455:霊撃
テュイルリー宮殿の秘密の部屋から持ち出してきた品々。
これは後でヴェルサイユ宮殿に戻った際にじっくりと見ておく必要がある。
特に、先程の聖遺物であるトマス・アクィナスの遺骨に関しては、ここにずっと陽の目を当たることなく地下に置きっぱなしでは本人にとっても気の毒だと思う。
聖遺物という扱いの関係上、バチカン辺り……教皇に依頼して然るべき場所に眠らせてあげるのが宗教的にも道徳的にもやったほうがいいのではないかと思った。
(この聖遺物はフランスが持っているだけでも価値があるが……今の所有者は王族が持っている扱いになるのか……では、国家ではなく、個人の所有している聖遺物……持っているだけで宗教的な価値があり、それを使って権力を示すことが出来るのはスゴイことだ。そう、スゴイ事なんだが……)
勿論、テレーズの言いたいことも分かる。
いざという時の為に、金では買えない聖遺物を所持していれば、王族としてのポテンシャルを保ちつつ、影響力を行使できることもできる。
マジックアイテムのようなものだ。
聖遺物がある、ないだけで非常時において王族にとって有利になる魔法のアイテムのようなものだ。
キリスト教の教えを重んじている国だからこそ、そうした物が価値ある物として高く評価されるのだろう。
日本で例えるなら歴史博物館に展示されるような代物か。
そりゃ関係者なら大金を出してでも欲しがるよね。
ただ、この聖遺物に関しては人骨だし……トマスも最期は思い入れのある教会で息を引き取りたいと願ったそうだが、その願いが叶えることはできず別の教会で亡くなったはずだ。
出来ることなら、彼の望んだ教会に安置しておくのが人としての行動だと思う。
(トマスもきっと思い入れのある場所で最期を迎えたかったんだろうなぁ……瓶の中に彼が遺した直筆の紙まで同封しているのは、トマス本人の遺骨であるという証明でもあるし、出来ることなら彼が最期を迎えたいと願った教会で、返してあげたいと思うのが故人を労わることに繋がるし……)
まず魂だけでも故郷に帰らせることを願う事が大事だ。
そしてその人の骨が残っているなら、可能な限り故郷や遺族の元に返してあげたいと思うのが日本人の一般的な感覚だと思う。
太平洋戦争中に沖縄や硫黄島をはじめとする島々で戦死した日本人兵士の戦没者遺骨収集事業や、東日本大震災によって地震や津波で亡くなった人の遺骨捜索を積極的にやるのも、こうした遺骨を丁重に扱うことが死者への弔いを行う上で重要だと考える思想が根強く残っている証明でもある。
(とはいえだ……問題は、こうした遺骨を保護する法律がちゃんと整備しないと盗難被害に遭ったりするからな……一番酷いのは戦争中や革命後に墓が掘り起こされて遺体や遺骨が破壊されるケースだ。これに関してはマジで亡くなった人への最大の侮辱も孕んでいるからね……)
それでも、憎い敵や民族の英雄に関しては死んだあとでも徹底的に死体を晒上げたりする行為は世界的にも見られる行為であった。
特に敵対した人物や自分達の思想と相反する偉人の亡骸が安置されている墓地などを破壊したりすることが正当化されていた事もあり、第二次世界大戦中にもそうした行為があったとニュースで見たことがある。
死んだあとにさらに身体をバラバラに切り刻まれたり、中には王族の遺体を墓からさらけ出した上で、遺体を剣で突き刺したり、油などを蒔いて燃やしたりと、徹底した損壊行為を行った事例もある。
フランス革命時にも王族関係者の遺体が持ち運ばれて損壊を受けた後、所在不明になった事例もあるので、これは我が国にとっても他人事ではない。
(しかし、テレーズの言っていることもある意味では正しいし、万が一に備える必要性も生じているのも分かるからなぁ……今後の戦争がどうなるか……)
今、カリブ海戦争は終盤に差し掛かっており、もうじきカプ=フランセの解放も行われるだろう。
プロイセン王国や神聖ロシア神国への対応などもしていかなければならないが、北米連合との戦争は終結に向かっているはずだ。
あの広大な新大陸で本土決戦を行う事態になれば、それこそフランスの経済も軍事も疲弊してそれどころではなくなってしまう。
トマスが望んでいた教会への安置。
それからこの人骨は然るべき場所に返した上で、彼の名誉を守るために行動したほうがいいだろう。
ただ、それではテレーズのアドバイスを無視した形になってしまうので、彼女と話をして折り合いを付ける必要がある。
テュイルリー宮殿の庭園で二人で歩き、庭園の中に設置されたテーブルに対面で対話できる場所を作った上で、係の者にブラックコーヒーと紅茶を持ってくるように頼んで人払いを行う。
「テレーズ、この聖遺物についてなんだが……俺としてはこの聖遺物はトマスが望んだ場所に返してあげたいと思うんだ」
「あら……では、教会に返すのですか?」
「……トマスは自分が最期を迎えたいと思っていた教会に行くことが叶わなかったんだ。彼もそれが無念だったと思う。彼の歩んできた人生を考えると、彼が最期を迎えたかった教会に遺骨を返しておくのがいいと思うんだ」
俺はテレーズに自分の意見を謙遜なく述べた。
テレーズのことを否定するわけじゃない。
テレーズが述べていたように、万が一亡命時に聖遺物を持っているということだけでメリットになることも付け加えた。
「テレーズの言いたいことも分かるし、この聖遺物が持っている重要性も理解しているよ。これがあれば万が一の時に役に立つ……それは事実だ」
「……お父様は本当にお優しいのですね……」
「ああ、すまん……でも、やっぱりその人が歩んできた歴史や、事情を知ってしまうとな……テレーズの言っていることも正しいし、そうした備えをしておくことは大切なことだよ。それは忘れてはならない事だと思っている。だから父親としては娘の意見も取り入れた上で、この聖遺物の代わりになるものを万が一の時に持ち運べるようにしておくようにしておくよ」
「分かりましたわ……お父様がそうおっしゃるのであれば、私は何も言いませんわ」
テレーズに説明すると、少し引っかかったような感じでうなづいていた。
すまんテレーズ。
流石にこうした代物は故人が望んだ場所に返してあげるのがいい。
俺もこうしてテーブルに座っている時も考えたのだが、やはり彼が最期を迎えたかった教会に返還し、彼に見合う墓ないし聖遺物を保管できる部屋を確保したほうがいい。
「お待たせいたしました。ブラックコーヒーと紅茶になります」
「ありがとう、そこに置いてもらえるか?」
係の者に頼んでいたブラックコーヒーと紅茶が届いた。
俺はブラックコーヒーを、テレーズは紅茶を飲む。
マグカップの中に揺らいでいるブラックコーヒー……。
こうして飲んでみると今日は味が重く、苦いな……。
庭園で飲むブラックコーヒーの味は、普段飲んでいる時よりも一段と苦みが強い気がした。




