425:回復
☆ ☆ ☆
1782年6月23日
フランス王国 ヴェルサイユ宮殿
時計のチクタクという秒針が動く音が聞こえている。
まだ夜中の3時……。
外は暗いし、何よりも巡回任務に当たっている守衛の兵士達が歩く音しか聞こえてこない。
寝静まっている夜だ。
本来であれば寝なければならない。
いや、寝ないといけないのだ。
だけど眠れない。
寝たくても寝れない日々が続いている。
原因はサン=ドマングに侵攻してきた北米連合による完全なる奇襲攻撃であった。
あれのせいで毎日が眠れない日々が続いているのだ。
アントワネットなどに迷惑をかけないように、なるべく寝ているフリをしているが、どうも最近はやっと眠れることが出来たとしても、悪夢にうなされてしまう事が多い。
こんな状況だからというのもあるかもしれないが、悪夢はリアリティー溢れるものが多い。
血塗られて肉が削げ落ちて骸骨になった無名の兵士達が槍や銃剣を付けて俺を殺そうとしたり、武器を持った怒り狂った民衆によって追いかけられたりと……夢の中ではとにかく追いかけられたり、殺されそうになる夢が多いのだ。
全員が怒りと罵声による荒げた声で叫んでいる。
「血塗られた王の旗を掲げよ!」
「王よ!我々はもはやあなたを必要としていない!」
「断罪せよ!斬首せよ!処刑せよ!」
「殺してやる!ここまで何もしなかったお前みたいな国王なんか地獄に堕ちろ!」
「死ね!くそ野郎!」
これだけなら単なる追い詰められている時に見せられている「夢」で終わらせることが出来るだろう。
かの深層心理学の権威であるジークムント・フロイト先生も夢で見せられている光景は自分の深層心理……無意識のうちに秘めている感情や考えなどが集約して見せられる光景っていう説もあるぐらいだ。
ただ、夢の中ではどれもバックコーラス……音楽が流されていた。
その音楽はフランス共和国の国歌であり、全世界の中でもとびっきり物騒な歌詞として有名な「ラ・マルセイエーズ」なんだ。
革命賛美であり、フランス共和国の歌であり、そして王族や貴族たちを抹殺する内容を綴った歌だ。
それが耳の鼓膜の中で大音響で響き渡るような感じに流れているのだ。
とてもじゃないが、夢とはいえ恐ろしくて見ていられない。
大声を出して飛び出しそうになった。
そして、これが現実ではなく夢であったことに安堵して息を漏らす。
ふぅーっ……。
一息ついて隣に寝ているアントワネットの温もりと暖かさを感じながら、自分の異変に嫌でも気がついてしまう。
(まただ……また悪夢ばかり見ているな……)
すでに寝汗も物凄い量をかいている。
夜中に運動をしたのではないかと思うぐらいだ。
汗びっしょり、夜の運動でもこんなに汗を搔くことなんてあまりないのにね……。
とにかく、このまま寝るにしても寝心地は悪くなってしまうだろう。
びっしょりしたままの状態では寝る時にも不快に感じるかもしれないからね。
汗がにじみ出るようにぶわぁーっと全身の毛穴から噴き出ているみたいで本当にマズいと思ったぐらいだ。
まるでシャワーを浴びた直後みたいに全身から汗がにじみ出ていた。
こうなってしまうと、朝になるまでもう眠れない。
(着替えと……少し水でも飲むか……アントワネットを起こさないようにっと……)
自分自身にそう言い聞かせて、アントワネットを起こさないようにそっとベッドを抜け出す。
そして、アントワネットの上に被さっている羽毛布団が落ちないように、抜け出してから戻しておく。
寒くなってお腹を冷やしてしまってはいけない。
精神安定剤でもあれば薬を服用してすぐに落ち着いて眠れることが出来るかもしれない。
けど、残念ながらそんな便利な薬はないので、薬草を使って落ち着かせたりするしかない。
幸いにも、心が安らぎやすいと言われている複数の薬草を乾燥させて粉末化したものを主治医から勧められているので、気休め程度ではあるが飲んでみると少しだけ落ち着くような気がしないでもない。
(何も飲まないよりはマシか……確か薬箱に薬があったな……)
タンスの薬箱を取り出して、粉末化しているハーブを取り出す。
スプーン3杯分を薬包紙の上に置く。
薄っすらと赤い色をしている粉末のもので……味は物凄く苦い。
砂糖を付けくわえることが出来たらどれだけ甘いことやら……。
ただ、もう深夜帯だしこれ以上甘い食べ物を食べるのは身体に悪いのでパスだ。
(これは本当に苦い薬だからなぁ……漢方薬をベースに作ったみたいな事を主治医が言っていたから、きっと漢方薬の文献を読んで研究したのかなぁ……)
現在フランスの医学会では先進的な解剖学を中心に発展しているが、風邪などの薬に漢方薬も効果があるのではないかという理由で、東洋系の学術を研究しているグループが、東洋医学として漢方薬の作り方などをフランス語に翻訳して作っているという。
この薬も恐らくだが、漢方薬の中でも不眠症などに効果のある抑肝散というものらしい。
(インチキ医学よりは漢方薬のほうが効きやすいかもしれないからね……さて、水を注いで飲むか……)
テーブルの上に置かれている冷水がたっぷりと入っている瓶から、グラス一杯分の水を灌ぐ。
こぽこぽこぽと音を立てて水がグラスの中を満たしていく。
透明なグラスに反射するように、蝋燭の炎がゆらりゆらりと震えているようだ。
ワインなら絵面的に様になっているかもしれないが、流石に深夜帯にワインを飲むのは身体に悪いし、夜間はカロリーを極力接種しないほうが健康の為だ。
薬包紙を包んでからグイっと薬を口の中に入れる。
苦みが広がっていくが、一気に水で呑み込んで飲み干していく。
やはり漢方薬ベースの薬ということもあってか、苦みがスゴイ。
グラスの中を空っぽにしてしまう。
あっという間に薬を飲み込めば、もう飲む必要はないからね。
(アントワネットをこれ以上心配をかけさせるようなことはしたくないからね……だから迷惑をかけないようにしなきゃ……一家の大黒柱……いや、今じゃフランス王国の国王としての責務もあるからね……)
もう国王として11年以上国のトップとして上に立っているが、それでもまだまだ学ぶことが多い。
それに夫としての自覚を持って、なるべくアントワネットやテレーズ、ジョセフの家族との過ごす時間を週に最低1日は設けることにしている。
このまま戦争が早期に解決すればいいことに越したことはない。
……もし長期化した場合には、史実のフランス革命が起こったような状況を作り出してしまうだろう。
戦争が長引けば長引く程、経済状況を圧迫するのだ。
史実におけるかの超大国であるアメリカ合衆国ですら、アフガニスタンやイラクでの戦争後に駐留軍の維持費が嵩みすぎて撤退する羽目になったぐらいだ。
(落ち着いて……これは史実ではないんだ……そうだ、俺が改変した歴史……もう知っている歴史書が役に立たないぐらいに変わっている世界なんだ……ルイ16世が変えたことによって引き起こされたもう一つの世界だ……)
今はもう俺だけの問題ではない。
フランス国民の命が俺の行動によって掛かっているのだ。
だから絶対に勝てるように指示を出さないと……身体がどこかで悲鳴を上げていたとしても、俺は王座に座って指示を出さないといけない。
みんなが幸せに暮らせる社会を作る為にも……。
机の上に置かれている蝋燭に火を移してから、椅子に座ってゆっくりと計画を練り始めた……。




