401:落命
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1781年8月11日
フランス パリ
ルイ16世の側近として手腕を振るっていた元宮廷商人のハウザーが天然痘に罹患して亡くなってから二週間が経過した。
主にユダヤ人やユダヤ系をルーツに持っている人々は、自分達の生活だけでなく、地位や名誉を保護するために奔走した偉人を亡くしたショックからようやく立ち直ろうとしていたのだ。
「偉大な人だったねぇ……商人からここまで上り詰めるなんてねぇ……」
「彼と陛下のお力添えがあってこそ、我々ユダヤ人は自由に移動ができるようになったからな……彼無しでは成し得なかったことだよ」
「全くだ。ネッケルさんと一緒に金融緩和政策や融資法案を制定してくれたお陰で、堂々と店をパリに構えることが出来たんだから……本当にあの人には感謝しないとな……」
「ハウザーさんの名前を模した銅像と一緒に高層住宅を作るんだって?」
「ああ、パリ市内で3か所つくるらしい。ハウザーさんの故郷オーストリアのインスブルックにも銅像と多額の寄付金が贈られるそうだ」
以前までヨーロッパの中でも除け者扱いをされており、大半のユダヤ人は移動の自由、学問の自由、信仰の自由が制限されたゲットーでの生活を余儀なくされていた。
それをルイ16世の【ユダヤ人並びにユグノーの人々への寛容令】と共にそうした制約が撤廃されて、フランス国内では自由に行動することが許されたのだ。
これもまたハウザーからのアドバイスもあるが、ルイ16世が転生者だったこともあり、転生前に習った歴史でヨーロッパ全域で冷遇されていた彼らを保護し、そのコミュニティーにおける情報網や資金力を活かそうと思ったからでもある。
互いの利害関係が一致したことにより、ユダヤ人やユダヤ系の者、そしてユグノー派の者達は帰化を許されてフランスに多く流入した。
人員だけではなく、情報や金も入り込んだ。
結果的に、彼らの保護をキッチリとしたことで多くの賛同者を得る事に成功したのだ。
これは17世紀中期ごろから停滞していたフランス経済を動かす上で欠かせない潤滑油となった。
その一方で、ヨーロッパを取り巻く情勢はきな臭いものとなっていた。
「それにしても……プロイセン王国や領邦、ロシアといいきな臭い話題ばかりだ。今度の戦争が起こったらかなりややこしいことになるんだろう?」
「ロシアは三つ巴の内戦中だしな。プロイセン王国は閉鎖的になって城砦都市国家を築き上げているみたいだし、北米連合に至っては戦争に備えてアフリカから今年だけで数十万人単位の奴隷を運んできているらしいぞ」
「おいおい、もうヨーロッパでは奴隷制廃止にしているだろ。なんでまたそんなに多くの奴隷を必要としているんだ?」
「新大陸動乱の影響でヨーロッパから人が来なくなったんだよ。おまけにアフリカ大陸では干ばつも酷かったみたいだしな……労働力を確保するためだろう。おまけに北米連合と取引しているアフリカの国々は、より強い奴隷を販売するために北米連合で作られた武器を使って他国と戦争して人さらいを積極的にしているそうだ」
ヨーロッパにおいて、プロイセン王国が孤立しつつあった。
グレートブリテン王国内戦後に、国威を示すためにグレートブリテン王国が保有していたカリブ諸島の割譲を行ったものの、いざ統治する段階で反プロイセン王国派に属している現地のグレートブリテン王国軍が武装解除命令に従わず、逆にプロイセン王国の武装商船に対して大砲を撃って追い払う始末であった。
スウェーデン、フランス、オーストリア、クラクフの四ヶ国がプロイセン王国に対して非難声明を発表し、周辺国もプロイセン王国の強引なやり方に反発し、プロイセン包囲網と呼ばれる外交的包囲が完成しつつあった。
プロイセン王国は全国土の城砦化を決定し、ヨーロッパのありとあらゆる石材を買い占めて城壁を築き上げた。
それは領邦に属している小国まで及んでおり、プロイセン王国並びに領邦一帯は城砦国家と称されるに至った。
