380:肉ではなく野菜と魚を……
久しぶりに料理総長の元にひょっこり顔を出して調子はどうかと尋ねる。
ちょうど下ごしらえを終えて休憩を取っている最中だったのか、料理総長は笑顔で答えてくれた。
最近は料理も質素なものをお願いしていたので、久しぶりに張り切った料理が作れると意気込んでいるようだ。
「今日の晩餐会だが……料理はどんな感じだ?」
「はい、陛下のリクエストした通りの内容となっております。改めてお聞きしますが……今日は牛肉を含めて肉類はお出ししなくてもよろしいのですか?」
「うむ、彼らは牛肉などは控える風習がある。勿論、まったく食べないわけではないが、肉よりも魚や野菜を中心とした料理を好むからね……魚と野菜であればトラブルになることはまずない」
今回の晩餐会はひと味違う雰囲気を醸し出している。
というのも、この時代において日本人の多くは肉をあまり食べる習慣がなかった。
特に上流階級では生き物に対して無用な殺生をして食べてしまうと身体が穢れてしまうという考え方が根強かったこともあり、身分の高い人ほど獣肉を食べることは避けられていた。
これには奈良時代に仏教が伝来し、仏教の教えである殺生を避ける動きが貴族や朝廷をはじめとした上流階級社会で普及し、上流階級は殺生したものを食べないという風習が生まれたことに由来している。
とはいえ上流ではお肉を食べないように!という教え方が都市部(都であった京都)を中心に主流だったのに対して、わりと平民層ではけっこう肉類は食べられていた。
今日のように牛や豚などではなく、もっぱら猪や鹿といった野生動物の肉が食べられていた上に、社会情勢が不安定だった戦国時代では将軍をはじめとした上流階級でも獣肉を食べていたらしい。
……が、戦国時代以降大きな戦乱が発生せず比較的平和な時代となった江戸時代に入り、五代目将軍徳川綱吉が生類憐みの令を出した際に、この時代に市場に出ていたサルや犬などのこの時代に食べられていた獣肉が食べることを禁止にされて以降、再び肉を食べることを避けるようになったと言われている。
勿論のことながら、避けられていただけであって獣肉を食べる事事態は完全になくなっていたわけではないし、サルや野良犬といった動物も江戸時代初期までは食肉用として出回っていたらしく、精を付けるために猪肉を「山くじら」という別名に変えたうえで食べられていたりしていたそうだ。
であれば、牛肉出しても問題ないのではと思うかもしれない。
しかしだ……。
牛肉を出そうにも、使節団が持ち込んできてくれた嬉しい調味料を使わないと勿体ないのだ。
体感的に10年ぶりに嗅いだだけでも分かるこの香り……。
これは肉類ではなく、魚や野菜を出してこそ日本風になるはずだ。
「それから、彼らが献上品として持ってきた食材はどうなっている?」
「はい、この”しょうゆ”という調味料ですが、かなり独特の風味がありますね……」
「うむ、日本ではこの醤油を使った料理が一般的でね……。ここでも再現できるとすればフリッターに似た天ぷらという料理に使うことが多いそうだ」
「なるほど、フリッター風ですか……」
「それから麺類を使った料理にも醤油を使うそうだ。ただ、こちらと違ってスープに麺を浸けてから食べるのが主流のようだ。これに関しては難しいからな……いや、日本の料理を聞いていると神秘的に感じてしまってついつい口をだしてしまった……すまない料理総長。些か騒ぎすぎてしまったな……忘れてくれないか」
「いえいえ、陛下が熱心に語るのは構いませんよ。天ぷらという料理も文献で拝見したことがございます。それらしい料理でしたら作ることができると思いますのでやってみましょう!」
「ありがとう!恩に着るよ!肉ではなく魚と野菜をメインに改めて頼んだぞ!」
そう、俺がついついハイテンションになってしまった原因に使節団が献上品として持ち込んだ代物の中に、醤油瓶があったのだ。
醤油だぞ醤油!
