405:別れ
時刻は正午すぎ。
教会の鐘の音が鳴り終わった直後に政府、改革派、各国の要人が集まり、ハウザーの国葬が始まる。
最後の別れということもあってか、やはり大勢の人達がハウザーとの別れを惜しんだ。
政府関係者は勿論の事、国土管理局の職員や改革派に属している議員や科学者、さらにはサルデーニャ王国やオーストリア王国からも王族関係者が出席している程だ。
ハウザーはユダヤ人であったとはいえ、貴族などのように爵位を持っていない平民層であった。
平民にこうした国葬行事を執り行うのはフランス史においても大変珍しいという。
しかし、彼は爵位を持っていなくても大変素晴らしい功績を遺してくれたし、国葬行事を執り行うだけの影響力を持っていたのも事実。
できる事なら彼の偉業などを大々的に紹介してあげたいが、国の裏方事情まで発表してしまうと不味いので、彼の行った国家規模での改革や、その裏で行われた非合法的な手段による解決方法などは最低1世紀以上封印することを決定し、彼に関する詳しい詳細内容を記した文章は早くても西暦1881年に公開するように指示を出した。
これには諸事情があり、まず周辺国の情勢が安定していない事に由来している。
旧皇帝派と手を組んで東欧諸国と同盟を締結しているプロイセン王国に領邦、そして新興宗教が国を乗っ取った救世ロシア神国の影響が強い。
これらの情勢の中でハウザーが国の中枢に深く関与していましたと公言しようものなら、外交上の攻撃材料として取り上げられることになるだろう。
そうした事情もあって、彼の詳細な情報を記録したプロファイルデータは複雑なネジ細工を施し、この時代では最もセキュリティ対策が高い二重、三重の複雑な鋼鉄製の金庫に保管された。
国葬を執り行う改革派の人達の間では、今後の国家運営をどうするのか語り合う場面も見られた。
「それにしてもハウザーさんがお亡くなりになってしまうとはな……」
「ああ、あの人がいなくなってしまったのは寂しいよ。階級だけでなく、人種が違っていても平等に接して下さっていた。我々にとってもあの人を失ったのは余りにも大きい損失だよ」
「とはいえだ……改革派がここで立ち止まっていてはならない。ハウザー氏が陛下と共に目指していたフランスの未来を共に築いていかねばならん」
「そうですね……フランスだけではなく、オーストリアやサルデーニャ、スペインやポルトガルからも要人の方々が参列していますからね……今後はこうした西欧の国々と共に関係を維持していくのが最適かと……」
「それにしても参列者もスゴイ面子ですね……トスカーナ大公にフェルディナンド4世、それに大臣も出席しておりますよ」
国葬に参加していた要人でも、驚いたのは参列した人達の面子だろう。
その参列者のうち、テレジア女大公陛下の血を引いているアントワネットの兄弟姉妹が国葬の場で軽く挨拶を交わしただけでも4人いるのだ。
まず、テレジア女大公陛下から愛されていて母親と同じように恋愛結婚を果たしたマリア・クリスティーナ。
婚約相手はアルベルト・カジミールという人物であり、兄弟が多く領地などを貰える立場ではなかったが、運よく王女と結婚したことによりテレジア女大公からチェシン公国の領地をプレゼントされた幸運な人物でもある。
「あら、ごきげんよう……」
ただし、あまり兄弟仲は良く無かったようでアントワネットも挨拶を交わしたが、他の兄弟姉妹に比べても素っ気ない対応であった。
気になって伺った所、何でもかんでも「私はお母様に一番愛されていましてよ!」と兄弟姉妹で自慢しまくったりと煽っていたらしい。
そりゃ嫌われるよね……。
次に会ったのはトスカーナ大公ことレオポルト2世である。
以前にも話をしたことはあったが、今現在ではトスカーナ大公には北イタリアの工業化に邁進しているらしく、イタリアの工業化を加速させているらしい。
ハウザーの国葬が終わり次第、レオポルト2世とも会談を行う予定だ。
そしてアントワネットが久しぶりに会った人物の中でも一番会いたかった人物にも会えたようだ。
「……カロリーナお姉様!」
「久しぶりねアントワネット……元気そうで何よりだわ」
「ええ、手紙でしかやり取りできませんでしたから……本当に今日はよくお越し下さいました……」
「フランスを陛下と共に立て直した立役者の方ですもの……その人に対しては敬意を持って国葬に参列するのが勤めです……また後でじっくりと話しましょう」
