420:深淵
会議は夜9時を回っても続けられている。
こればかりはほったらかしにしていい問題ではないからだ。
前世のブラック企業勤めでも、この時間帯ではまだまだ残業している最中だった。
毎月の残業代をゲーミングパソコンのグラフィックボードやモニター、それに新型CPUを買う資金につぎ込んでいた身としては、閣僚だけではなく夜遅くまで働いている裏方仕事の職員にも毎月残業手当を支給している。
でなければとてもじゃないがやっていけない。
残業をさせるのであれば、それに見合った給料はしっかりと支払うべきだ。
「……少し休憩に致しましょうか……皆さん会議も長引いている事ですし……それに、夕飯もまだ食べていませんから、お食事をしてからにしませんか?」
「そうだな……夜食になってしまうが、食事はしっかりと食べたほうがいいからね……休憩も兼ねて食事にしようと思うが、皆もそれで構わないか?」
「問題ありません」
「ちょうどお腹が空いていたので助かります」
アントワネットが休憩を提案したので、俺は遅くなったが夕飯を頼むことにした。
会議室の空気が一瞬ではあるが、気の張りつめた雰囲気からスッと和らいでいくように感じた。
だれしも気難しく、暗い話題を延々とは聞きたくないものだ。
怠けていてはいけないと無理して気を張り詰めすぎてしまっても身体には毒だ。
適度な休憩が必要だ。
こうして休憩と食事をとって少しでも嫌な気分とは切り離す時間があったほうがいい。
さて料理だが料理総長になるべくあっさりとした料理をお願いした。
今の時間帯は脂っぽい物を食べるのは良くないからね。
夜間に食事をする際には脂っぽいものを食べると太りやすくなるというのは、お腹に体脂肪が残りやすくなるし、血糖値などが上昇するのを繰り返していると血管が傷ついてしまい、それが原因で高血圧や糖尿病といった成人病の発症原因になり得るのだ。
なので、沢山食べるというよりも少量でも味わい深い料理を頼んだというわけだ。
「さぁて、まだまだ寒いからな……カスレを頂こうか……」
料理総長が作ってきたのはフランス南部の郷土料理であり、白インゲン豆を沢山入れて豚肉などを加えた豆の煮込み料理の一種だ。
このカスレの料理の面白いところは、地域によっては鶏肉を入れたりと大きな差異があるのだ。
シチューみたいにスープ状に煮込んだものもあれば、グラタンみたいにドロドロの状態で煮込んでいるものもある。
地域も違えば味も食感も全て違う。
それだけ味わい深い上に、各地の郷土の味が反映されている事が多いのだ。
小麦や砂糖などは入っていないので、血糖値の急激な上昇もないだろう。
遅い夕飯としては体にも優しい料理となっている。
会議室の机の上に敷物を敷いてからカスレが並べられていく。
「ほぉ……カスレですか!」
「ああ、なるべく豆を多めに入れておいたから食べ応えはあるはずだ。アランダ伯爵もこうした豆料理はスペインでも多くあるかね?」
「はい、マドリードでは豆や肉をじっくりと煮込んだコシードという料理があります。煮込んでいるので味も染みわたっていて美味しいですよ」
アランダ伯爵も郷土料理の話が出ると、気難しい雰囲気から一変して懐かしい想いを馳せるように料理に関する話題を取り上げる。
やはり万国共通だが、好きな料理に関しては話が弾むことが多い。
この休憩時間ならではの光景だ。
ホッとした空間が生まれていき、他にも大使や公人などが大臣と話を弾ませている。
本来であればこうした明るい話題で持ち切りになるのがいいのだが……生憎そうはいかないのが残念だ。
熱々のカスレを頂いているが、やはりインゲン豆の弾力と煮込んだことによって噛み応えがある料理となっている。
食感で例えるならグラタンに近い感じだ。
何かとフランスではフランス料理こそが絶品だと語る人も多いらしいが、現代では様々な人種の人たちが流入したことにより、フランス料理もミックス化が進んでいるという。