輸出品として日本がオランダ東インド会社を経由してヨーロッパに持ち込まれることはあるが、在庫数としてはまだまだ少ないのだ。
数少ない日本の味を体感できることはかなり嬉しい。
そうした想いからテンションがかなりあがってしまったのだ。
いかんな……久しぶりに日本との接点が出来たこともありテンションが上がりっぱなしだ。
少し落ち着いて整理しておこう。
とりあえず、肉料理ではなく魚や野菜料理を中心に出すように命じたのだ。
魚といってもパリでは日本の江戸や(※)大坂のように大都市圏のすぐ近くに魚介類が取れるような海がないので、淡水魚がメインとしてふるまわれる。(※この時代、関西の大都市である大阪は大坂という漢字で表記されていた為)
日本とは違い、少々種類は少ないが程よい鮮度を保った状態で来賓に提供できるようにヴェルサイユ宮殿から徒歩1キロほど離れた場所にサケの仲間であり淡水魚として有名なカワカマスを養殖している。
今回フライ料理として出される魚もこのカワカマスになる。
……正直に申し上げれば、寿司も食べたいといえば食べたい。
銀シャリを味わいながら採れたての新鮮な魚に醤油とワサビを付けてペロリ……。
やはり日本人であれば時折寿司が食べたくなるものだ。
この時代の事を考えれば移動距離も加味して鮭であればいけるかもしれないが……やはり鮭の場合は寄生虫などの問題もあるので天然物は生では絶対食べれない。
日本で販売されている養殖で育てられた鮭は生で食べても大丈夫なように徹底管理されているという。
フランスでも作れる寿司ネタといえば玉子ときゅうりだろうか……。
いや、そもそも寿司を作るにしても銀シャリ(酢飯)は輸入しないといけないだろう。
米に関してもジャポニカ米が少ないのでインディカ米で代用したとしても……ジャポニカ米独特のモッチリとした食感は出せないだろう。
(うむ……やはりコメが無いのがショックだったけど……今回は長持ちする調味料などを持って来てくれたわけだし、もし日本と直接交流することができるようになれば是非とも料理人を派遣してほしいね。やはり文献とかでは限界があるし……中国をはじめとする東洋文化の一つとしてカウントされているから、様々な文化も中国とリミックスしているのが現状だしねぇ……)
いざ、日本とつながりを持って初めて実感する事実。
日本のものを再現しようとしても、その再現の方法がやりづらいのだ。
鎖国体制というガラパゴス化した結果、技術的には停滞していたが日本は独自の文化的発展を遂げていた。
寿司をはじめとする日本食を含めた食文化や風習、しきたりなども江戸時代ごろに確立されたという。
現代ですら日本を題材としたゲームやアニメを作る欧米系のスタジオが作ると、確実に中国などの大陸側文化とリミックスしたなんちゃって日本になってしまうからね……。
この時代においては尚更知らない扱いであることも多いのだ。
今回の晩餐会を通じて、参加している者達にも日本文化について色々と知ってもらう必要があるな……。
……そんなわけで晩餐会を始めたわけだが、意外にもフリッター(フランス版天ぷら料理)が思っていた以上に功を奏したようだ。
平賀源内などはこのフリッターを食べてみるや否や日本語で「これは魚を揚げた天ぷら料理ですな」と驚いた様子で食べていた。
晩餐会に出席した彼らは日本の礼服……裃を身に着けてテーブルに座って味わっている。
ちょんまげの彼らが座って西洋料理を食べる光景は何ともシュールだ。
ちゃんと箸も出してあげて彼らが食べやすいように魚には切り込みも入れて貰った。
晩餐会で出される豪華絢爛な料理の数々や晩餐会で使われている部屋のシャンデリアを見るたびに目が飛び出そうなほどに驚いている。
日本の場合は晩餐会といっても、夜遅くまで食事をするということは殆ど無かった。
それに、日本の場合は蝋燭の原料が貴重だったこともあり、夜遅くまで灯りを灯す職種は泊まり込みでパトロールなどを行う火消しや男性に対して性的サービスを行う遊郭、さらに寺院といった限られた場所で蝋燭が消費されていたようだ。
なので、フランスみたいに宮殿でシャンデリアに大量の蝋燭を突き刺して明るい状態になっているのは驚くようだ。
江戸城とかどうなっているんだろうか?
明暦の大火で江戸城の天守閣が燃えて再建されたはずだから、火に関しては取り扱いも慎重になっているに違いない。
食事を楽しみながら彼らとの交流が改革派を中心に行われた。
ハウザーをはじめとした閣僚は勿論のこと、マダム・ドミニクといった一般の人々との交流も盛んに行われて大盛況となった。
後日、日本の使節団一行が食事をするシーンが新聞画家によって忠実に描かれて、新聞の一面トップを飾ることになったのであった。