580:予防
「陸軍大臣に伺いたいのだが、現在動員可能な本土の兵力の総数はどのくらいだ?」
「はいっ、現在までに動員可能な兵力の総数は陸軍が9万人、海軍は4万人です。これに予備役や退役軍人を合わせると30万人以上を動員することができます」
「30万人か……もう少し人数を増やすことは出来ないかね?」
「恐れながら……現在でも予備役などを訓練させておりますが、人数が少々足りないのが難点ですね……移民としてやってきた者や、海外県の住民も合わせたとしても40万人に届くかどうか……現在我が国が抱えている難点としては、低い失業率によって職業軍人や予備役として軍に勤める者がいない点です」
フランス軍の陸軍兵力は約30万人……。
これは本土での兵力であり、海外県に駐屯している軍や郷土防衛隊の数を含めると40万人近くの兵力総数になるらしい。
しかしながら、プロイセン王国は早くも徴兵制度を導入しているらしく、国民の多くを徴兵することが可能としているようだ。
この時代のプロイセン王国の総人口がどのくらいだったかは忘れてしまったが、少なくとも領邦地域も合わせると一千万人近くの人口を抱えていたはずだ。
全国民一千万人のうち、男性の中で徴兵に適している年齢を18歳から55歳と仮定すれば、最大で200万人ぐらいは動員できるのではないだろうか?
この時代で200万人の大規模攻撃でもされたら、いくら技術革新が進んでいてもタダでは済まない。
「救世ロシア神国は、占領地の住民も自軍の兵士として組み込んで戦わせているらしいが……現状の状況はどうなっている?」
「はっ、すでに併合したクリミア半島や、コーカサス地方でも志願兵としての参戦を希望しており、その中でも長年オスマン帝国によって抑圧されていた反オスマン帝国派の住民が自ら志願兵として戦っており、彼らは比較的練度の高い兵士とのことです。また、身寄りのない者や、ホームレスの者には食事を振舞い、仕事として兵士としての役割を任せているとのことです。あと、もう一つ深刻な話題もあります……」
「深刻というと……女性兵士に関する話か?」
「はい、救世ロシア神国では女性も神に仕える兵士として動員しており、こうした女性は士気高揚のために男性兵士との交配を積極的に行うそうです。そして臨月になると戦地において出産を行い、その子供たちを現地に育てるのも任せているそうなのです……自分達の意志を受け継いだ子供として、彼らは産まれた時から既に親元を離れて育てられるそうです」
「出産と交配を繰り返しながら進軍する……男も女も関係なく……まさに軍隊アリみたいだな……恐ろしい」
まさにそれと似たような大規模突撃戦術を敢行し、地域大国を蹂躙している国家が東方にあるからだ。
その国家こそ救世ロシア神国である。
あれから東方における情報収集をしているが、オスマン帝国の戦況はかなり悪化しており、ブルガリア方面での戦いでもオスマン帝国は敗走しているだけではなく、コーカサス地方ではオスマン帝国によって抑圧されていたアルメニア人による武装蜂起と重なって、救世ロシア神国の軍隊が既にオスマン帝国領内に侵攻している状況なのだ。
そして恐ろしいのが、彼らは麻薬を接種しながら止まる事のない進軍を続けている点だ。
阿片を服用し、高揚感と痛み止めの意味合いも兼ねて彼らは死と痛みを感じない、恐れない軍隊となっているのだ。
その光景は、まるでホラーパニック映画に登場するようなゾンビの群れのように、襲い掛かってくるのだ。
斃れても、斃れても、その屍を乗り越えて群れとなって襲ってくる。
痛みを感じずに、神の国への帰還を目指す終末思想と相まって更に質が悪い。
十分な教育を行われていなかった者や、純粋に農奴から解放された者達が、プガチョフをピョートル大帝……ひいては降臨神と名乗る彼に忠誠を誓い、その思想と狂気を大陸に伝播させようとしている。
まさに狂ってしまった世界だ。
宗教の暴走、思想の激情、故に……この世界は史実以上に苛烈な事になっているのだ。
「プロイセン王国も恐ろしいが……余が危惧しているのは救世ロシア神国とプロイセン王国が密約を交わしてバルカン半島方面から救世ロシア神国、オーストリアとフランスをプロイセン王国と旧ロシア帝国が侵攻してくる危険性もあり得るからな……そうなったら一番マズいだろう」
「……まさか!流石にそれは……」
「あくまでも可能性の話だ、どっちかに歯向かうリスクのある強敵がいたとして……その強敵を裏を突くために裏で一時的な協力体制と、それに伴う双方による攻撃が実行された場合……欧州協定機構加盟国軍が全軍を持って迎撃に当たらなければ防衛しきれないだろう」
会議にいる全員がギョッとした表情で俺の方を見る。
有り得ない話ではないが故に、恐ろしい時代が想定されるのだ。
その中でも、十字騎士盟友と救世ロシア神国による欧州協定機構加盟国に対する同時攻撃が発生した場合、確実に対応できずに各個撃破される可能性が高い。
一方は東欧方面にも領土を構える国家であり、軍事力にリソースをかなり割り振っている。
もう一方はカルト宗教のような信仰を持ち、阿片を服用して死を恐れない軍隊と化した集団。
これらが同時に攻撃を仕掛けてくれば、間違いなく欧州協定機構加盟国軍は全兵力をもってしても対抗できるが怪しい。
強敵を倒すために一時的に敵同士が協力して戦うという場面は古今東西多くみられた。
俺の知っている限りだと、第二次世界大戦中に日本軍の進軍を食い止めるべく、中国大陸で覇権争いをしていた国民党と中国共産党が手を組んで国共合作を行い、日本軍に対して共同戦線を張って防衛を行っていたことが有名だろう。
「恐れながら……救世ロシア神国はあくまでも当面の軍事目的はオスマン帝国の解体と、その占領地の解放のはずです。こちら側にわざわざ喧嘩を売るようなことはしないと思いますが……」
「いや、陛下のご指摘も一理あるぞ。考えてもみろ……今回起こっているクラクフ侵攻に関しても、ポーランドの独断といっておきながら、その裏ではプロイセン王国と旧ロシア帝国が武器・兵器の供与をポーランドに行っていたのだ。裏で何らかの形で密約を交わしてバルカン半島方面での欧州協定機構加盟国に対する武力行使を加えてくる恐れがあるのだぞ」
あくまでも、これは『仮説』に過ぎない。
しかし、万が一二つの強大な勢力が欧州協定機構加盟国に対して一斉攻撃を行えば、その時はナポレオン戦争……いや、第一次世界大戦のような惨事になるのは間違いない。
一つは秘密結社が、もう一方は終末思想と折り重なった宗教によって国家が牛耳られているのだ。
会議は慌ただしくなり、陸軍大臣と海軍大臣が状況把握のために一時的に席を離れる。
コップに入れてくれた白湯を飲む。
押し付けられている重圧だけではなく、戦争を起こさんとする勢力による画策が既に進んでいると思うと、怒りと不安が心の中にうねりを伴ってやってくる。
どうやって、この感情を爆発させたらいいのだろうか……。




