577:稲妻(上)
★ ★ ★
1788年2月19日
プロイセン王国 首都 ベルリン
「ママ、あの大きな筒はなに?」
「あれは大砲よ……国王陛下がベルリンを守るために作った大きな砲よ」
「ものすごい大きいね……」
ベルリンの街並みは大きく変貌を遂げている。
街中では蒸気機関が動く音が絶え間なく鳴り響いており、街中を行き交う人々は蒸気の煙を浴びながら街道を進んでいく。
ここでは煙突のような大きな野砲が街の至る所に配備されており、これらの野砲に関しては有事の際にいつでも市街地から砲撃が可能な仕組みとなっている。
「稲妻」と命名されたこの巨大野砲は、全長15メートル、口径幅25センチと、この時代では最大級の大きさを誇り、有事の際には首都に配備されたこの巨大野砲から、砲撃の雨を降らせることも理論上では可能である。
ベルリンだけで30門以上を建設し、さらに他の大都市部でも同様の巨大野砲を建設しているため、都市防衛という意味合いでは、雨の如く砲弾を降らせて敵の戦意を削ぐ狙いがあるとされている。
プロイセン王国陸軍では、砲兵を占める割合が45%に達しており、この4割のうち都市防衛用の野砲に配備されているのが全体の八割に及んでいる。
それに、ベルリンはただの街ではなくなっており、周囲を壁によって囲まれている。
これらの壁は高さ10メートル以上。
その壁は全長16キロにも及び、第二次世界大戦後に建設された東西冷戦の象徴ともいえるベルリンの壁に比べたら短いものの、この時代においては城塞都市と呼ぶにふさわしいほどの長さを誇っている。
おまけに、要塞都市計画として再設計されたベルリンでは、稲妻を含めた野戦砲の配備だけではなく、巨大固定兵器の配備も着々と進められており、ベルリン王宮には蒸気機関を搭載した異質ともいえる兵器が警備を固めており、王宮に仕えている者ですら、これらの兵器を管轄下においておらず、全て「薔薇十字団」が保有している蒸気兵器である。
全長15メートル程の固定型の兵器であり、それぞれ散弾を発射できる砲塔が4箇所、大砲を放つ主砲が1門搭載している代物だ。
これらに関してはプロイセン王国内部ですら情報を知っている者が少なく、ベルリン王宮を警備している守備兵ですら、これらの兵器に関しては一切触れられていない。
薔薇十字団の内部では、カリオストロによる徹底した秘密主義と、プロイセン防衛論に則り、独自の軍事組織が結成されることが取り決められており、すべて薔薇十字団に妄信しているフリードリヒ・ヴィルヘルム2世が許可したことで、カリオストロは組織の武装化を推し進めたのである。
薔薇十字団の特徴として、彼らが保有している武器や兵器には必ず薔薇の紋章が刻印されており、身に着けている兵士の服装も、薔薇のマークが掲げられているのである。
これらの薔薇十字団はプロイセン王国でも秘密結社という側面を持ちつつも、軍隊の中では国王が認可して自由な行動を行うことが認可されている組織として認知されている。
それ故に、味方ですら不気味に思い、安易に触れることを恐れている組織でもあるのだ。
「それにしても、あれだけのデカブツをよくここで設置できたなぁ……」
「陛下のお気に入りだからな……ベルリンだってもうかなり様変わりしちゃっただろ」
「あいつ……いや、薔薇十字団が軍とは違う指揮系統で配備させているけどさ……あれはいいのか?」
「陸軍としても、陛下が熱心に推し進めている都市防衛とやらに口を出して色々大変な目に遭うのは御免だと思っているんだろうなぁ……」
「薔薇十字団が実質的に陛下の近衛兵のような役割を担っているからな……下手な事言ったら俺たちがクビになるぞ」
「とにかく、アレに関しては見て見ぬふりをするしかないよ。余程のことじゃない限りは触れることは禁忌とも言われているし……陛下の好きなようにやらせておくのが一番さ、俺たち下っ端は黙って上に従っていればいいのさ……」
「そうだな……」
先代の大帝が愛した王宮も、今では蒸気機関と組み合わさった異質な兵器との融合が始まっており、すでに不気味な雰囲気を醸し出しているのだ。
ヴィルヘルム2世の治世下に置かれているベルリンに至っては、史実とは全く似ても似つかないような情勢となっており、特に外敵対策で周囲を壁に囲まれているベルリンでは、別の都市を行き交うだけでも一苦労だ。
ベルリンには、それぞれ教育と訓練を受けた十字騎士団と称する国王から認可を得た武装組織が検問を行っており、市内に四か所ある門を通過するためには、これらの検問所でチェックを受けていかなければならない。
検問所には多くの行列が出来ており、出入口は非常に混雑していたのである。
馬車だけではなく、物資搬入のために沢山の荷物を積んでいる荷車ですら、これらの大渋滞を毎日経験しなければならないのである。
これは貴族とて例外ではなく、パーティーに遅れそうになったという理由で強引に検問所を割り込んでベルリンに入った貴族の話がヴェルヘルム2世の耳に入った際には、すぐに犯人捜しが行われており、地方貴族であった男爵が貴族としての地位と私財没収という極めて重い処罰を受けて、貴族たちは色欲の王がいっちょまえに治安を統制していることを腹立たしく思っていたのである。
「まだベルリンに入れないのかい?!いつまで待たせるつもりだい!」
「検問を通過しないといけないんですよ……それに、強引に検問所を突破したら貴族の地位と私財まで没収されるぐらいに厳しいのです。なのでここを移動するには順番を待たないと……」
「せめて貴族専用の通行口を設けるべきだわね……全く、こんなに制度をややこしくしたら移動だって不便じゃないか!」
「我々貴族はまだマシですよ……一般庶民はもっと生活が苦しくなっているって話ですよ……」
物流への影響もさることながら、一番の影響は都市部に住んでいる住民にのしかかった。
住民の多くが都市郊外からやってくるものが多かったために、農山村から出稼ぎ労働者としてやってきた者たちは、身分証明書を携帯していないと処罰されたり、罰金刑と称して騎士団から通行料を巻き上げられたのだ。
特に、これらの農山村出身の多くが文字の読み書きについて、教育をしっかりと受けた人材があまりいなかったこともあり、騎士団の調査員によって為されるがままに現金を徴収されたり、酷い場合には犯罪者扱いをされて労働刑務所に収監されて、無償労働をさせられるケースもあったのだ。
ベルリンだけではなく、プロイセン王国の影響下にある領邦地域も都市部がベルリンのような壁に覆われており、その壁の建設費用だけでプロイセン王国の国家予算5年分に匹敵する資金が投じられている。
プロイセン王国は内側から閉じこもるように、同盟関係であるポーランドや旧ロシア帝国とも一定の距離を置いて、独自の道を歩んでいる。
その光景は、ポーランドや旧ロシア帝国の政府高官や貴族ですら、異常とも思えるような外見に変貌しつつあったのだ。




