386:尊王論
尊王論が江戸時代にはすでにあったことに驚いたので初投稿です
蒸気機関の無償貸出。
他の国に比べたら大判振る舞いだろう。
ヨーロッパ地域に蒸気機関を輸出する際には関税などをかけて輸出している。
勿論設定を高すぎにしてしまうとだれも買わないので、良心的な値段で諸外国の蒸気機関を圧倒している。
この世界において、蒸気機関製造に関してはすでにフランスが間違いなく世界一の製造量を有している。
国営企業による生産、ジェームズ・ワット氏が総監督という立場で国営企業に特許権などを渡してくれたこともあり、蒸気機関を作れば作る程税金等が入ってくる仕組みだ。
ネーデルラントやスペインに貸出する場合には15パーセントに当たる一基2000リーブルで供与しており、最新鋭の高圧蒸気機関クラスになるとさらに値段が跳ね上がる。
部品も国産品で統一しており、今後はこうした部品を作っている国内の街工房にも測り等で統一した単位で計測と製造を行うように命じている。
教会の管轄を君主の統制下に置こうと提唱するガリカニスムの急先鋒で改革派に属しているモーリス・ド・タレーランが「国際的に統一した単位の提唱」をしてくれたお陰で史実より10年早くメートル法も施行されることになっている。
来年の4月1日に施行予定だ。
それに合わせて通貨なども取り決めることになっているので、来年になってからフランスの改革は本格的になっていくだろう。
ヤードポンド法は覚えずらいからね……。
そして蒸気機関だが少々値段が高いように思えるかもしれない。
しかし、これには理由があってフランスは蒸気機関の開発に莫大な金額を投資している。
むやみやたらに戦争することを止めて、今まで貴族や聖職者に邪魔されていた予算配分を見直した結果、余過剰となっていた予算を科学技術分野に投資しているのだ。
その総額は800万リーブルである。
これはフランス科学アカデミーの年間予算2400万リーブルの実に三分の一を占めており、年間の国家予算における2パーセント強を蒸気機関開発に充てているのだ。
可能であればもっと1000万リーブル強にしたいのだが、さすがにこれ以上の投資となるとフランス科学アカデミーから蒸気機関ばかりに予算を食いすぎだと文句を言われてしまうので、これが精一杯だ。
それでも全体の三分の一を占めているから十分すぎるほどの投資だがね。
これを現代日本で例えるならだいたい5兆円前後を投資しているのだ。
現代に変換すれば5兆円規模だが、この時代だと日本って小判とかで換算していたよね……。
あ、この時代の小判の両替換算ってどうやってやるんだ?
江戸時代初期の頃は金の含有量が多かったから価値があったけど、金の含有量が採掘量の減少等の理由で減らされた結果、粗悪な小判が流通していたはず……。
それ故に、江戸時代の小判って初期のものが後期に比べて圧倒的に値段高いんだよね。
江戸時代の品物を鑑定する番組で初期の小判が60万円だったのに対して、後期のものは4万から6万円程度だったからなぁ……。
具体的な提供内容を話し合っていると、源内は申し訳ないような顔をして本当に無償で供与していいのかと尋ねてきた。
「その……無償で供与してくださるのは嬉しいのですが、本当によろしいのですか?」
「ええ、貴国は我々にとっても東アジアでも貿易で重視している国です。貴国の繁栄は我々にとっても必要不可欠です。フランスとしても今後の世界情勢次第では貴国にお願いをすることがあるかもしれないですから」
「お願い……ですか?」
「……まだその時ではありません。しかし、いずれ貴国の力が必要になる時がくるでしょう。その時の為なら我々は喜んで支援いたします。将軍と老中田沼から預かった親書を拝見させて頂きましたし、我々としても経済的な交流を行っていきたいとお伝え下さい」
無償供与は今後の取引を考えれば安いものだ。
相手との取引で重要なのは信頼だ。
信頼を勝ち取っていけるように日本側には様々な情報や技術を提供していくつもりだ。
そのために必要なことは何か?
