495:視線
大使によって連れてこられたのは、まだ背丈がそれ程大きくない小さい少女であった。
彼女がエリザヴェータ・チョムキナだ。
思っていたよりも彼女の身長は小さかった。
9歳であるという説明を受けてはいたが、6歳程度の背丈ほどしかなく、息子のジョセフと同じかもっと小さいようにも感じた。
チョムキナの身体は少し震えているようにも見える。
やはり相当緊張しているようだ。
「チョムキナ様、フランス王国国王であらせられるルイ16世陛下と、王妃のアントワネット様です。ご挨拶をお願い致します」
大使がチョムキナをサポートしながら挨拶をするように申し出ているが、口元を喋ろうとしても上手く言葉が出ないのか、何度も言葉をつっかえてしまい、「あっ……」や「うっ……」という言葉を何度も何度も繰り返しながら、名前の自己紹介をするのに一分近くを有した。
「えっ……えっ……エリザヴェータ・チョムキナ……です」
「うむ、名前を教えてくれてありがとう。喋るのが辛かったら無理に喋らなくても大丈夫だよ。さっ、そこでゆっくり席に座って……」
チョムキナはコクリと頷いてから席に座る。
やはり……というか、精神的な虐待を受けていた後遺症なのかもしれないが、受け答えにかなり時間が掛かってしまっている上に、相手の目線を見ながら話すことを避けている。
恐らく、何か話すたびに殴られたり鞭で叩かれたりした影響なのだろう、相手に目を付けられないように必死になった結果、そうしたことをしなければならない状況に追い込まれた結果、彼女はこうして話すこともままならない状態だ……。
アントワネットも心配そうな表情でチョムキナを見つめており、何とかして救ってやりたいという気持ちが強く表情に現れている。
心配するなアントワネット。
必ずチョムキナはたすけてやるからな。
「オーギュスト様……彼女は助けを求めておりますわ……」
「ああ、分かっているよアントワネット。彼女は何としてでもフランスが助けないといけないね」
小声でそうやり取りをした後、俺は大使と話をしながらスウェーデン側が提示した条件を改めて確認する運びとなったのだ。
「スウェーデン側から求める条件は幾つかございますが、この場で確認してもよろしいでしょうか?」
「ああ、是非とも頼む」
「はい、まず初めに……我々としての申し出としたしましてチョムキナ様の今後について詳しくお話がございます……彼女はロシア帝国の皇族としての席がございます。しかしながら、現在ロシア帝国は三つの国家に分裂している状態であることから国内情勢は不安な状態が続いております。今後、チョムキナ様を利用して第三国での決起などに利用しないことを条件として、フランス側に引き渡しをすることを改めて確認しますが、よろしいですか?」
「ああ、それに関しては大丈夫だが、今一度確認しよう」
チョムキナへの引き渡し条件……。
色々と制約があるのではないかと思ったが、案外そこまで厳しいものではなく、フランス側が彼女を使って新ロシア帝国の転覆といった手段を持ちいない限りは、基本的にフランス側の自由にしても良いという流れになったのだ。
スウェーデン側からの提示条件を見て、問題なく受け入れ可能であるとして、俺はその条件を呑むことにしたのである。
なんでこんな回りくどいことをしなければならないのか?
それは、新ロシア帝国の国内に蔓延っている旧皇族への強烈な不信感である。
エカチェリーナ2世をはじめ、多くの皇族が自分達の権力闘争や内部闘争の為に貴族たちを従えて、その貴族たちが農民などを酷使していたこともあり、人々に反皇帝の機運が高まっていたのだ。
そこで、スウェーデン側に協力した貴族たちは自分達の命が助かる代わりに、エカチェリーナ2世を裏切って親スウェーデン政権となる新帝国の建国に協力したのである。
「聞いた話にはなるが……新ロシア帝国側に付いた貴族は多くが地位などを保証する代わりに皇族の身柄だけではなく、財産や土地をスウェーデン側に売り渡したと言われているが……それは事実なのか?」
「はい、彼らはそれを行えば自分達の安全が守られるとして、身売りをなさったんですよ……ここにいるチョムキナ様も、そうした貴族側の都合によって振り回された被害者でもあるのです……」
旧皇族……エカチェリーナ2世の血を引き継いでいる人間や、深く交流のあった人物は粛清や幽閉の対象となったのだ。
まだチョムキナに関しては子供だったこともあり、幽閉で済まされているが、当のエカチェリーナが無惨な死を遂げた上に、彼女と深い関係に至っていた愛人の貴族や男娼に至っては、公開処刑や下半身に深い傷や裂傷を受ける程の暴行を受けたそうだ。
こうした実態があることから、親スウェーデン政権となった新帝国では、前皇帝のエカチェリーナ2世をはじめとした多くの旧皇族について「悪魔のような者達」「偉大なロシア帝国を分裂させた愚か者」という印象が根強く、特に救世ロシア神国では農民や農奴の人達が虐げられていたお返しと言わんばかりに、モスクワなどに残っていた貴族や役人から真っ先に処刑した上に、住民一人一人が身体の原型が分からない状態になるまで石を投げつけたという記載すらある。
「フランスとしては、チョムキナの保護を行うが、それはあくまでもチョムキナが有している人権を守るための人道的なものであり、新ロシア帝国における復権や妨害、傀儡政権を樹立するためのものではないことを、余、ルイ16世の名の下において宣誓するものである……こちらで作成したチョムキナの関連書類にもその旨を記載したが、確認しておくか?」
「はい、お手数ですが拝見させていただきます」
「お互いに不手際があってはマズいからな……万全を期して確認しよう」
とにかく、旧皇族を恨みに恨んでいる現状では、どんなに素晴らしい理屈やお話を並べたところで「お前は旧皇族だな!じゃあ死ね!」と暴言を吐かれる状態なのだ。
そんな状態でフランス支援の下、旧皇族のチョムキナを擁立してロシア帝国の領地いただきまーす!とやった暁には、彼らは徹底的なサボタージュを行い、フランスに牙を向けるだろう。
ナポレオンのロシア戦役みたいな事になり兼ねない。
今は大丈夫だとしても、俺の次の世代……テレーズやジョセフがそうした事をしないように徹しておかないとね……。
「……こちらとしてはこの書類で問題ありません」
「こちらも確認した。これで正式にチョムキナの引き渡しが行われる事になったが……最後に一つ、チョムキナに確認したい。君はこれからフランスに住むことになる。宮殿ではないが、君を安心して住むように手筈を整えた。それで構わないかい?」
「……はっ、はっ……はい……か、か、構いません……」
「分かった。君をイジメたりするような人を雇うことはしないし、皇族としての名誉と尊厳はルイ16世の名に懸けて守る……」
お互いに書類を確認し、不備が無いことを確認してからチョムキナの引き渡しが行われることになった。
大使館の広場にて引き渡しが行われ、チョムキナは身体を震わせながらも無事に引き渡しが完了し、チョムキナを保護することになったのである。
チョムキナを保護した際に、さっきよりも少しだけ表情が和らいでいるように見えたのであった。