特に、移民や難民としてアフリカや中東から流入してきた人たちによってアフリカ系の料理や中東料理などが多く入ってきたそうだ。
すでに純粋なフランス料理というのは形を変えつつあるという。
「インゲン豆も味わい深いねぇ……よく煮ているから味が豆全体に染み込んでいる」
「弾力もあってもっちりとした食感ですね!」
「うん、こうして食事を食べれる事が幸せなんだろうね……」
インゲン豆を食べるごとに噛み応えのある味が口の中に広がっていく。
とっても美味しいし、アントワネットと一緒に食べる食事はいつも美味しい。
ただ、水がないと喉を通らない。
いつもと違ってつっかえてしまうのだ。
(これで水のおかわりは3杯目だ……いかんな……食事があまり喉を通らない……)
向こうではこうした食事を取る間もないだろうに……。
そう、海の向こう側ではサン=ドマングの守備隊や郷土防衛隊による決死の抵抗が行われているはずだ。
以前から北米連合などの諸外国が侵攻してきた際の対応マニュアルというのが存在しており、北部の県庁などが占領された場合には山間部や中部地域に拠点を移し、増援が来るまで可能な限り抗戦するようにという内容が指示されている。
サン=ドマングは北アメリカプレートとカリブプレートの境界に位置していることもあり、山脈が多く地震も度々発生している。
それだけに、1000メートル級の山が多くそびえ立っていることでも知られているのだ。
そのため、遅延戦術の一環として、サン=ドマングには沿岸部だけではなく山間部が連なっている関係上、北部を制圧しても南部などを占領できるルートには限りがある。
おまけに、これらの山々を抜ける道は限られている。
ましてや野砲などを牽引するにしても、予め整備された道を使わないと通ることはできない。
特に、南部や中部には山脈が多く連なっていることもあり、主要な道路も数本程度しかない。
つまり、守備側は進軍ルートを予め予測ができるので重点的に守りを固めるのには有利であり、攻撃側は沿岸部を確保したとしても侵攻するルートには山岳地帯が多く点在しており、時間も労力も掛かるのだ。
とはいえ……今この瞬間にも苦しんでいるのは現地の兵士や罪なき一般市民たちだろう。
北米連合は言い掛かりを付けて突然攻撃してきたのだ。
奴隷の一件を考えても、最初からカリブ海地域の併合を目論んだ行動なのは目に見えている。
あれは口実に過ぎないのだ。
サン=ドマングは史実に比べて豊かになった。
俺の知っている歴史では産業基盤を生み出す土壌を育てることが出来なかった。
ハイチ共和国として独立しても周辺国による介入や内戦によって政治・経済基盤は安定しなかった。
それを繰り返すことはさせまいと手塩を掛けて奴隷解放及び、ラム酒製造をはじめとする蒸気機械を使った工場の建設や人材の育成……それまで見向きもされていなかったサン=ドマングのインフラ整備や医療将来独立を果たすとしても、教育と経済基盤をしっかりと足をついていけるようにしてきたんだ。
それまで白人の農園経営者だけが富を得られていた時代から、奴隷から解放された労働者や有色人種でもお金を稼いで勉学を学び、今までよりも豊かな生活が出来る様にしてきたんだ。
黒人でもムラートでも、すべての人が安心して働いて暮らしていけるサン=ドマングの人々が願っていた自由と繁栄を築いてきたんだ……。
それを北米連合はぶち壊したんだ!
俺は、この世界にやってきて初めて相手に対して深い憎しみを覚えた。
心の中でドロッとした沼のような感覚が蠢いている。
許せないという感情と、何としてでもサン=ドマングを守るためにあらゆる行動を取るべきだという衝動が支配していく。
これは戦争だ……。
そう、これこそが戦争なのだ。
食事を何とか食べ終わって会議を再開した際に、俺はある提案を行ったのだ。




