400:さらば
……。
ハウザーは遠い場所に旅立ってしまった。
まだまだ人生これからだと思っていたが、彼の生命時計は永遠に停止した。
生きとし生ける者……すべてに寿命はある。
彼が亡くなったという報告を受けて、俺は手に持っていたフォークを落としてしまった。
「そうか……ハウザーが亡くなったのか……」
「はい、意識が回復しないまま病室で息を引き取ったそうです……」
「……分かった。報告御苦労。彼の葬儀については国葬という形を持って行うことにしよう。閣僚達にもそのことを伝達しておいてほしい」
「畏まりました……」
報告をしてきた職員の目も潤んでいたので、彼もハウザーから直々に教えなどを貰っていたのだろう。
ユダヤ人である彼にとって、俺の寛容令などを含めた先進的な政策は僥倖であっただろう。
進んで問題解決に取り組んでくれたし、何よりもこの時代に蔓延していた人々の意識を良いものに変えることができたのだから。
彼なくして改革は成功しなかっただろう。
史実では歴史書にも描かれなかった埋もれていた人材。
その人材によって歴史が大きく変わったのだ。
宮廷商人から国の諜報機関創設に関わった謎の商人として、後世のドラマや映画で語り継がれる存在になるだろう。
彼の功績はしっかりと語り継いでおかないといけない。
こういう時って歴史家や作家に頼んで伝記を作ってもらったほうがいいか……。
史実みたいにルイ16世やアントワネットみたいにフランス革命によってマイナスのイメージがついてしまうと評価の見直しや、再評価がされるまでに数百年掛かるし……。
人の功績より悪名のほうが残りやすいのは現代でも同じだしな……。
「ハウザー氏が亡くなったのですね……」
「うん、意識は回復しなかったみたいだが……せめて苦しまずに亡くなったのであればそれは幸いなことだよ……」
「そう……ですわね……」
「ルイ15世の時は傷が悪化してそのまま壊死とか進んだ状態にまで進行したからね……生きながら身体が腐っていくのは本人も苦しみが強く残りきついだろう……」
ルイ15世の臨終の前に、俺とアントワネットは二人で面会した。
あの時は死臭まではいかないにしろ、身体が部分的に壊死状態を起こしていたと医師から告げられている。
最後の公的な謁見であったが、あの時ルイ15世が伝えたことは守り通している。
ハウザーもフランスの強靭化を行う上で欠かせない経済改革を成功させている功績を作り上げてくれた。
あとは、この遺産をしっかりと相続させることが重要だ。
「俺たちがハウザーの跡を相続しないとね……ハウザーがやってくれた事の功績は大きい……特にユダヤ人や混血の人達がフランスで活躍している事実も踏まえて、しっかりと記録として残しておこう」
「そうですね……ハウザー氏がいなかったら国土管理局の設置も出来ませんでしたからね……」
「何よりも宮廷商人だったことで、色んなところに人脈がある人物だったからね……国土管理局を設置する際にも調整なんかはすべて彼が行ってくれたからね……財務長官のネッケルとも交流があったから、彼の手腕を大いに奮うことができたのは大きい」
思い返せば、国土管理局の設置に必要な人材や資金の一部などもハウザーが用意してくれたんだよね。
同じユダヤ人コミュニティーや各国の宮廷に仕えている商人や金融関係者に、フランスでユダヤ人やユダヤ系の人々への寛容令を発令すると宣伝してくれたお陰で大勢の人たちから寄付や出資が募ることが出来たのだ。
彼がいなかったら資金集めに苦労していただろう。
まさに、今の俺たちの生活が成り立っているのはハウザーの功績が大きい。
ユダヤ人や系列のコミュニティと関わりを持っていたからこそ、金融投資なども加速していった。
彼なくして改革派の勝利なし。
本当に惜しい人を亡くしてしまった……。
