450:ローゼンクロイツァー
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1783年4月19日
プロイセン王国 サンスーシ宮殿
ヨーロッパに春が訪れる。
気温も10度を上回り、ポカポカとした陽気に包まれていた。
サンスーシ宮殿の庭先でも、小さい虫たちが外気の暖かさに気が付いて飛び回っている。
生い茂る青い芝生の上に、一人の老人が肘掛け椅子に座ってぼんやりと眺めながら、白髪交じりの髪の毛を少し弄っている。
彼こそはフリードリヒ2世。
学問や芸術に優れていただけでなく、国内外の政治・外交手腕も優れていたことから万能と呼ぶに相応しい人物であり、フリードリヒ大王という尊称が与えられている程の人物だ。
今では、甥のヴェルヘルム2世が年老いたフリードリヒ2世に政治の大部分を代わっているが、未だにフリードリヒ2世自身の発言権は保持されているので、実質的に今のところはまだヴェルヘルム2世はフリードリヒ2世の指示に一応は従っているという報告をフリードリヒ2世は受けていた……。
「おお、お腹が空いたのか……どれ、サラミでも食べるか……」
愛犬のグレイハウンド達がフリードリヒ2世の足元にやってきて、くぅーんと鳴いている。
お腹が空いたのだと理解したフリードリヒ2世は傍に置かれているテーブルからサラミが盛りつけられた皿を犬たちの前に置いた。
サラミをペロペロと舐めながら食べている犬たちの頭をシワシワの手で撫でながら、フリードリヒ2世はこれからの行く末を嘆いていた。
「余も歳じゃ……まったく……あともう少し若ければ何とかなったかもしれんがの……」
年老いていてもなお、その明晰な頭脳は健在であったが、加齢に伴う体力の衰えには逆らえなかった。
彼に付き従っていた側近や、彼が愛したバロック音楽の巨匠である大バッハは既にこの世にはいない。
大半はあまり好きになれない女好きの甥に付き従う者達によって、宮殿を支配されているのだ。
名目上はフリードリヒ2世の指示に従っているという報告を受けているが、実際にはその指示の大部分が無視されており、今ではプロイセン王国各地に中国の万里の長城に匹敵するような城壁が築き上げられている事は知っている。
「……じゃが、もはや世界は制御が効かない暴れ馬のように駆け巡ってしまっている。ロシアは三分裂し、グレートブリテン王国は崩壊し、新大陸では企業が国を制してしまった……余が10年前に戻って、世界がこうなってしまうぞと警告しても、誰も信じないじゃろうな……」
フリードリヒ2世ですら、この世界情勢が複雑怪奇すぎて嘆くほどであった。
おまけに、甥のヴェルヘルム2世に至っては薔薇十字団という神秘主義団体との付き合いが深く、今年の初めにはついに、その団体のトップの人間を政治顧問に受け入れてしまっているのだ。
その人物がアレッサンドロ・デイ・カリオストロであった。
元々彼は詐欺師として身分や階級を偽ってヨーロッパ各地の社交界を練り歩いて薔薇十字団のメンバーだと自称していたのだ。
それなりの知識人が多くいる社交界で、自分のついた嘘をそれっぽく真実味を帯びているように、話を作ることを要求されたために、皮肉なことに自然と知識を身につけることになったのだ。
史実では欧州各地で詐欺行為を繰り返したことで彼の悪行がヨーロッパ全土に知れ渡り、最終的には刑務所で獄中死を遂げる因果応報の末路を遂げた。
そんなカリオストロの運命が大きく変わったのはグレートブリテン王国内戦であった。
内戦では少なくないイギリス人がプロイセン王国に亡命しており、その中でも比較的裕福な貴族・富裕層の平民たちは多くの金品などを亡命時に持ち込んでいたのだ。
亡命者の多くは貧しい避難民の平民よりも金を持っている為、大きな金が動いていることをすぐに察したカリオストロは、これらの亡命者向けに事業を立ち上げる。
それは不動産事業であり亡命者向けの荘園や住宅を貸し出し、支払いの債務不履行が起これば即座に差し押さえを行って資金を回収するというあくどい不動産事業を展開していたのだ。
しかし、流石にあくどい事をしていれば噂が立つのも速い。