そして北米連合に関しては北米複合産業共同体なる会社が権力を確保しており、ニューヨークやボストン周辺はすでにこの会社による勢力圏として出来上がりつつある。
北米連合はかの会社に対して『土地を貸している』状態であり、実質的な統治などはすでに北米複合産業共同体によって為されているのだ。
その北米複合産業共同体の会社では不足しているものがある。
それが人だ。
新大陸動乱やそれに伴う戦争によって北米における旧植民地の人口は大幅に減少した。
特にグレートブリテン王国と関わりの深かった人間を民間人が憎しみだけで殺しまくった結果、グレートブリテン王国で名高かった貴族の分家が丸ごと滅ぶという族滅が頻発したのだ。
「……北米連合の連中がグレートブリテン王国出身の貴族連中や企業家を殺しまくったからなぁ……転身した人間を除いて皆殺しだったらしいぞ」
「皆殺しか……俺も新聞で読んだことがあるぞ。グレートブリテン王国軍の兵士が酷い殺され方をしたってね、民兵に捕まった連中はまだ助命されたけど、一般人に捕まった兵士はボロ雑巾のように嬲り殺しにされて吊るされたそうだぞ……」
「今まで植民地だからって威張って暴行や傷害事件を起こしてもお咎めなしだったもんな。それが一斉に大陸に広がったから殺されるのも無理ないよ」
「それでも、民間人が多く殺されたせいで人手が圧倒的に足りないらしくてな。経済を回すために奴隷制を容認して安価な労働力として動かしているみたいだ……南部は綿花や小麦、北部は工場や林業を中心に奴隷を使って開拓しているんだと」
彼らのアイデンティティーは「反グレートブリテン王国」であり、離反を宣言したり北米連合に忠誠を誓った者以外は人間ではなくなった。
史実でのボストン茶会事件ではボストンの港が投げ出された紅茶で茶色に染まったとされているが、こちらの世界ではグレートブリテン王国の市民や貴族階級の者が捕らえられて即席裁判により、有罪とされた者達の首が切り落とされてボストンの港は血で染まったのだ。
余りにも死体を投げ込み過ぎたせいで一部の港では大量に投げ込まれた死体が腐敗し、腐敗に生じるガスによって海面に浮かんで航路の邪魔になる程であった。
結果、ヨーロッパで新大陸動乱での悲惨な内容が伝わり、北米連合に向かう者は激減した。
唯一交流のある独立したばかりのアイルランド共和国政府はアイルランド人の移民を定期的に行っているが、それでも北部を中心に人手不足に陥ったのだ。
人手が足りないと工業製品を生産できないばかりか、経済の停滞が加速してしまう。
ジョージ・ワシントンをはじめとする北米連合の政府首班は、この人手不足を補うために西アフリカを中心に奴隷貿易で財を成しているアフリカ諸国に奴隷をもっと多く輸出するように促した。
アフリカ諸国も部族闘争によって多くの奴隷を有しており、余過剰になっていた奴隷の輸出を行っていたのだ。
他の部族を征服するためには武器が必要であった。
北米連合は製造された銃や大砲をこうした奴隷貿易を行っているアフリカ諸国に売りさばくと同時に、奴隷を格安で仕入れていたのだ。
奴隷の数は公的な資料だけで北米連合の誕生から3年間の間に50万人以上が送られており、このうち30万人が南部の綿花やお茶のプランテーション農園に導入されて、即席労働力として重宝された。
残りの20万人は社会の動力源として建築や道路敷設などのインフラ事業で替えが効く労働戦力として従事した。
こうした情勢もあってか、北米は急速な発展を遂げているのだ。
町には多くの建物が立ち並び、農場や牧場、林業なども急速に支配地域と道路整備の拡大が進められていた。
これらの急速な発展と経済成長は北米連合と北米複合産業共同体による功績として『レジェンド・オブ・アメリカ』と呼ばれる程であった。
しかし、その発展の裏には奴隷として連れてこられた者達がひたすら朝から晩まで働き、自由とは程遠い生活を強いられている中で成り立っていたのだ。
それに対して同じくアイルランドから移民してきた者達は、反グレートブリテン王国派が大多数を占めていたこともあり、彼らは平等な市民として温かく迎え入れられたのであった。




