638:急襲
クリスマスの夜……。
普段ならイエスキリストの降誕を記念する祝賀会となっているはずなのだが、今回はヴェルサイユ宮殿で限られた招待客を招いて執り行っている。
かなり質素だが、料理に関しては相当手が込んでいる。
戦時下ということもあって、限られた食材を使って一流の食事を提供するシェフたちには頭が下がる。
最も、国王という立場という事も相まって、表立ってそういったことはできないのがネックではあるがね。
限られた招待客というのも、主にプロイセン王国から亡命してきた者達を招待しているのだ。
彼らは皆、プロテスタント派で薔薇十字団に異議を唱えたがために、国を追放された人達でもあるのだ。
一応フランスではカトリック派が主流ではあるが、彼らを労うためにプロテスタント派もこうしたクリスマスを祝うことが少なくとも今フランス国内で対立が続いているプロイセン王国人への偏見や差別を無くすことに少しでも貢献できればそれでよいと思っている。
勿論のことながら、今回招待した客は少なくともスパイではない事を自己申告という形で証明している。
最も……彼らの中にスパイがいる疑いのある者はいるので、この銀の間や指定された場所に出ないことを条件に泳がせることにしたのである。
さて……これだけ優遇しておけば、スパイが紛れ込んでいたら堂々と書類とかを盗もうと画策するはずだ。
リスクはあるかもしれないが、やってみる価値はある。
国土管理局のある新トリアノン宮殿に関しては憲兵や武装した職員が常に巡回しており、各部屋にも罠を仕掛けてある。
亡命者を疑うのは良くないぞと言われるかもしれないが、ここ最近のプロイセン王国の動きからみて、それなりにフランスの内部情報が漏れていると思われる事例も確認されているので、いずれにしてもスパイを炙りだしておく必要が出てくるのだ。
パーティーが無事に執り行われているのを確認してから、別室で羊のソテーを食べているとアンソニーとジャンヌが入室してきた。
「陛下、ただいまアンソニーおよびジャンヌ両名が出向いたしました」
「おお、よく来たね。まぁ……あまり公に出来ない話もあるからね……二人とも、そこの椅子に座りなさい」
「はっ、お言葉に甘えて座らせていただきます」
アンソニーもジャンヌも国土管理局の中でもナンバー3とナンバー4の地位になることができた。
歴史書には載っている事のない二人の情報だが、ここでは二人が各地で工作行為や時にはハニートラップを仕掛けたことも重々承知している。
彼らはこれまで国のために沢山貢献してきてくれた。
二人には何と感謝していいのか分からないぐらいに……。
職務中ということもあり、二人はワインを一杯だけと決めているらしいので、シャンパーニュで軽く一杯だけ引っ掛けてもらうことになった。
「まっ、一杯飲んでほしい。シャンパーニュの出来も良い感じだったからね……来年もこうしたワインが作れるように、君たちの活躍を期待しているよ」
「ありがとうございます陛下、とはいえ……国土管理局の特性からして、表だって活躍するのは難しいですね」
「あくまでも地形観測や地域の統計情報を収集するという表向きの名称であり、国土管理局の中でも詳細を知っている者は限られております。様々な課などが誕生しましたが、現在は三つの部門に統合化されて運用されております」
「なるほど、随分とまとまってきているという事だね。機関としても総仕上げができそうかね?」
「はい、陛下のご期待に応えられるように、既に仕上げに取り掛かっております」
「遅くとも、大晦日までには準備が完了いたします。デオン閣下の指示の下、国土管理局は総力を挙げて十字騎士盟友の陣営に対して、大規模な攪乱工作を敢行いたします」
そう、デオンに頼んだのは国土管理局のスパイを使った十字騎士盟友……プロイセン王国の陣営に属している国家への社会不安を煽る工作を大々的に行うことを指示したのだ。
軍事面では状態が拮抗しており、如何せんオーストリアにも進軍してきたことから、いよいよもって内部から脅威を与えなければならない事態となったのだ。
それまでは、基本的に戦争中といっても相手に対してある程度はフェアでやろうと思っていたが、現在の状況を鑑みればオーストリアがプロイセン王国に敗北し、オーストリア経由でフランス領になだれ込んでくる事態は避けなければならない。
そのためにも、内部の混乱……もしくはプロイセン王国の戦争継続能力を削ぐために行動をしなければならない。
これまでにも、港湾都市を中心に情報収集やスパイを使って行政文書を盗んだりもしたけど、今回はそれ以上の行為をするつもりだ。
大規模な攪乱工作と言っている通り、プロイセン王国全土を大混乱に陥れることも辞さない規模で行う。
ミュンヘンやベルリン、それにハンブルクといったプロイセン王国を代表する都市部で行う工作行為ということもあり、都市機能の半壊ないし政治的な混乱を起こすプランを採用している。
これを決定する際、俺の心の中で決めたのだ。
これ以上戦争を長引かせるわけにはいかないという思いも含まれている。
それに、今回の攪乱工作では今泳がせているスパイたちを使うことも含まれている。
スパイは良く働いてくれている。
情報をプロイセン王国に流したのだから、それなりに彼らは信頼されているはずである。
彼らを使った上で、総仕上げを行うようなものだ。
「……スパイたちを使って、プロイセン王国国内で混乱を引き起こすのですね……」
「そうだ。パリ証券取引でこっちは被害を食らったからね……それと同様の事を倍返しで彼らに返してやるだけだ。それに大量殺人を起こすような真似はしない。あくまでも人道的なやり方で返すだけだ……あのせいで大西洋海貿易機構は危うく倒産するところだったからな」
大西洋海貿易機構の取り付け騒ぎが起こったせいで、フランスの外貨は少なくとも一日だけで300万ルーブルから500万ルーブルもの損失を出したとも言われている。
国が介入して騒ぎを鎮静化させたから良かったものの、下手したら経済恐慌になって戦争どころではない事態に陥ることも考えられた。
それだけに、彼らのやった行為をそのままお返しするだけだ。
ハンブルク、ミュンヘン、ベルリンの三都市にはプロイセン王国内の経済を支えている大手証券取引所が存在しており、彼らはこの証券取引を使って経済を回している。
既に火の車であった彼らの経済状況を、戦争経済によって支えられている現状を鑑みれば、戦争を止めた途端に破綻し兼ねない状況であるのは容易に想像できる。
そこで、俺はこれらの証券取引に壊滅的な打撃を与えるべく、スパイたちを使って工作をしていたのだ。
所謂意図的な連鎖倒産と株の暴落を引き起こす方法だ。
不安を煽り、新聞社や社交界などにスパイを紛れ込ませて虚偽の暴落情報を伝播させる。
伝播によるパニックが最高潮に達したところで、一斉に銀行や証券会社の株を売却するように仕向けることができれば、取り付け騒ぎとなって恐慌が発生するだろう。
最も人を殺さずにできる方法であり、そして株や証券に手を染めている上級階級の人間を効率よく殺す手段でもあるのだ。