「ええ、お姉様もお気を付けて……」
カロリーナこと、マリア・カロリーナはアントワネットが兄弟姉妹の中でも一番仲の良かった人物である。
彼女は本来であればルイ16世に嫁ぐ予定であったらしいが、姉のヨーゼファが天然痘で亡くなってしまったことにより、急遽両シチリア王国に嫁いで行ったのだ。
史実では戦争等に巻き込まれた結果、精神的に不安定になってアヘンを常用してしまい、最終的には息子によって追放されるという憂いな目に遭っている人だ。
こうして国葬とはいえ、仲の良かった姉妹に会えたのは幸運だったのかもしれない。
この国葬行事が終わってから、アントワネットとカロリーナは久しぶりに直接会って話をするという……。
1767年に嫁いでしまってから、実に14年ぶりの再会だ。
こうして二人が再会することになった機会は滅多にない。
ハウザーが最後にその機会を作ってくれたのであれば、彼には本当に感謝しないと……。
そして今回驚いたのは国葬にアントワネットの弟であり兄弟の中でも末っ子のマクシミリアン・フランツがオーストリア代表として参列していた点だ。
史実ではケルンの大司教に就いている筈なのだが、どうやらブルボンの改革によって運命が大きく変わったらしい。
司教ではなく、ウィーン改革を行う上で必要な行政執行などを担当する行政庁の大臣にヨーゼフ陛下から任命されたようだ。
その行政庁もハウザーによってアドバイスがもたらされて作られたようなので、その恩も含めて王族兼大臣として参列したという。
これからも大勢の平民層を取り入れた上で、功績などを遺した者については国葬などを行えるようになるだろう。
ハウザーは平民層としてはこのフランス史において最初に国葬された人物となったはずだ。
周辺国からしたら「やはりハウザー氏が国王と密接な関係だったのか……」と囁かれているようだが、実際に国の中枢において深いところまで潜っていたのも事実だ。
後世の歴史ミステリー小説で彼がどんな扱いを受けるのかは判らないけどね。
とにかく、これで貴族や王族でなくても歴史に深く名前を刻むことができることが証明されたのは良いことだと思う。
貴族だから、聖職者だから、王族だからという理由ですべての人間が優秀になるわけではない。
むしろ悪役令嬢とか悪徳貴族、暗君、暴君という言葉があるように、身分や地位、階級などが高い人物であっても性格が悪かったり、人を平気で殺害するような奴は大勢いる。
アフリカの富を得るために現地住民にゴムの生産ノルマを決めて、ノルマが達成出来なければ手足を切り落とすというブラック企業もビックリの制裁を加えて、有色人種への差別が当たり前であった時代ですら、国内外から非難される程の悪行を働いたベルギーのレオポルト2世。
処女の血を浴びれば若返るという現代科学では真向に否定されているような話を本気になって信じて、農奴や貴族の少女の性器部分を切り落として食べたとも伝えられているエリザベート・バートリ。
ジャンヌダルクの死後に精神異常を起こして大勢の美少年に暴行と加虐を加えた後に殺害を繰り返したジル・ド・レ辺りが有名だろう。
名だたる王族や貴族であってもそうしたおかしい人物は一定数生まれてしまうのだ。
そうした人物が権力を振りかざして暴力を起こさない社会を作ることが重要なのだ。
その為にブルボンの改革を実行した。
改革の際に、もしハウザーが参加していなかったらこの改革は10年……いや20年は遅れてしまってフランス革命に間に合わなかったかもしれない。
彼のバックアップによって行うことが出来たフランスの文化や経済を含めたブルボンの改革は、後世においてハウザーの協力なしでは成し得ることはできなかった。
そうした功績に関しては大々的に宣伝し、国王の補佐を行い大義を果たした人物として死後になってしまったが、彼に「ブルボン・ソレイユ」勲章を授与したのも、功績を忘れさせないためだ。
(いずれはハウザーの名前を模した勲章や賞などを定めておこう……彼の功績はどんな形であれ遺しておかないと……)
まさにこの国葬行事は壮大なものになっている。
彼がこの世を去っても名前はフランスの歴史が続く限り、深く記されるだろう。
ハウザー……遺してくれた情報やノウハウはフランスの礎として伝播していくように俺は勅命を使ってでも後世に伝えていく。
だから今はゆっくりと休んでほしい。
そう願いながら俺は国葬に参列し、ハウザーに別れの言葉を述べてから最後の別れを惜しんだ。




