548:実用化記念
「おお!列車だ!列車が来たぞおおおお!」
「すげぇ!あれがこんなにたくさん車両を繋げて動くのか!」
駅に列車が到着すると、車内からでも聞こえる大歓声。
多くの人達が歓呼の声を持って出迎えてくれている。
彼らの大半は汚れても良いような作業服姿の者が多く、大半は工場で働いている労働者たちである。
エスプラー号が到着したのは、シャンゼリゼ通りから北に向かった先にあるサン=ドニと呼ばれている地区である。
この地区には歴代フランス国王の殆どを埋葬しているサン=ドニ大聖堂がある事で知られており、史実ではフランス革命後は墓を暴かれたりもして、その際に革命政府に同調した民衆や労働者によって一部の遺体が持ち去られてしまい、そのまま行方不明になるという悲劇も起きた。
そして、ルイ17世の心臓もこの大聖堂にて祀られていたはずだ。
この場所に駅を建設した理由にも触れるが、ここはパリ中心部からほど近い上に、大規模な紡績・製糸工場が建設されている関係で、資材の運搬や人流を運ぶ上で必要不可欠であるためだ。
セーヌ川を経由して毛糸などが持ち込まれると、ここから紡績・製糸工場に搬入されて商品として生産される仕組みが出来上がっているのだ。
工場で生産された商品などを遠方まで大量に運ぶにはセーヌ川を経由して下って持っていくか、陸路での運搬輸送が一般的である。
そのうち、今回のようにシャンゼリゼ通りまで紡績機で生産された綿糸などを持ち運んでいくように出来れば、国内の高級商品として国内外に販売されている製糸などを、服屋に直接卸に行くことが出来るようになるのだ。
シャンゼリゼ通りに鉄道を開設し、7キロほどの距離にしたのもこうした身近な場所へ大量輸送できる利点などを活用するためである。
いずれは他の工業地域にも鉄道網を張り巡らされたうえで、鉄道輸送を主軸とした輸送路が確保されていくだろう。
早い話が、パリで多くの労働者が利用する上に、工場で生産された毛糸を運ぶ事で、多くの利用客と荷物の運搬を同時に行える利点があるという事だ。
少なくとも需要と供給を鉄道が担う事によって、利益を産み出すというわけだ。
今回の実用化を踏まえて将来的にはシャンゼリゼ通りを主軸に、フランス全土に向けて鉄道網の敷設が進められていくだろう。
長いようであっという間に目的地のサン=ドニに到着したことで、アントワネットは安堵しているようだ。
「あっという間にサン=ドニまで着きましたね……」
「ああ、こうして家族揃って楽しい移動をするという事はあまりないからな……どうだった?」
「すごく楽しかったですわ。馬車では味わえない乗り心地に加えて、新しい時代の幕が上がったような気がして心が踊っておりますわ!」
「うむ、俺もだよ。こうして見れば分かるとは思うが、完全に新しい時代を切り開く未来の乗り物だよな……いずれはこうした鉄道網がパリだけではなく、フランス、ヨーロッパ諸国全域に普及していくと思うと、感嘆の想いがこみ上げてくるよ」
アントワネットは目を輝かせてキラキラした様子で答える。
正直言って俺も心どころか身体が踊りそうになるぐらいには嬉しかったのだ。
試作車に乗った際も凄かったのだが、あれはまだ時速10キロ程度であり、このエスプラー号よりも遅くてゆっくりとパリ市内を走っていた。
しかし、今回のエスプラー号が20キロ以上の時速で走り、人や積荷を走らせた状態で7キロ離れたここ、サン=ドニまで牽引してやってきたのだ。
一等車でその光景を体験できるというのは、実に素晴らしいものであった。
(こうやって鉄道網が全国に広がっていけば、産業革命も早いうちにフランス全土で加速していくだろうね……人力や馬車に頼らない新しい乗り物によって、どれだけの人が変わるんだろうか……)
前世では通勤のために都内の山手線や地下鉄を行き来していたが、それが当たり前の光景だったこともあり、気にも留めなかった。
だが、いざそうした便利な鉄道網が全く無い18世紀にやってきて以降は、移動する際に内燃機関で動く自動車やバス、飛行機、そして電車や新幹線といった乗り物の存在がいかに有り難いものなのかについて、身に染みて実感したのである。
長距離移動に関しては宿泊施設を経由して泊まるのは当たり前の時代であり、特に王族クラスになればその分遠出をするのにも慎重になってしまう。
大貴族の屋敷やそれ相応のホテルでないと宿泊は出来ないし、移動中は基本的に食事の時以外は外に出れない。トイレに関しても馬車の中に専用のおまるがあるくらいだ。
「いずれにしても、これからは鉄道が物流を動かすようになるよ。それから駅から運ぶ際に馬車よりも早く走れる乗り物が活躍するようになるだろうね」
「未来ではどんな感じになっているのでしょうね?」
「少なくとも蒸気機関から派生した内燃機関を搭載した乗り物が多く走っているんじゃないかな?キュニョーの砲車から派生して、蒸気機関を使った乗り物を使って人々は移動したり、荷物を運搬するようになると思う。まだ馬車や荷車が取って代わるまでには時間はあると思うけどね」
「オーギュスト様も昔に仰っておりましたね。いずれはそうした時代が訪れると……」
「ああ、必ず訪れるさ……これからは科学文明社会が訪れる時代。今はその黎明期に当たる時代だよ」
産業革命黎明期ともいえるこの時代。
まだまだ改善なり改良の余地があるのだが、それでも従来の機械を使わない人力で生産物を作り出し、消費していった生活から徐々に機械を使って生産物を大量生産する時代になり始めている。
この産業体制が普及し、躍進的な成長を遂げるようになるのが19世紀末から20世紀半ばまで続く。
アメリカでは産業革命とその後に起こった南北戦争終結後に、東海岸を中心とした大規模な工業化を推し進めた結果、世界の工場と呼ばれるまでに成長し、現代でも続く経済・軍事大国の礎となった。
日本でも江戸幕府に代わって明治政府が誕生すると、文明開化に則り西洋化と工業化を作り出し、開国して僅か50年足らずで列強諸国の仲間入りを果たすまでに成長するに至る。
産業革命黎明期における蒸気機関によって、人類の生活水準は大きく変わったといっても過言ではない。
むしろ産業革命が発生しなかったら、今でも人類は電気などを扱うことなく、人口も増えなかっただろう。
「黎明期だからこそ、このエスプラー号を含めた蒸気機関車が、更なる改良と発展を遂げる機会へと導くようになるのさ」
「蒸気機関を使った更なる発展ですか……確かに、私が子供の頃に比べたら生活様式も変わってきて来ましたからね……少しずつではなく、大きく変わるようになるのでしょうか?」
「そうだね、これから文明は飛躍的な発展を遂げるようになるはずだ。こうしてエスプラー号に乗っているわけだけど、いずれは従来の常識を覆すような発展を遂げるようになるよ」
このエスプラー号は伏線に過ぎない。
もうあと20年もしないうちに、ガス灯や無線通信の類も完成するころだろうし、一気に産業革命による恩恵が人々にやってくるようになるだろう。
そうなった時、この時代の人々がどんな反応をするのか、楽しみで仕方がないのであった。




