働者が不慮の事故で死亡したとしても、僅かばかりの見舞金を支払うだけで、具体的な改善はしなかった。
そればかりではなく、都市部の復興を掲げていながらも、実態は破壊されたレンガや木材などを再利用して、戻ってきたイギリス人を収容するだけの掘っ立て小屋を作るのに精一杯であり、復興庁が指示を出して見た目だけでも復興させている港湾地区以外での復興は進んでおらず、フランスやスペインが整備を開始した箇所よりも復興が遅れているという有様であった。
これに関しては、フランスやスペインもスコットランド政府の内部問題であるとして、苦言を呈することはあっても、基本的に介入まではしなかった。
介入すれば、スコットランド政府内部で反フランス派の勢力が現政権の転覆などを行う恐れがあったためだ。
圧力をかけていても、それがスコットランド政府のためにはならないと考えていたが、フランスで相次いだスパイの摘発事件をきっかけに、流れは一気に変わった。
『フランスにおいてスパイを働いていた者達の多くが、スコットランド政府管轄下のロンドン復興庁職員や高官を通じてプロイセン王国に情報を流している。それも機密性の高い行政文書もいくつか流されている。これは締結した条約に反しているだけではなく、フランス……ひいては欧州協定機構加盟国全体に対する信頼と友好に対する裏切り行為である』
フランスは国土管理局だけではなく警察などの捜査機関を総動員し、スパイの摘発の為にスコットランド政府に直接乗り込んだ。
実質的な内政干渉に値する行為ではあるが、現在フランスは戦争状態にあり、平時であれば許されないであろう行為であっても、超法規的措置という名目の下で執り行うことにしたのである。
このロンドン復興庁において、腐敗と堕落の象徴であった政府機関に対して、フランスの国際警察担当官が150人もの捜査員と完全武装した憲兵隊300人を引き連れて強制捜査の為に足を踏み込んでいた。
シャルルマーニュ級フリゲート艦は、復興庁に向けて艦砲を向けており、何時でも復興庁側が戦闘を起こすような真似があれば砲撃できる体制を整えていたのである。
全員が外交特権を有している特別な警察官であり、欧州協定機構加盟国において新設された警察機関に加盟していることもあり、ロンドンにおいては自由に行動できる身分でもあるのだ。
これはスコットランド政府との間で交わされた条約の中でも結ばれている外交特権でもある。
完全武装した憲兵隊がロンドン復興庁の施設に突入した際に、受付係は慌てふためいた様子で彼らに尋ねた。
「な、なんなんですか一体……」
「こちらのロンドン復興庁の複数の職員が、我が国のみならず、ネーデルラントやオーストリア方面における機密情報漏洩に関与した疑いがある。これは正式な捜査だ、ご協力願いたい」
「で、ですが生憎長官は不在でして……長官室におかれましても……」
「いや、これはフランスの捜査は何時でも行える。長官は証拠隠滅を図っている恐れがある。すぐに長官の家に馬車を向かわせて取り押さえろ。長官だけではなく、資材担当官や財務監督官の身柄を確保しますので、それまでの間は勝手な行動はなさらないように」
ロンドン復興庁に、フランスの軍靴が鳴り響いていく。




