547:車窓
シャンゼリゼ通りを走るエスプラー号。
その雄姿を一目見ようと、沿道だけではなく建物の窓からから身を乗り出して手を振る人も多い。
世界初の試験運用をしただけではなく、これでフランスはこの世界において世界で初めて実用された列車を運行した記念すべき日となったのだ。
そんな歴史的な出来事に立ち合えるのはとても光栄なことだと思っている。
列車が動けば、車窓の景色も変わっていく。
馬車とは違い、一定の速度を維持してリズムを奏でるように揺れる列車に、俺を含めた家族みんなが喜んでいる。
石炭を燃料にして動いていることもあり、煙突からモクモクと黒煙を噴き出しながら走りだすエスプラー号。
街中に敷設されたレールに沿って、決められた速度で走っている。
時速としてはそこまで早くはない。
だいたい20キロから30キロ前後だろう。
自動車などに比べたらゆっくりかもしれないが、この時代ではこの速度に匹敵する乗り物は馬車ぐらいしかない。
馬車よりも大勢の人や荷物を乗せた状態で走らせることが出来るだけでも、十分すぎるほどの技術力なのだ。
王族を護衛する警護員は後部車両と、先頭の蒸気機関車にいる上に、敷設された線路に沿って憲兵隊や警察官が配備されている。
外側から見張りの騎兵が追いかけてきているが、騎兵の馬の速度と殆ど変わらないこともあってか、沿道にいる人々にも馬と同じぐらいに早く走れる乗り物であると認識してくれるはずだ。
テレビ番組で列車に関する番組で、良く流れていた音楽が何処からか聞こえてきそうな雰囲気だ。
脳内ではあの有名な曲が流れてきそうだ。
そんな落ち着いた雰囲気の中、アントワネットは嬉しそうな様子で呟いた。
「ゆったりとした動きが出来るのは良いことですね……この、レールの上を走る音が一定のリズムで流れているので、気持ちがいいですわ」
「そうだね。レールの上を走る列車というのは、等間隔で音が鳴るように出来ているみたいだし、キュニョー曰く、こうして等間隔でレールの上を走る音がしているのはしっかりと走れている証拠ですって言っていたよ」
「まぁ、音で分かるのですか?」
「実際に走らせてみて、蒸気機関車の状態がおかしかったりすると、音のリズムが急に変わったり、異音がするようになってしまうみたいだからね……それだけに、何度もテストをして敢て機関車やレールに異常がある状態で走らせる実験もやったみたいだよ」
「そんなに……やはり、研究に打ち込む方は本当に熱心に色んな実験を為さるのですね……」
「それだけ、何か異変があればすぐに対応できるようにするためでもあるからね……乗客を乗せている以上は、馬車よりも大勢の人の命を預かっているという意識を持って行動しておりますって語っていたよ」
キュニョーは機関車の走行実験を何度も積み重ねており、レールの上に石を置いたら走行中の機関車がどうなるかという実験をしたり、わざと車体左側の車輪のネジを緩めた状態で走らせると、どのくらいで機関車が駄目になったり、脱線するのか実験を繰り返して行っていたのである。
その回数は一年間で延べ26回以上、実験で大破したり廃棄処分となった蒸気機関車は実に9台にも及ぶ。
試作車とはいえ、一台作るのに5万リーブルもする車両を台無しにするような実験を繰り返すのは如何なものか!と抗議してきたグループがあったようだが、フランス科学アカデミーの代表となった改革派のシルヴァン・バイイがこう言い放ったという。
「将来、数十人の人命を運搬することにより、船と同じように沢山の人命を預かるようになる乗り物故に、事故の危険性を調べるのは安全確保と実用化に向けた実験としては必要不可欠だ。君たちも実験で使う劇薬などが安全な手段を取らずに取り扱われたら危険と感じるだろう?それと同じように、蒸気機関車も操作などにおいて複雑な手段を要することになるのだ」
と言って、抗議してきたグループを咎めたそうだ。
蒸気機関車の実用化に向けて、安全性や危険性に関する実験を含めると、総額50万リーブルは掛かっているはずだ。
丁度、史実における首飾り事件の時にアントワネットを含めた俺たち王族が詐欺られたダイヤモンドの金額と同じぐらいの値段だ。
首飾り事件では、大金を盗まれた上に一銭の得どころが犯人に対する同情票みたいなのが集まって王族が非難されるという完全にとばっちりみたいな事をされてろくでもないような結末だった。
そのようなことに使われるぐらいなら、こうした未来ある実験の為に使ったほうが遥かに有意義な使い方をされていると思っている。
それに、キュニョーの開発している蒸気機関車の製作費の大半はオルレアン公からぶんどった資産の一部を有効活用という名で使ったので、問題はない。
国庫からの支出は1万リーブル程度だ。
思う存分にキュニョー自身や開発チームが納得するまで作ったことにより、振動なども少なく移動もスムーズに行えているのだ。
キュニョーが最高責任者兼車長として運転をしていることもあり、落ち着いた運転を実現してくれている。
「さすがエスプラー号の運転はキュニョーがやってくれているだけあって、とても落ち着いた運転をしているな。何度も実験を繰り返した成果が実っているよ」
「確か、蒸気機関車を開発した方でしたよね……?」
「そうだとも、あれからグレートブリテン王国から脱出してきた科学者たちと一緒に蒸気機関車を作りあげた上で、この前乗った試作車よりもさらに強度と耐性を向上させたこの車両を開発したというわけだ」
キュニョーによって、蒸気機関を活用した乗り物の開発は急速に進んだ。
元々史実でも世界初の自動車を開発した人物だけに、乗り物に対する情熱は凄まじいものであった。
「キュニョーと話をしたことがあるが、彼はすごく乗り物全般を熱く語れる人だよ。熱意もそうだが、改善点なども述べた上で、こうすればもっと良くなるとアドバイスをしながら開発をしているお陰で、チームの仲も良好だそうだ」
「理想的な指揮者というわけですね」
「その通りだ。元に、亡命イギリス人の研究開発者も、彼の指示に合わせて作らせたお陰でかなり開発が進みやすくなったと言っているんだ。彼自身も、砲車で開発したノウハウを生かして開発しているから、同じ技術者・研究者としての馬が合っているのもかもしれないね」
この蒸気機関車には、彼自ら考案した装置や、振動緩和のためのサスペンション構造などを盛り込んでいるらしく、客車にもそうした装置が取り付けられていることもあり、高級馬車のようなサスペンション機能によって振動を吸収しているという。
窓の外を見てみると、大勢の人達が沿道に躍り出て、手を振っている。
帽子を振ったり、中には国旗を振って喜んでいる人達の姿も見受けられる。
柵から乗り越えないように警察官や憲兵隊が並んで警護をしてくれていることもあり、今のところ線路に飛び出してくることは発生していない。
その光景を見ながら、ここは随分と平和であると噛みしめていると、あっという間に目的地の駅まで着いた。
7キロの移動は20分程度で済んだのであった。




