615:ネッケル(下)
財務省に到着し、職員たちに一通り挨拶を済ませてから長官室に入る。
ここでは他の職員が閲覧できない機密情報などが入っているファイルや文章などが保管されている。
その中に、今回の流言飛語による株の急落騒ぎを引き起こした人物の詳細な情報が記載されたものが幾つか存在している。
「さて……これも陛下への報告を済ませるためにも、ある程度簡略化した情報で流さなければ……」
陛下は本当に慈悲深く、お優しい御方だ。
それ故に、すべてのことを自分で抱えて対処しようとしてしまう。
なので、閣僚たちの間では陛下に申告する報告書ではある程度の事を省き、要約されたものを提出している。
今回の一件に関しても陛下の御心を痛めるような内容が多かったために、それを緩和するべく情報もある程度選別したのだ。
今回の急落騒ぎはただ単にいたずら等の目的ではなく、明確なフランスへの攻撃意志によってもたらされたものである。
『恐怖心によって経済恐慌を引き起こし、フランスを内部から瓦解しようと思っていたのに……あなた達の動きが早かったせいで阻止されて悔しい』
今回逮捕された大物投資家が尋問の際に吐き捨てた台詞だ。
彼は単なる成金によって成功した投資家ではなく、様々な思想家を匿った上で事件を引き起こした犯罪者である。
それも巧妙に、合法的手段を講じて今回の事件を引き起こしており、強制捜査の一環でパリ爆発事件に関与し、国外逃亡したと思われていた極端な革命平等主義者のメンバー5人が発見されたのである。
いずれも大物投資家が用意していたパリ市内にある居酒屋の屋根裏部屋に潜んでおり、彼らはそこで王室ないし改革派への襲撃計画を企てていたようだ。
それも、国土管理局の捜査によれば経済的に大混乱に陥った隙をついて、改革派が大規模な不正行為を起こしたが故に、大暴落を招いて経済恐慌が発生したと流言飛語をパリ中で騒ぎ散らし、情報が乏しい平民層への不満を暴発させる狙いがあったようだ。
その証拠に、屋根裏部屋からは大量のポスターが発見されており、そのポスターに関しても民衆に武装蜂起を呼びかけるものであった。
『改革派はオルレアン派を粛清し、その金で贅沢をしている!』
『国王陛下は改革派にたぶらかされている!今こそ革命の時だ!』
『改革派を打倒し、真の平等主義を目指そう!』
押収されたポスターの多くが、私を含めた改革派メンバーを中傷した上で、政権転覆を図るような内容であった。
「愚かな事を……」
それを知って、私は思わずため息が出てしまう。
「改革派は陛下が自ら切り開いて作られたものだ……複数の派閥こそあれど、基本的には平民層の身分格差是正と、それに伴う経済成長を促進するために作られたというのに……何とも身勝手な意見だ……」
シチリア島での平等主義者たちの反乱が鎮圧された後でも、生き残った革命分子の手口が巧妙化しつつある。
プロイセン王国と協力し、内部工作の一環として破壊するつもりだったのだろう。
手元にある資料では、彼らの多くが現体制と政治に不満を持っている者達であったことが記されている。
旧式ではあるが、マスケット銃や銃剣の類も押収されており、爆薬に関してもワイン樽の中に入っていたものが複数見つかっている。
これらを使って新しい事件を実行しようとしていたのは確実であり、逮捕があと数日遅かったり、急落騒ぎに対処できなかった場合には、革命分子が暴れる事態に陥った可能性があると思うと背筋が凍る。
それに、大物投資家に関しては、オルレアン公の部下と親しかったようだ。
パリの屋敷で開催されたパーティーに出資したり、高級ワインや14世紀の中国陶器などを贈ったりして、公に取り入れてもらえるようにそれ相応の関係構築のための投資をしていたようだ。
最も、その時に築かれた人脈などはオルレアン派が逮捕や訴追された影響で台無しとなったようだ。
彼が貢いでいた品々に関しては、オルレアン派の不正貯蓄の証拠品として押収された上で、二度と彼の手元に戻ってくることはなかった。
それからは他の貴族とも距離を置いたようだが、それでもオルレアン派のパーティーに出席していた者のうち、複数人程友好関係を持っていたようで、これらのうちル・マンなどの地方都市から蒸気機関の設計図や情報などを盗んで北米複合産業共同体に亡命した者も含まれている。
オルレアン派と親しかったとはいえ、憲兵隊の調査ではいずれもオルレアン派の中でも逮捕の対象ではなかった人物であり、その際の捜査線上でもそこまで重要人物には含まれていなかったようだ。
逮捕対象とならなかったのには理由があり、少なくとも裁判等で捜査が及んだ1771年と1772年では、彼はオルレアン公に貢いだ数々の骨董品や金品などはすべて自分の収益で賄ったものを贈呈したと、税務官に報告した上で、その証拠である帳簿なども素直に提示していたようだ。
帳簿も改ざんされていなかった上に、少なくとも大物投資家の証言通りの内容であったことから、彼に関してはオルレアン派が企んでいた国王陛下の排除や、それに関連する貴族との談合には参加していなかったこともあり、彼は重要参考人等のチェックリストから外されたそうだ。
一連の事件の資料は、財務省にも入っているが、何とも不可解な点が多い。
複数の部下とも話し合っているが、やはり最大の疑問は彼を1771年の時点で訴追しなかったことだ。
「あれだけ憲兵隊も財務省もオルレアン公の資産を調べ上げたのだろう?ならば何故、彼を外したのかね?」
「やはり証拠が出なかったからでしょう。貢物を送っていたとはいえ、曲がりなりにも合法的手段で執り行っていたこともあり、当時の総監も逮捕状を出すことをしなかったそうです」
「……つまり、憲兵隊や警察機関が彼の訴追を意図して行わなかったというのかね?」
「そこまでは分かりません、当時の総監は既に他界しております。彼が不正な資金のやり取りを行ったのは数か月前からだと供述しているそうです」
「つまり、真の共犯者はプロイセン王国等の国家規模になるというわけか……」
調べたところによれば、この大物投資家にとってオルレアン派を解散に追いやった現体制が憎いとも話していたらしく、武力を伴わない方法で打撃を与えることを望んでいたそうだ。
オルレアン派の中でも深いかかわりを持っていた者達は、牢獄かあの世に収監された。
(やはりオルレアン派は曲がりなりにも大貴族の一派であったからな……その時に築かれた人脈に繋がるかもしれん。財務省としては資金面から金の動きを追うのが先決だ……)
オルレアン派の一派が粛清された際に重要な取引先を失っており、それからは中立派との関わりを持っていたはずだ。
私にとって、この事件は単なる恨みによる犯行ではない。
必ず事件の真の黒幕がいた事の証拠を炙り出し、白日の下に晒すことだ。
財務とて、やれることはあるはずだ。
私は財務省の中でも信頼できる者達を集めて、専用の対策チームを立ち上げることにした。