「……テレーズにも話しておこう。あの子にも彼の実績を語り継いでおかないと……」
「テレーズにですか?」
「ああ、あの子は賢い子だからね……立派な女性として手腕を奮ってくれる素質を持っているよ。テレーズには王族として話を聞いてもらう必要があるからね……ちょっとテレーズと話してくるよ」
アントワネットにテレーズの元に行ってくると告げてから部屋を出る。
テレーズの部屋の前に立っている守衛の者に、国王がテレーズと話があるので本人にドアを開けてもらいたいとする旨を伝えて、開錠の許可を待つ。
部屋の内側からガチャリと開錠する音が鳴り、テレーズが姿を現した。
上着を羽織っているが、パジャマ姿の彼女はすぐに俺を部屋に入れてくれた。
(ほう……やはり前世の記憶を持っているということもあってか、本人の趣味が反映されているレイアウトだな……)
テレーズの部屋は7歳の女の子の部屋としては、少々大人びた趣味をしていた痕跡が見受けられる。
押し花もあるし、バイオリンと楽譜が置かれていたりもしている。
史実の彼女は王族らしい優雅な生活とはかけ離れた波乱万丈の人生を送ったこともあり、少女らしい事は出来なかったと語っていた。
それ故に、その時に出来なかったことを今行っているのだろう。
丁度ブリジットもいたので、彼女には少し部屋から退席をお願いしてもらってからテレーズと話を始めた。
「お父様がお部屋にやってくるなんて珍しいですわね……緊急の案件でもあったのですか?」
「先程ハウザーが天然痘に罹患して亡くなった……テレーズにも関係のある話だ」
「ハウザーさんって……お父様がお雇いをしていた宮廷商人の方ですか?」
「ああ、ハウザーは革命を起こさないように各方面に手回しをしてくれていた人なんだ。11年前に彼を雇って革命阻止に向けた本格的な行動を行っていたんだよ」
「えっ、そ、そうなのですか?!」
テレーズは目を丸くして驚いていた。
革命阻止の為に使えるものは何でも使う。
実際にハウザーの手腕があってこそ、財務長官のネッケルやユダヤ系の資本から資金援助などを受けることができたのだ。
現在のフランスの経済状況が大幅に改善できたのも彼が根回しをしてくれたお陰だと告げると、テレーズは納得した様子であったが、少々寂しそうな顔をしていた。
「革命を阻止するために……お父様は随分と前から行動していたのですね……」
「ああ、ただ俺一人ではどうしようもなかった。権力もあるが次期国王という地位だけで、金も人脈も無かった……それをハウザーが手伝ってくれたお陰で今の王室が……ひいてはフランスが存在しているんだ。彼なくして改革は出来なかった。だからテレーズ、そのことはしっかりと覚えておいて欲しい」
「はい……分かりましたわ……お父様、決して無理はいけませんよ?」
「ああ、分かっているさ……無理だけはしない。母さんとも決めたからね……それじゃあおやすみ。ゆっくり休むんだよ」
テレーズには伝えるべき情報は伝えた。
史実では宮廷商人として出入りしていた一人の商人であった彼が、国の中枢に関わる仕事を大任されるまでに至る経緯などは当面の間は機密情報となるだろう。
テレーズは史実のフランス革命を知っているからこそ、彼の功績が理解できるはずだ。
(さて、これからが忙しくなるぞ……デオンに国土管理局の後任をお願いすると同時にハウザーがやっていた仕事も数日以内に引継ぎをしなければならないからね……)
悲劇を繰り返さないために……フランスをより良い国家にするために……ハウザーの遺志を継いでフランスを導いてくれる存在はこれからも必要不可欠だ。
いつまでも悲しんでばかりではいられない。
ここで止まるんじゃない、馬のように駆け巡ってさらにその先を突き進む必要がある。
ヴェルサイユ宮殿の通路を歩く俺の足音はいつもより力強く鳴らしていた。