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608:京都事変(中)

1788年12月28日


「聞いたか?御所で働いていた重兵衛さんが捕まったそうだよ」

「あら、なんで捕まったんだい?あの人物凄く気さくな方じゃないか」

「なんでも、会津から沢山の金品を授与した代わりに京都の情勢を流していたみたいだからなぁ……諜報をやっていたそうじゃ」

「なんと……一連の騒ぎはそれが原因か」

「全く、重兵衛さんすらも関わっているという事は、それだけ大事という事じゃ」


大規模な汚職事件が発覚してから数日が経過し、巷ですらその話題で持ち切りである。

知り合いなどが捕まった事例が相次ぎ、さらには幕府側も重い腰を挙げて大規模検挙を行うべく、各地に会津の鉄門組と関わりのある人物の一斉摘発を片っ端から実施することになった。


その摘発はすさまじく、京都や大坂の街中で白昼堂々、武装した奉行所の役人だけではなく、幕府が管轄する直属の武士団、岡っ引等も加勢して行われたこともあり、一組につき10人程が割り振られて、鉄門組関係者及び汚職事件に関与した人物の検挙が行われていた。


ある呉服店では、店の店主だけではなく店員やその家族も汚職に関わっていたとして、あっという間に建物を取り囲む形で一斉に雪崩れ込んだ。


「御用改め!幕府と朝廷の役人に賄賂を送っていた疑いがかけられておる!大人しくお縄につけいっ!」

「そんな!我々は何もしてはいませんぞ!」

「詳しい話は奉行所で聞こうではないか。さぁさぁ、大人しくして……」

「ちぃっ!ここでお縄についたら打ち首だぁっ!」

「あっ、おい!逃げるんじゃない!」

「おい!そっちに一人逃げたぞ!」

「追えッ!追うんだ!逃がすんじゃないぞ!」


武士団と岡っ引が逃げる店員の跡を追いかける。

それも、一人や二人ではない。

京都と大坂で一斉に摘発が行われるとの同時刻に、数十人の汚職に関与した商人や武士、それに御家人なども逃走を始めたのだ。


江戸時代では汚職は金額が大きければ大きい程、その責任は重かった。

現代のように職権乱用や収賄罪等の罪に問われるだけではなく、領地の取り上げや自宅謹慎だけではなく、下手をすれば家の取り潰しや切腹に値する場合もあった、


特に、国の公的機関から支出されたお金を無断で自分達の懐に入れていたとなれば、それはもう罪は重く、軽くても島流しは避けられない運命であった。


それを逃れようと、関係者は逮捕されると判断したらすぐに逃亡を図ったのだ。

逃亡を図れば、家族や親類にも責が及ぶこともあったのだが、彼らからしてみれば自分のやらかしたことが反逆罪に等しいことは承知していることもあり、生存する可能性がある「逃亡」に全てを賭けたのだ。


素直に逃げられないと悟って、大人しく捕まった者もいるが、それでも罪の重さからして、死罪になるぐらいであれば……と思い、武士団や岡っ引が来た時点で既にもぬけの殻であったり、遠方に逃亡したケースも少なくなかった。


「それにしても、こちらの情報が漏れていたのか……?相手が逃亡するなんて手際が良すぎる……」

「調べておいたほうがいいかもしれません。奉行所内部にも情報を流している者がいるかもしれません」

「うむ……あまり考えたくはないが……幕府の者にも内通者がおるやもしれん……隈なく情報の出処を突き止めねばなるまい……」


一斉検挙で逮捕できたのは、目標としてた人数の半分程であった。

明らかにおかしい。

資金の横領が発覚してから、大坂からも増援を呼んで摘発に乗り出したというのに、検挙人数は思っていたよりも少なかったのだ。


『幕府内部に内通者がいる可能性がある』


幕府や朝廷の役人が関わっていただけに、これらの資金が流れた出処は大物である可能性が浮上したのだ。


拷問などを行っても決して口を割らず、隠し持っていた毒薬を服用して命を落とす役人もいた程で、これらの事から幕府内部でも重要な役職に就いた者が関わっているというのは、ほぼほぼ確定してしまったのだ。

