592:撃(上)
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1788年7月30日
ネーデルラント エンスヘーデ
プロイセン王国との国境線沿いの街として知られているエンスヘーデでは今、濃い霧に紛れて大きな黒煙があちこちで立ち上っていた。
ヒュルルルル……という音が鳴り響いたと思った瞬間に、エンスヘーデの街の中心部で爆発が起こったのだ。
屋根は破壊され、建物からは火の手が黙々と立ち込めており、これで6発目の砲撃が命中したのである。
人々は逃げ惑い、その多くがアムステルダム方面に退避をしている最中だ。
「ついにプロイセン王国が攻めてきたぞ!」
「早く逃げるんだ!命が惜しかったら逃げるんだよぉ!」
「待ってくれ!おいていかないでくれ!子供がまだ家に残っているんだ!」
「諦めろ!プロイセン王国軍に捕まったら何をされるか分かったもんじゃない!」
人々が逃げているのは、プロイセン王国からの野砲による攻撃が行われた事で、相当数の人々がパニックを起こしているのだ。
それもそのはず。
国境線沿いにはネーデルラント軍の兵士が駐留していたのだが、その駐留していた駐屯地を乗り越えて砲弾が飛んできたために、人々が国境線を既に突破されたと勘違いをしたためである。
プロイセン王国軍の砲撃は、偶発的な事故などではなく、明確な意図を持って行われたのは確かだ。
ネーデルラントのハーグで何者かに暗殺されたプロイセン王国の外交官は、棺に入れられた状態でプロイセン王国に帰還するや否や、プロイセン王国中で反ネーデルラント運動が発生。
ネーデルラント出身の者が迫害を受け、酷い場合には街中で白昼堂々と襲撃される事案も多発したほどであった。
ネーデルラントとプロイセン王国との関係は過去最悪レベルであり、双方の主張も意見も食い違っている現状では、もはや両国の関係は崩壊したに等しい状況であった。
6月10日には、両国の外交担当官が第三国であるスウェーデンにおいて会合に出席した上で、双方が今回発生した事件やそれに関連した両国民同士の争いについても、具体的な話し合いの場が設けられたのだが……。
『ネーデルラントで起こった外交官暗殺の悲劇の全責任はネーデルラント政府にあり、両国の架け橋を担っていた彼の死に対し、ネーデルラント政府は誠意を見せるべきだ!』
『プロイセン王国側は暗殺が起こった翌日までに、領事館職員5名が緊急帰国しており、その帰国したうちの3名が宿泊していた施設で、血の付いたナイフとタオルが発見されており、今回の外交官暗殺に関わった疑いがあるため、至急職員の引き渡しに応じてもらいたい』
『それはない。職員は誠実に職務を果たしていただけだ。それよりも今回の事件の責任は警備体制を疎かにしていたネーデルラント側にあり、賠償を含めて対応するべきだ』
『事前の警備計画では、貴国は自分達で警備を立てているので問題ないという回答を貰っている。今回の起こった事件は痛ましいものだが、警備体制において我が国の警備を呼ばなかった貴国に責任がある』
スウェーデンで執り行われた外交は結論から申し上げると失敗に終わった。
ネーデルラントとプロイセンの主張は平行線をたどり、ついにはプロイセン王国側から『これでは誠意ある対応すら望めないため、この場で切り上げる』と宣言して外交交渉を打ち切ったほどだ。
ネーデルラント側も、捜査した中でプロイセン王国側の工作の疑いがあるという証拠を提示した上で、今回の事件はプロイセン王国側で引き起こされたものであると主張した。
その上で、外交官が殺された事に対して、プロイセン王国側がネーデルラントに全面的な責任があると主張した上で、賠償金として11億5500万ギルダーを請求したのである。
これは現在の価値にして約1100億円相当にも匹敵する金額であり、当初ネーデルラント側が用意しようとした500万ギルダーを大きく超える金額を請求したことで、当初ある程度の賠償金を支払う予定だったネーデルラントは、賠償金の支払いには応じられないと回答。
さらに7月9日には、ヴィルヘルム2世がネーデルラント議会に宛てた手紙を送り付けてきた。
この手紙にはネーデルラント側に対して服従するように求める内容が書き連ねてあった。
これは後に『ベルリン通牒』と呼ばれているものであり事実上の最後通牒でもあった。
また、これを拒否した場合には開戦も辞さないというものであった。
・ネーデルラント政府は一連の事件の対応を全面的に謝罪した上で、今後の外交関係はすべてプロイセン王国の意見を尊重すると同時に、欧州協定機構加盟国の陣営から脱退して十字盟友団に加盟すること。
・事件を指揮した人物の引き渡し、及びネーデルラント全土においてプロイセン王国の警察機関の設置を義務化すること。
・ネーデルラント側に脱走した『政治犯』及び『思想犯』の身柄引き渡しを無条件で行う事。
・アムステルダムにおけるプロイセン王国の貿易利権を回すこと。
・上記の条件を守らない場合は、貴国に我が国への憎悪かつ敵対的意志があるものと判断し、我が国はプロイセン王国防衛のために、自発的な防衛行動を執るだろう。
プロイセン王国側が提示したこの要求は、ネーデルラント側の主権を著しく損なわせるだけではなく、内政干渉と属国要請とも言えるような対応であった。
ネーデルラントの代表であるウィレム5世は、この要求を拒否した上で、外交的解決を探るべく、プロイセン王国側と交渉を行う。
それと同時に、フランス側に対して軍事的な支援、欧州協定機構加盟国内で取り決められた同盟国への防衛出動準備を要請したのだ。
「プロイセン王国は本気で我が国への侵略を開始するかもしれん。これは由々しき事態だ……大至急、フランスに援軍を要請するのだ」
ウィレム5世が派遣した外交官は、7月15日のベルリンにてプロイセン王国の外交官並びに外務大臣との8時間に及ぶ緊急会談を行った。
緊急会談では、賠償金などの譲歩案なども提示されたものの、結果としてプロイセン王国側は『全責任はネーデルラント側にあるため、直ちに欧州協定機構加盟国を離脱し、こちらが提示した賠償金を支払うように強く求める。最後通牒の内容に従わないのであれば、こちらは何事にも受け入れられない』の一点張りであり、ネーデルラント側から行ったプロイセン王国との外交交渉は失敗に終わる。
それと同時に、プロイセン王国側はネーデルラント各地に残っていた領事館職員を7月23日までに全部引き払ったことで、ネーデルラント側はプロイセン王国が戦争を決断したと判断。
ネーデルラント中で、有事に備えるように貼り紙を張ったり、予備役の招集を開始。
フランスもネーデルラント政府の要請に応えて陸軍3個師団の派兵を決定し、スペインやポルトガルなども武器や装備品の輸送の準備に取り掛かる。
また、陸軍を中心に国境線付近の街や村に対して、何時でも避難ができるように警告メッセージ行っていた最中に、プロイセン王国側からの砲撃が始まったのである。




