471:債務不履行
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1784年1月19日
北米連合 首都 フィラデルフィア
「これで……よいのだな?」
「はい、ありがとうございます。これで責任者は私になります。もう、重責を負わなくてもいいのですよ……」
「うむ……ハンソン君……すまないね……」
北米連合の代表者であったジョージ・ワシントン。
今現在は、代表者という地位にはいるが、実際には多くの発言権などを北米連合議長を務めるジョン・ハンソンに移す署名にサインをしたのだ。
理由は単純明快、もはや北米連合が各州によって独立しているような状態となっており、沿岸部に至ってはフランス艦隊を中心に沿岸砲撃によって港湾軍事基地を中心に甚大な被害が生じた結果、海上輸送が行えなくなったからだ。
海上輸送が滞り、それまで北米連合の主要産業でもあったアフリカ大陸における人身売買に伴う奴隷貿易が出来なくなり、国内の経済状況は最悪の一途を辿っていた。
もはや、現在の北米連合ではこの経済状況を打開できる手段はない。
ジョージ・ワシントンとしても、現在の北米連合の事を快く思っておらず、国家を瓦解するためにわざと起こしたのではないかと言われている程だ。
グレートブリテン王国との戦争によって独立を勝ち取った北米連合だったが、その実情として王国に所属していた兵士や民間人を虐殺したことにより、諸外国からの金融融資が滞り、経済的に低迷したところに追い打ちを掛けるようにラキ火山噴火が発生したのだ。
この火山噴火によって、ニューヨークより北の地域での穀物が不作となり食糧危機と経済不況が発生。
外貨が獲得できず、止む無く国内有数の大企業であった北米複合産業共同体に、土地を売却したりして資金を確保できたが、国内のいびつな経済情勢を打開することは出来なかった。
南部一帯で栽培されている綿花栽培やトウモロコシ栽培では多くの黒人奴隷を使って成り立っていた産業であり、茶葉やトウモロコシの収穫には大勢の黒人の奴隷を使った動員が必要だったからだ。
この奴隷産業によって南部地域においては破格の低賃金労働が実現可能になった事で、利益を求める投資家や大規模農園の地主などが挙って土地を開拓したのだ。
「トウモロコシと綿花を育てることが出来れば駆け出しの農家、このトウモロコシと綿花を大量に作って、奴隷を沢山雇って生産効率を上げることが大規模農園にとって必要な事だよ」
この際に誕生したのが地主主義ともいえる大地主であり、大地主がものを言う社会基盤となってゆく。
黒人奴隷を多く使っている地域では地主の言うことが絶対であり、発言権など地主が有するようになった。
やがてその地域を統括するような大地主になると、州知事よりも発言権だけでなく司法権に関しても独自のものに変更するだけの力になった。
その様子はまるで王のようにも見えたことから一部では「農王」とも呼ばれているほどであった。
その結果、国内では奴隷産業によって生み出された金儲けのシステムを根本的に停止させようとする、フランスを中心とした欧州協定機構加盟国の存在が邪魔になってきたのだ。
始めのうちはまだまだ注意だけで済んだのが、次第に取り決めなどを厳しくした経済制裁にシフトしていく。
これにより、北米連合はただでさえ欧州方面との関係が希薄となり、カリブ海での植民地や海外県を有していた国家からも、取引停止や人流交流の大幅な削減となり、経済は年を負うごとに低迷していった。
やがて、国内で蓄積していった不満不平がフィラデルフィアの国会議事堂に届く声が大きくなり、大規模な報復を叫ぶような強硬派が世間を台頭していき、引き返せないところまで世論が対欧州植民地や海外県への制圧を訴える論調になってしまう。
しかも、こうした強硬派は北米連合の議会にも多く浸透してしまい、ジョージ・ワシントンが気が付いた時には、ジョン・ハンソンなど一部の政府関係者を除いて手が付けられない程に拡大してしまった。
ワシントンにとって、これ以上問題を長引かせることは彼自身の政治生命を破綻させる要因になってしまう。
そればかりではなく、下手をすれば圧政者を大陸から追い出して独立を勝ち取ったにもかかわらず、自分達が反って圧政者が吊るされたように、同じ目に遭う事になりかねなかった。
ジョージ・ワシントンは議会での発言権を有してはいたが、実際には北米連合の経済基盤を支えている大地主などの大規模農園の発言権が各州で強かったこともあり、事実上北米連合の経済基盤を牛耳っていた彼らから不満を逸らす為に始めたカリブ海諸島への軍事侵攻に至ったのだ。
軍事侵攻は完全なる奇襲を実現するために緘口令を敷いた上で、兵士達には「海上輸送訓練と現地での長期間訓練を行う」として、侵攻目的などは一切話さずに各州の民兵を集めて行われたのだ。
グレートブリテン王国を一年で大陸から追い出した民兵だけあって、その士気はすさまじく高かった。
北米連合における戦争目標であった各地の特許物や特産品の品種に使われている種などを略奪し、自国内での生産が可能にするためにすることに成功したのだ。
特許物や特産品の略奪によって、北米連合では品種改良されたジャガイモやトウモロコシ栽培が可能となり、北米連合を一時的にだが豊にすることが出来たのだ。
品種改良された種は量が大きく、植付によって北米大陸の広大な土地で栽培が進められた。
だが、戦争によって各国との貿易を遮断したことで国内の通貨は下落の一途をたどっており、多くの州において戦死者の増大による反発が招かれることになった。
民間人に至っては、戦争勃発によって貿易網が遮断されたことにより、ただでさえ貧しかった生活に拍車をかけ、経済を圧迫していったのだ。
勿論、この戦争に関しては積極的な行動をするように呼びかけていたのは、北米連合の中でも南部地域の者達が多く、綿花などの生産を大部分を牛耳っていた者達。
今現在でも北米連合議会において大きな影響力を持っている大地主などの勢力である。
彼らはフランスが主導になって奴隷貿易の禁止と取引の停止を求めたことに大いに反発をしていた者達だ。
何を隠そう、北米連合の中でもアフリカ大陸からの奴隷による重労働産業に成り立っていたのが南部地域であった。
湯水の如く、仕入れてきた黒人奴隷を使い潰し、彼らは人間ではないとする差別思想に基づいて平然と死ぬまで働き続ける。
ほぼ無賃金で働かせることが出来る上に、黒人奴隷に関しては白人と同じ法律を適用しなくても良いという事により、彼らに対する人権などは一切保障されなかった。
こうした国政も動かしてしまう程の大地主による政治介入によって、もはや北米連合の政治機能はコントロールを失い、破滅へと突き進んでいったのだ。
現在では隣国……いや、企業である「北米複合産業共同体」が発行、造幣している大陸通貨のほうが信頼できるとして、幅広い地域で自国通貨よりも取引が盛んなのだ。
もはや、北米連合は瓦解するのも時間の問題であった。
現在はカリブ海諸島の大部分から追い出された北米連合だが、これ以上の北米連合内部の暴挙を止めるためにはジョージ・ワシントン自ら和平交渉に応じて対応するしかない。
その為に、彼は盟友であったジョン・ハンソンに北米連合の政治機能を託した上で、自ら和平交渉に臨む覚悟でフランス宛に和平交渉の用意があるという親書を送り、フランス側もそれに応じて和平の日時と場所を指定し、赴くように伝えたのであった。
1784年3月11日に、和平交渉がサン=ドマングのポルトープランスにて行われることになり、それまでにワシントンは和平に向けて内部の工作を始めたのであった。