幕府側はここで小出しにしていては汚職の主犯格を取り逃がしてしまうと判断し、一斉に取り調べを開始することにしたのである。


12月29日の暮。


雪が降り始めた京都では、血で血を洗う惨劇が繰り広げられていた。

特に、京都二条城の前では松平派の武士達が、検挙しようと駆け付けた岡っ引と対峙しており、雪が真っ赤に染まるほどの血が流れ出ていた。


「ええい!これだけでは埒が明かない!すぐに増援を呼んでこい!馬を使って走って連絡を入れよ!」

「お前たちは田沼派のいいようにされているだけだ!我々は決して悪事などしておらん!日ノ本の為を思ってやっているだけだ!」

「くそっ!完全武装相手では分が悪い!」


汚職に関わっていた主犯格の人物が判明した。

それは松平定信の下で働いていた松平派の者達であった。

彼らは、自分達と対峙していた田沼派のメンバーの地位が幕府内で不動のものになった事を憂い、彼らから実権を掠めとるために行動に移したのだ。


城が建設出来る程の莫大な資金が流れており、発覚が遅れた原因は幕府内に残存していた反田沼派として知られていた松平定信を支持していた者達が幕府の役職についていた事であった。


彼らは松平定信の死後、自分たちをまとめ上げる後継者が存在しなかった。

反田沼派の筆頭であった定信は民衆蜂起による流血事件に巻き込まれて死亡。


それ以外の重鎮たちも関東圏から近畿方面に退避を行う際に、田沼意次らが火山対策として口元を布などで覆い隠して移動するようにアドバイスしたのを無視した結果、火山灰を吸い込んだことによる肺炎などを引き起こして命を落としたのだ。


生き残った松平派の者達はまず、彼らは多くの流民が流入した京都と大坂を拠点に活動を開始。


大規模な建設事業を営むことになった事を見計らい、江戸からやってきた大工などを支援と称して雇い、拠点において大規模な集合住宅である長屋の建設を行うと同時に、その長屋の建設費用をコストカットの一環として本来使われるべき木材を使わずに、資金をちょろまかして資金を確保。


その資金を使って丁度会津藩周辺を制圧した鉄門組幹部と接触し、彼らとの密貿易の取引を行い、幕府の権威を損ねるための政治工作をしていたのだ。


具体的には田沼派に不利な世論を流したり、田沼派の役人の暗殺や襲撃を行い、1787年だけで9人もの役人を殺害することに成功している。


それも、暗殺に至っては松平派ではなく会津藩出身で困窮した武士などを使い、自分達とは無関係だと貫き通すために、暗殺後には実行犯を鉄門組に引き渡し、船で会津に向かわせたりするなどの徹底ぶりであった。


その一方で、松平派は工作活動の見返りとして東北地域で未開発のまま終わってしまった幕府の事業などを支援したり、松平派が天下を取った暁には、鉄門組の起こした罪を取り消すといった優遇政策を行うことを確約させ、この関係を構築することになった。


それが日本の建国史上類を見ない汚職事件を引き起こしたのだ。


汚職事件が露見してしまったからには、彼らの居場所はもうない。

逃亡を図った松平派が抵抗して岡っ引などを殺傷したことで、幕府はついに松平派を危険集団と見なし、お家の取り潰しや改易といった粛清を命じたのである。


抵抗する松平派による京都で血で血を洗う戦闘と、それに伴う投獄や処刑などが行われたことから後の「京都事変」と呼ばれる出来事であり、12月の暮から翌1789年2月までに延べ3300人の関係者が投獄され、そのうち深く事件に関与した500人以上が切腹や磔にされて処刑される結果となった。

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