550:紡績
紡績工場に足を運ぶと、そこに映っていたのは沢山の機械を使って糸を生産する人達の姿でした。
蒸気機関を動力源とし、大きな機械が横一列にズラリと並んで作業をしておりました。
この工場長はグレートブリテン王国からの亡命者であり、改革派の中でも新興産業促進会に属している技術官僚の方が経営しております。
「これが紡績工場か……随分と紡績機が並べられているが、これはこの工場長自身が考案したアイディアを元にして改良したとあるが、事実かねクロンプトン?」
「はい、その通りでございます。私がジェニー紡績機と水力紡績機の両方からアイディアを取り入れて、それをこの紡績機で応用したものです。私自身の発明ではなく、それまでの発明品を応用したに過ぎません」
「それでもこれだけの紡績機で生産できる体制を整えたのは立派だ。君の活躍が無ければ、既存の紡績機で生糸を作ることになるからな……」
亡命技術官僚のクロンプトンさんは、謙遜しつつ神妙な面持ちでオーギュスト様の質問に応えておりました。
元々グレートブリテン王国で事業を手掛けていたものの、内戦によって研究室や事業所が焼き討ちに遭い、生活基盤が崩壊したこともあってフランスに亡命。
その後は、技術者としての腕を買われて技術官僚として採用された経歴を持っております。
こうした亡命イギリス人によって、我が国の科学力が向上したのも事実です。
内戦前までは優秀な頭脳が集結していたロンドン科学アカデミーも、今では廃墟が立ち並ぶ街に変貌してしまいました。
クロンプトンさんのように、住んでいた故郷が破壊されてしまい、帰還できなくなった方々の多くがスコットランドに戻らず、フランスで暮らしているのです。
「ロンドンでの特許取得に向けて準備を進めていましたが……先の内戦で私の実験室や資料を失い、途方に暮れていたところをフランスによって助けられた恩があります。こうして研究で恩返しが出来るのであれば、喜んで力になります」
そう語るクロンプトンさんですが、彼の親戚もまた、ロンドン革命政府によって処刑された事をオーギュスト様から説明を受けました。
ロンドンが死の街と化して以来、捜索隊が集団墓地に処刑されて埋葬された方々の遺体の遺留品から、亡くなった方の特定を進めておりますが、未だに特定出来たのは全体のわずか2%にとどまっております。
(今でも家族の安否が分からない方々も多くいらっしゃいます……クロンプトンさんも、もし内戦が無ければロンドンで発明家として大成していたかもしれませんね……)
亡命イギリス人の方々が負った戦争の深い傷は、未だに心に残っているのです。
最近では少しずつではありますが、ロンドンでの入植者が戻ってきているとのことですが、それでも以前のような発展を取り戻すまでに一世紀近く掛かるとのことです。
我が国に亡命してきたイギリス人の研究者の大半は、こうした形でフランスに雇われる形となって職についている人が多いのです。
「ここで働いている方々もイングランドから亡命してきたイギリス人が多いです。亡命イギリス人の多くはこうした工場や農園で働いておりますが、皆よく働いてくれております」
「うむ、熱心に仕事を取り組んでいるのは良いことだ。彼らの多くは生活基盤をフランスに移したのかね?」
「ええ、イングランドが壊滅し、スコットランド政府に関しても懐疑的な考えを持っている方のほうが多いです。事実上亡国となってしまった関係で、フランスでの国籍を取得して住むことを決意している方々が多いのです」
ここで働いている亡命イギリス人の方の多くが、フランス国籍を取得して住むことを決意した方々が殆どのようです。
そんなクロンプトンさんのような方々を支援している改革派ですが、改革派の中でも特にイギリス人から支持を受けているのが新興産業促進会という派閥です。
新興産業促進会は、ここ3年ほどで改革派の中でも強い発言権を有しており、ピエール=シモン・ラプラス氏など、若手で注目されているフランス科学アカデミー関係者やアカデミーの主席が在籍していることが特徴的です。
そのほとんどが科学者を中心とした科学重視政策を採っているのです。
今回の鉄道誘致にも大きく関わっている派閥であり、改革派の中でも蒸気機関をはじめとする最新鋭の機材や機械を駆使して、国内を発展させようとしている方々です。
キュニョーさんもこの派閥出身の方であり、現在では改革派は三つの派閥が存在しています。
まず、私やランバル公妃など王族・貴族が中心となっている経済研究会、次にネッケルさんや庶民層が中心となって行っている農工商業会、そしてフランス科学アカデミー関係者によって構成されている新興産業促進会の三つの派閥によって成り立っているのです。
オーギュスト様はこれらの派閥に対しては、それぞれ意見などを踏まえた上で調整を行ったり、予算の枠組みなどを行っており、疑似的ながらも【民主主義】を反映した作りをしているとのことで、オーギュスト様もこれらの派閥間による意見を重要視し、現在までにこれらの派閥による討論などを経て、最終的な政府の政策に影響を与えているのです。
「この工場では、200名もの従業員が働いており、それまでの紡績機より遥かに量を多く生産することが可能になっております」
「おおよそでいいのだが、一日にどのくらい生産可能かね?」
「約20万錘前後ですね、多くが衣類に使用されますが、ベッドや枕などの寝具向けにも使われるため、以前よりも格段にそうした衣類・寝具の生産に多く貢献しております」
「20万か……200人の従業員がいるから、一人頭約1000か……」
この工場では15歳から60歳までの男女200名近くが紡績生産の作業を行っており、裁縫や衣類の原糸を生産する為に使われていました。
長い糸をぐるぐると巻き付けて生産されていく様子は、いままでに見たことがない光景でありました。
大勢の人達が次から次へと生産されている原糸を一定の長さまで纏めると錘となるローラーが停止し、ローラーに巻き付いている完成された原糸を取り外し、まだ何も巻き付いていないローラーに切り替えてから生産を再開しております。
この工場では、一人の生産者が述べ1000錘程を生産することが出来るようになり、手作業でやるよりもはるかにスムーズで、そして大量に生産できることもあり、衣類の製造を手掛けている店に革新をもたらしました。
そしてクロンプトンさんは、オーギュスト様のお陰で大量に生産できるようになったと誇らしげに語っておりました。
「ご覧ください。これはいずれも紡績機から生産された生糸で生産された庶民向けの服ですが、以前の手作業でやっていたものよりも均等性に優れております。この紡績機も、均等性に重点を置いておりますので、こうした商品として生産できるのは強みとなっております」
「うむ、確かに生地の質もいいな……まだ新しく出来上がったばっかりではあるが、これからも発明と並行して工場の運営を任せたいが、出来るかね?」
「はいっ!全力をもって取り組んで参ります!」
クロンプトンさんの紡績工場でのやり取りを終えてから、私たちは再びキュニョーさんが運転する列車を使って、シャンゼリゼ通りまで戻ったのでした。
行きと帰り……列車が動くたびに、大勢の人達が群がる様子は、本当に壮大なものとなりました。