2年ほどで行政や司法にカリオストロの行っている事業への苦情や不当性を訴える人間が相次いだことで、行政からカリオストロは厳重注意と超過分の資金を没収されてしまう。
不動産の経営が行き詰まり、不動産を畳んで残った資金でブリュッセルにでも行こうかとしたときであった。
亡命したグレートブリテン王国出身の技術者から差し押さえた蒸気機関を取り扱ったことで彼の運命は大きく変わる。
行政執行官も、この蒸気機関については「よく分からない機械」として差し押さえをしなかったのだ。
そのことに目を付けたカリオストロにある閃きが生まれたのだ。
「まてよ……これを使って錬金術師になれるんじゃないかな?まだまだ普及していないから、無知に付け込んで商売をすればいいじゃないか!」
だが、詐欺を実行するには蒸気機関の仕組みを理解しなければならなかったのだ。
下手に仕組みに詳しい科学などを学んでいる者から指摘された場合に、自身の虚偽報告が発覚してしまうためだ。
今度は発覚されないように詳しく学んでおこうとしたカリオストロは蒸気機関の仕組みを学び、蒸気機関を売った技術者に、共同の事業を行うことを提案したのだ。
それが蒸気機関の製造・販売と、専用の部品を取り扱う会社であった。
当初は詐欺を行うためにやった事業であったが、次第に新たな富を生み出す装置であることを見抜いて、操業資金をかき集めて次々と事業に投資し、急速な勢いで拡大した結果、プロイセン王国内で蒸気機関の製造シェアを独占してしまう。
やがて、蒸気機関による鉱山採掘現場への輸出で莫大な富を築いたカリオストロは薔薇十字団に加入した際に、蒸気機関を使って様々な錬金術を行うことにしたのだ。
それはカリオストロは神秘主義の可能性と錬金術を具体的な数式で解き明かす「科学」との融合を薔薇十字団の中で語り始めた。
蒸気機関がいずれすべての作業を置き換える革新的な機関であると同時に、プロイセン王国を活性化させる切り札ともいえる存在になると科学的知識をふんだんに使ってその重要性を説いたのだ。
卓越した話術によって周囲の人間を言いくるめて、カリオストロは十字団の中でも誉れ高い「名誉騎士」という地位を確立した。
さらに自身が詐欺師とはいえ、貴族や地方の有力者から巻き上げた金銭などを孤児院や修道院に寄付したり、社会貢献活動への積極的な呼びかけを行うことで「聡明で人徳深いカリオストロ」という名が付けられるほどであった。
カリオストロはのし上がりたいという想いで詐欺まがいの行為をしながらも、地位を登り詰めたのだ。
表社会でも、裏社会でも……カリオストロは猛烈な出世道を歩み、1782年には薔薇十字団の団長に登り詰めて、王族であったヴェルヘルム2世との出会いによって、彼は金銭だけでなく政治的権力の確立に成功してしまったのだ。
カリオストロの前歴などを見ても不明な点が多く、彼に妄信しているヴェルヘルム2世に至っては、プロイセン全土を要塞化して外敵からの侵入阻止を訴えている。
そんな甥を見ているフリードリヒ2世は嘆いた。
「……どの道、余がいなくなった後のプロイセンは長続きはせんよ……一体どれだけ金が掛かっていることやら……」
サンスーシー宮殿を取り囲むように築き上げられた城砦。
何層にも渡ってプロイセン王国中に張り巡らされた城砦が破られる気配はない。
ただ、職人たちが黙々と石材から切り落とした石を積み上げている。
全国土の要塞化を行い、その為にヴェルヘルム2世は邁進している。
今も、空に浮かんでいる雲にも届きそうな高さになりつつある城砦を見て、旧約聖書に登場するバベルの塔に見立てているようにも感じてしまうのだ。
目の前にそびえ立つ城砦を見て、フリードリヒ2世は詩を残した。
「技術と進歩と人間の道徳性は両立しない。むしろ退化するかもしれん……果たしてやり直せるうちに矯正できる人間はどれだけいるのか、世界が業火に焼かれる日まで……気が付くのだろうか?私には分からない……」
フリードリヒの眼に映る光景は、新しく、いびつなプロイセン王国が蒸気機関と神秘主義と融合した社会による進化でもあったのだ。