金か?優遇制度か?
どれも違う。
日本から信頼を勝ち取るには「恐怖心の払拭」だ。
信頼を勝ち取るには日本が諸外国への恐怖心を無くすことが先決だ。
古来より日本は外敵からの侵攻を受けたことが度々あった。
徳川幕府成立以降、外国との戦争がない平和な時代になってから国内経済だけで回していけたのだ。
外国との貿易は必要最小限で済ませるという鎖国体制が整った事で、外敵と戦う事もなかった。
しかし、それ故に外国に対して国内にいた殆どの一般庶民などは「知る由もない未知の存在」として認知していた。
ペリーの黒船が来航した際に江戸周辺がパニックになったのも、黒船を「怪物」だと思った説があるくらいだ。
それぐらいに技術格差が進んでしまい造船技術なども欧米諸国のほうがより大きいものを動員できてしまったのだから。
もっと言えば、元寇や白村江の戦の時まで遡ってしまうが、日本は四方を海で囲まれている関係上、海に対する守りは強かった。
だが現代日本以上に外敵に対する平和ボケが幕府内に浸透してしまい、事なかれ主義な対応をした結果、徳川幕府は倒幕運動によって倒されたのだ。
経済的に交流を進めてから文化的交流も行いたいところだがそれはまだ早すぎるだろう。
一応晩餐会やフープ回し等で交流こそしているが、民間レベルでの交流には日本側で調整をしないと難しいだろう。
なにせ、まだ外国……特に西洋に対して懐疑的な意見などを持っている人が多かった時代でもある。
キリスト教への弾圧なども、戦国時代末期から安土桃山時代にかけて日本で勢力を伸ばしたイエズス会の影響を受けてキリスト教に改宗した大名が、領民に対して強制的にキリスト教に改宗させて神社や寺などを焼き払った事例などを踏まえ”一向一揆のような宗教的テロリズムや反乱を起こす脅威”として認識されたことが弾圧へと発展していったのだ。
つまり、早い話が文化的交流の場で宗教とかを持ち込んだら確実にヤバいという事だ。
青龍で貿易取引などを進めているので、文化的交流に関しても宗教は抜きにしてやるべきだろう。
(仮に文化的交流まで持って行けたとしても、日本国内にいる勢力に対してどうするかだな……絶対に高圧的な態度ではなく、互いを尊重しあえるような対応で望まないと国内の尊王論支持者が攻撃するだろうし……そうした人達との関わり方についても慎重に扱わないと……)
例え開国をしたとしても当面はキリスト教への改宗などを禁止する法令などを継続させるだろうし、幕府内における外国勢力のことを快く思っていない攘夷論みたいなのが襲撃してくる可能性もゼロではない。
徳川幕府を追い込んでしまったのも、君主(天皇)を尊び、軍事的・経済的に圧力を掛けて侵略をしてくる欧米諸国を打ち倒す「尊王攘夷運動」へと発展した例がある。
攘夷運動が起きたのは幕末期頃であり、やがて薩英戦争等で諸外国軍の力が強いことが分かると弱腰の徳川幕府を倒し、富国強兵政策を推し進める明治政府によって日本は外の世界へと歩きだしていったのだ。
まだ攘夷運動は起きてはいないが、尊王論そのものは江戸時代中期ごろには存在していたはずだ。
これらの運動が今の日本で起これば、徳川幕府の基盤も揺らぐ可能性が大いにあるし、新市民政府論の脅威なども平賀源内をはじめとする日本使節団一行は知ったのだ。
王室主体となって経済改革を推し進めている我々改革派も言ってみれば君主論の良いところ取りをした上で西洋版尊王論のような思想体制を構築している。
互いの国家元首や代表者に敬意を表し、尊重しあえる社会……。
西洋と東洋の文化的壁を壊すには、日本側の信頼が無ければできないのだ。
故に、源内らに日本がより良い未来を切り開いて貰うために秘策を打ち出したのであった。




